ヘルタースケルター
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ロックオンは無論それに気付いていた。
仕掛けてくる手が止まった。
デュナメスで確実に墜とせる距離──少なくとも今の装備で狙える距離に判断をつけたのだろう、それだけを挟んで、包囲されている。
あまり気に入らないかたちだ、これは。
ロックオンは小さく舌打ちをして、試しに幾らかを移動してみる。
相手も、後退する。背後にある機体が前進する。
気に入らない。
というか、失敗した。のだろう、これは。そうロックオンは判断する。
ノーマルのフラッグが残り五機。そして漆黒のフラッグ。
落としたフラッグを含めてその編成を見れば、自分たちがこのところおかれている状況にしては悪くないものだと思えた。ラッキーだったな、とロックオンは正直に思う。性能の強化されているらしい漆黒の一機を含んではいるが、ノーマルのフラッグばかりであるのは急ごしらえの部隊だからなのだろうし、漆黒にしたところで一機で済んだのは僥倖と言うべきだ。
それは本来ならばひとりで捌けない数ではない。
だが、できない。
アレルヤが、キュリオスがいるのだ。
自分の、デュナメスのとった三文芝居の意味は、あくまでもキュリオスが『本当に』動かないということを隠すための演技でしかない。デュナメスが動けることが知れれば、ここで長々と暇を潰していた意味が無くなる。
もう一機があるということまで、即刻では思いつかないかもしれないが──と考えて、ロックオンは首を振った。無理だ。並みのパイロットであれば、或いは激戦にごまかされてそれを見失うかもしれない。
だが、相手はあの漆黒の、おそらくは二度ならず対峙した、あのパイロットだ。
あれは、多分気付く。理解をする。
そういうタイプのパイロットだ。
熱に浮かされた、狂躁めいた戦いをするくせに、同時に全体を見る冷静な眼を持っている。
ちぇ、とロックオンは笑う。
「──どうしたもんかね」
思わず吐き出してしまった言葉に、ハロは目をちかちかと光らせた。
『ネライウツ、ネライウツ?』
「ばーか、当たらなきゃ意味が無ぇ」
そう言ってロックオンは手を伸ばし、相棒の金属の皮膚に手を伸ばすとそれをざっと撫でた。それで、ぐしゃぐしゃととっちらかる思考をリセットしようとする。
アレルヤは逃げただろうか。
ちらりとそう考えたのは、少なからずハロの塗装の色に引き摺られてのことだろう。そう思ってしまえば、少しだけ指が震えた。要らないことを考えるのは駄目だな、と思う。引っ張られて余計なことを考える──射線がぶれる。
情けねぇの。
そう小さくごちて、ロックオンは天に向けてもう一度引き金を引く。
まっすぐに伸びた光は飛び退く青い羽根を食い破ったが、墜とすまでには至らなかった。バランスをたてなおしたフラッグが、さらに少し距離をおく。
思わずまた、舌打ちをする。
気に入らない。
損傷をうけたフラッグは飛翔して位置を変えた。なんだ、と思うロックオンの前に、デュナメスに向かい合うかたちで漆黒が其処に替わって立つ。
対峙する。
ロックオンはこのフラッグのパイロットに──コックピットでバイザー越しではなく実際に、向かい合ったことは一度も無かった。おそらくはこれからも、そんな機会はないだろう。生身で向き合うことはなく、言葉のひとつもかわすことはなく、そのまま識別番号、それも此方で相手を認識するために勝手に割り振った番号で認識し、相手も自分をデュナメス──とすら呼ばず、緑色の狙撃特化型機の一パイロットとして、認識するのだろう。
だがこうやって、正面から何の言葉も無く互いに銃口を向け合って、それだけの認識の中でロックオンはこのパイロットのことを理解した気がした。
この、ガンダムを見て真っ直ぐに迫ってくる矢のような機体の、そのパイロットの。
うつくしい流線型の機体の、おそらくは自分と、自分たちと同じようにフラッグの隅々にまで神経を張り巡らせたように自在に操る猛禽のようなおとこ、或いはおんなの。
かおもこえも何も知らないけれど、自分は、多分。
漆黒のフラッグは、不意に、片手を挙げた。
そうして、周囲のフラッグ、デュナメスを取り囲むノーマルのフラッグたちを示すように片手を横に伸ばしてみせる。その動きを制するように。
それが、その漆黒がおそらくは部下たちに指示をしているものであるのか、それともロックオンとデュナメスに何かを呼びかけてのものであるのか、それはロックオンにはわからなかった。通信をしているのだとしても、ユニオンの回線によるものだろうし、それを傍受する能力はデュナメスには無かった。
だが、次の動きの意味は解った。
フラッグはその伸ばした指先をまっすぐにロックオンに向けると、ひょい、と上に向けてみせたのだ。
上がってこい──そう、言うように。
「──は、はは」
ロックオンはわらう。
なんだ、冷静だなんだと評価をしてやったのはとんだお門違いだったらしい。
これはきっと──莫迦だ。紛れもなく、ただの莫迦だ。それがただ、喧嘩をしようと言っている。まわりには手を出させない、国も信義も知ったことかとばかりに、それを示して誘ってみせる。罠かもしれない、と思わないではなかった。だがきっと、このパイロットはそれを好まない。
ユニオンでもどの国の領土でもない、この状況であるからこそそう思う。
これは、ただ、偏執的なまでにデュナメスとの、再戦を求めただけだ。
「ハロ、GN粒子の散布中止。火器管制に全ジェネレータを回せ」
『リョウカイ、リョウカイ!』
ハロの返事を待たず、デュナメスはライフルを棄てビームピストルを抜きはなつと地を蹴って、翔ぶ。
フラッグが動揺に、少し機体が揺れたように思った。
漆黒の一機だけはまるで揺らがずロックオンを待つ。その、律儀な態度に少し笑いながら、同じ高さで静止する。
対峙する。
まるで、いつかの戦闘を思い出すようだ、とロックオンは思っていた。
あれも殆ど喧嘩のような、泥臭い、あまり意味のないぶつかりあいだったように思う。アザディスタン。相手がフラッグであるからと軽んじたという自覚はある。あまりにも常軌を逸した動きをとるものだから、呆気にとられたというのもある。
その再戦ならば、あのような間抜けな戦いはしない。
均衡を崩すように、フラッグが一機、デュナメスを包囲する輪から抜けるようにして一歩を退いたのをロックオンは見た。緊張に耐えかねたのかもしれないし、或いは何かを見たのかもしれない。
ハロが警告音を発して、それをロックオンに知らせるよりも早く、腕を挙げたデュナメスはその背を撃つ。ビームに羽根を射抜かれ、機体は黒煙を上げてデュナメスと代わるように地に落ちた。
手を挙げかけていたフラッグは──それが制止の意味であったのか、或いはロックオンと同様の行動に及ぼうとしたのかはわからなかったが、それが宙をかいて、そうして少し照れたように、軽く宙をさまよってみせるのを見てロックオンは小さく噴き出す。
そうしてかれ、ないしかのじょは、もう一度手を挙げて、周囲を制するようにその掌を下に向けて付き従うフラッグたちに示してみせると、その手で銃を抜き放った。
酷く時代がかった、まるで決闘のような。
手袋でも投げてみせるべきかね、そう思って笑っていることにロックオンは気が付いていた。
「──やっぱりわかったわ」
そう言って、ロックオンは銃口を揺らす。
「お前さんのことを、顔も名前も知らねぇが、大嫌いだ」
銃口が、ひかる。
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