ヘルタースケルター
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「何やってんだ?」
コックピットを覗き込むようにして顔をひょこりと出したロックオンに、アレルヤは思わず悲鳴のような声を上げた。
「──ッ、大丈夫!?」
「大丈夫じゃなかったら此処に居ねぇさ」
くく、と楽しそうに笑いながらロックオンは手を伸ばして、アレルヤが膝の上に抱え込んでいたハロを易々と抱え上げた。あ、と離れてしまったロボットに手を伸ばす間も無く、ハロは、ロックオン、ロックオン! といつもと変わらぬ調子で声を上げる。
「首尾はどうだ、ちゃんとやれたか?」
『モチロン、モチロン!』
「はは、偉い偉い」
撫でるようにしてその表面に手袋をしたままの掌を滑らせると、いつものように抱えるでもなく、またアレルヤにはいと渡してくる。反射的に手を伸ばして、両手で球体を受け止めた、その頭にロックオンは、ハロにしたようにして手を伸ばすと同じような手つきで頭を撫でた。
「お前さんも」
「──僕は何も」
「留守番」
そう言ってロックオンはあっさりと笑ってみせる。
「それとハロ見ててくれてありがとな。こいつ眼ェ放すとたまに仕事さぼるから」
「そんなことは無いと、思うんですが」
いつもならば、不満を述べるだろうハロをちらりと見たが、しかしかれは眼を模したあたりのライトをちかちかと光らせただけで、声に出して何かを言うことはなかった。それを期待していたアレルヤは少しだけ拍子抜けする。
「いやまじで。助かったわ──じゃあ俺ちょっと撤収してくるから」
ロックオンはそれだけが用事だったとでもいうように、ハロをそのままに置いて視界から離れてしまう。呼び止めようとする声を上げる間も無い。
開いたままのコックピットから身を乗り出すと、普段よりも軽い足取りで少し離れたところに跪いているデュナメスの方へと歩いてゆく後ろ姿が見えた。違和感を覚えるのは、彼が常に伴っているオレンジ色を、傍に置いていないからだろう。
アレルヤは溜息をついて、膝の上で所在無げに小首を傾げるハロを見下ろす。かれ専用の台座の無いコックピットに、その意思表示のはっきりとしたロボットをただ転がしておくのは酷く落ち着かないように思えた。
「──そうじゃないんだろう?」
ハロを両手で抱え上げて、アレルヤはいきものであるかのように振る舞うその球体と視線を合わせた──合わそうとした。
「君が見ていたのは僕なんだろう? 少なくとも僕は、君のことをちょっと忘れてた」
『アレルヤ、アリガト! アリガト!』
まるで構わないようにハロは声を上げて、アレルヤの手の上に軽く撥ねる。アレルヤはそれを受け止めて、天井にぶつからないぎりぎりくらいまで軽く放ってもう一度受け止めた。そうして、もう一度小さく溜息をついた。
「君まで優しくしなくていいのに」
ロックオンはテントから這い出ると、夜の闇に沈み込んだ明るい色彩の機体を見上げた。
高濃度のGN粒子がこの周囲を覆っているから、簡単な装備では見つからないだろう。もっともデュナメス一機では、たとえばヴァーチェほど圧縮された粒子を吐き出すことはできない。せめて偽装する程度の機能だけでも繋がってくれればと思ったが、そう簡単にホースや蛇口が見つかるようなものでもなさそうだった。
ハロは相変わらずキュリオスと接続して、機体状況の解析を続けている。
そうなると人間にできることは──少なくともロックオンには無くて、自分が自分以外であればいいのにと心底から思う。或いはもう少しきちんと整備を教わっておくべきだっただろうかと。もっとも教わるべきだった過去においてこれ以上を詰め込むのは、自分には少々容量オーバーであるように思えたし、今になっても教わっていたとして、それが実践できたかといえば疑問だった。
向き不向き、或いは嗜好の差かもしれない。
少なくとも今自分にできることは何もないわけだ。自分たちには。
そう思いながら、せめて笑顔だけは作ってロックオンは囁くように名前を呼んだ。
「──アレルヤ」
テントとキュリオスのちょうど中間地点あたりに、ぽつんと立っていた男はその声に振り返った。
「ロックオン。──寝れない?」
「そりゃあ俺の台詞」
そう言ってロックオンは肩を竦めた。ああ、と言って、アレルヤは申し訳なさそうに苦笑する。
「ごめんなさい。あなたばっかり昼間働かせてしまったのに」
「気にすんな、つか明日はお前だって働けよ」
「僕?」
「そりゃあそうだろ、ハロが今日チェックしてデータ送って、明日には原因わかってるかもしれんだろうが。そうしたら修理すんのはお前の仕事だぞ、俺は人の分まで面倒見ねぇぞ」
「ああ、そうか」
そう言って、アレルヤは再びキュリオスを振り仰ぐ。
「僕じゃあ、デュナメスは動かせないもんね」
「お前に取られたら俺に仕事がなくなるだろ」
そう軽く言ってやってもアレルヤは振り返らなかった。溜息をついて、ロックオンはアレルヤに近付くと、彼に並んでキュリオスを見上げる。アレルヤは少しだけ驚いたような気配を見せたが、しかしロックオンの方を見はしなかった。
ただ、ひたすら困ったように、キュリオスを仰いでいた。
「──僕にできることはないのかな」
そうぽつりと呟く声に、同じ言葉を返してやりたいような気持ちになりながらロックオンはそれを笑う。
「今は無ぇだろ」
「明日はあるかな」
「あるんじゃねぇか」
「本当に?」
そう言う声が幼い子供のようで、ロックオンは横目で彼を見た。もっと幼い頃、自分よりも頭ひとつほど小さい位置にあった彼の眼を、不安ばかりをうつしていたこどもの眼を、久しぶりに見たような気がした。
「本当に──明日も、このままずっとこのまんまで、僕には何もできなかったら、そうしたら僕は」
「アレルヤ」
呟く声を遮るように、名前を呼べば弾かれたようにアレルヤはロックオンを見た。結局ロックオンよりも少し高い位置にまで到達してしまった、こどもだった年下の青年は、まだ幼い気配を残したまま途方に暮れたようにロックオンを見つめていて、それを否定する保証も無いままロックオンは笑い顔をつくってみせた。
「このままずっと、なんてことがあるかよ」
「だけど、」
「あほ」
そう言ってロックオンは彼の肩を肩で突くと、笑いながら踵を返してテントへと歩を進める。
「たかだかMSじゃねぇか、しかもGNドライブが死んだってわけでもねぇんだぜ。ハロとイアンで何とかするし、どうしようもなかったら載せ替えるだけさ。何度言ったら納得するんだ?」
「うん、ごめん──」
「しょうがねぇなあ、お前らは」
振り返ってロックオンは、笑った。彼と、彼の拗ねてしまった機体に。
「今なら怒らねぇから早く戻れ」
「え、ちょっともう少し見て──ねえ、待ってよ!」
「あーほー。早くしねぇと俺が寝れないだろが」
それを、両方に言った気がした。
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