ヘルタースケルター









 銃声。
 元より当たるなどと思わない一撃だった。トリガを引いて、直後に後退。
 シールドで弾いた漆黒のフラッグは、まるでそれを知っていたかのように迫る。
 さらに二射。それを旋回して避け、フラッグはさらにデュナメスに迫りライフルを撃つ。
「ハロ!」
 短く叫べばそれだけでハロは左肩のシールドでビームを弾いてみせる。
 さんきゅ、と短い返事に両方の羽を開いてみせた(換気のためかもしれないが)相棒はもう一撃をシールドで払う。デュナメスはさらに高度をとって、斜め後方からフラッグを狙う。
 これは当たった、と思った一撃をかなり無理な姿勢から、しかし呆気なく避けてみせるフラッグの動きには正直に舌を巻いた。
 これでも、前の戦闘で結構プライドが傷ついたのだ。
 ロックオン・ストラトスを名乗りデュナメスを駆るパイロットとして、狙って墜とせないものが存在することは許されない。
 それは、ガンダムを冠する他のMSに対してもそうだし、互いに他のパイロットを意識するからこそ、ガンダム・マイスターは高い技量を持ち得るのだ。
 それがフラッグに──たかがフラッグに!──避けられた。
 お陰でそのあとの訓練にも身が入るというものだ。手を抜いたことなど一度も無かったが、あんな目に二度も合わされたくなかったというのが正直なところである。絶対に当てられるという距離で、充分に狙いをつけて、外されたのだから。
 訓練をして、データを入れ直して、シミュレータの中で同じフラッグを何度も撃ち落とした。
 それでも、避けられた。
 あの動きだ、と思う。
 パターン化されたものではない、人間の創意工夫というものすら凌駕しているように思う。何というか単純に、常軌を逸している
 GNドライヴで制御されているわけではない、ただの、フラッグ。
 中のパイロットにも負荷が大きいだろう動きをあっさりと示してみせる。
「っち!」
 二射を避けて肉迫したフラッグに、ロックオンはシールドを展開させてサーベルを弾く。
 それを捌いてがら空きになった腹に、直接撃ちこむようにして銃口をつきつける。
 フラッグは半分変形するようにして腰だけをぐにゃりと旋回させ、それを掠める距離で避けた。
「んだ、そりゃぁ!」
 叫んだ声が殆ど悲鳴になっていたのは否めない。
 近距離からフラッグのライフルの銃口が光る。
 デュナメスは不安定になった相手の腰を強く蹴りつけて宙に跳ねるように後退する。ヘッドパーツのぎりぎりを掠めた閃光に身を竦めながら、バランスを崩しかけた漆黒とこちらに背を向ける動きをしたノーマルのフラッグに両腕を伸ばして撃った。フラッグが上げる黒煙に突っ込むようにして距離をとる。
 相手はとみればいくらかは当てられたらしいが致命傷には至っていないようだった。味方の要らぬ行動と、その結果の負傷など、気にも留めないように平然と、デュナメスの動きを窺うように其処に居る。
 ちぇ、と舌打ちをしてみせて、それでロックオンは自分が少し笑っているのに気が付いた。
「──はは」
 そう声に出してみれば、余計に愉快になった。
『ロックオン、ロックオン?』
 ハロが訝しげに名を呼ぶ。まあ、その気持ちもわかるから、余計に笑える。
「何でもねぇよ、ハロ」
 そう言ってロックオンは、ハロに笑いかけてみせた。
「俺がやっぱりそこまで巧くねぇってのと、あーあの莫迦っぽいの強いなあってのと」
 まるでそれに応えるように、漆黒は一礼をしてみせた。ただ、タイミングがあっただけだろう、ということはわかるのだが、その時代がかった動きに肩を竦める。
「やっぱり俺あいつ好かん」
『ドウシテ?』
「なんかわかんねぇけど、生理的に」
 そう言ってロックオンは、銃を構える。
 まっすぐに、みどりのめだまが黒を射抜く。
 口許には笑いを浮かべて。
「多分同族嫌悪だ」
 ハロは不思議そうに、デモタノシソウ、と言った。



 戦闘が再開した。
 そう気が付いてアレルヤは視線を上げる。
 矢のように鋭く黒と緑のぶつかりあうのが、一瞬だけ見えて、視界から消えた。
 最初にデュナメスの機影を上空に見た時には息が止まるかと思った。デュナメスは本来長距離からの援護射撃に特化した機体だ。ああやって敵機の前に身を晒し、丁々発止の戦闘を繰り広げるような特性ではない。
 無論、並みの機体が相手であれば、そもそもの機体性能の差で得意不得意など凌駕できるものだが、あれは違うだろう。
「──あのフラッグ」
 キュリオスは対峙したことがないが、幾度か戦闘データに現れた機体とパイロットだろう。戦闘になったことのある刹那とロックオンが特に強く意識している様子だったのを覚えている。
 ありゃあ強ェな、とはらの奥で、ぐるりと喉を鳴らすけもののこえを聞いた気がした。
 レーダーに映し出される機影はエネルギーを撒き散らかしながらぶつかりあう。
 時折そこから離れようとする機体がある様子であるのも映っていたが、それは戦闘の巻き添えを食ってか、それとも何らかの判断がどちらかの機体にあってのことか、少しでも包囲する動きを弛めようとした次の瞬間には撃墜されているようだった。
『っつかあいつだろどう考えても』
 ハレルヤは、苛立ちを含ませた声で低く唸る。
 声には出さなかったが、アレルヤはそれに小さく頷いた。或いはフラッグが、命令を無視した配下を撃ち抜いているのかもしれなかったが、そんな判断をするようなパイロットとも思えなかった。
 この期に及んでまで──自分は護られている。
 その事実に苛立つのは、ハレルヤだけではない。
「逃げたくない」
 アレルヤは光の無いコックピットの中でそう呟く。
「ぼくは逃げたくない、ハレルヤ」
 ったりまえだ、とハレルヤが叫ぶ。
 多分──今は逃げるべきだ。逃げて、自分は、自分たちは安全だとそう伝えるべきだ。そうすればロックオンは他の何かを気にすることもなく、あの黒いフラッグと渡り合える。
 そうできないのは、単に甘えで、弱さだ。
 何かできることがある。そう思いながらコンソールを操作し続ける。キュリオス、キュリオス。叫ぶこえがふたつ、重なる。
「ッ、アレルヤあ!」
 ハレルヤが切羽つまったように大声を上げて、アレルヤはその示す先を見上げる。
 一機のフラッグ。
 それは確かにデュナメスに、或いは上官であるフラッグに、背を向けてはいなかった。だから、デュナメスは意識をしなかったのだろう。その姿が、木々の切れ間に見えた。
 真っ直ぐにそのライフルが、デュナメスを狙っている。
「──うごけ」
 アレルヤは小さく震える唇でそう言った。
「うごけ、うごけ、うごけ」
「うごけ、うごけ、うごけ」
 手がふるえる。指先が汗に湿っている。キーを押す手が固まって、とまる。
 ライフルの先端がひかる。



「うごけ──!」
 アレルヤはそう叫んで、操作盤を殴りつけた。