高く孤独な道をゆけ









「いつかこういう日が来ると思っていたよ、お若いの」
 歯の欠けた老人は穏やかに言った。その名前を舌に載せるだけで、ニールの脳に浮かぶイメージは酷く血生臭いような、火薬の匂いのけぶるような、そんなものであったのに、その男はただインクと古い樫の家具の匂いが似合う静かな顔つきで、静かに殆ど眠っているようにしか見えない細い眼をニールにちらりと向けるだけだった。
「私を怨んだり憎んだりしているのは、あんただけじゃないだろう。敵討ちの競争に勝ったということだ、そういう意味では良かったな、と言いたいが」
 老人はベンチに座ったままで身動きをせずに、ニールのことを見上げて少しだけ首を傾げた。
「そう良いものでもなかったという顔をしとるな」
「──わかる、ってか」
「こんな年まで生き延びてしまってはな。同じような顔をしたことが無いかと言えば嘘になる」
 ふふ、と老人は隙間から息を零すような笑い方をして、それからニールに尋ねる。
「あんた、なぁ、1つだけでいいから教えてくれんかね」
「何をだ?」
「私はあんたに何をしたものかね。何を奪って、何を傷つけた。覚えがあり過ぎて、逆にあんたに申し訳がないよ」
「ディランディ、という家の名に覚えは?」
「ふむ、ディラン──何だって?」
「いいさ、よくある話だ。多分競争に負けた連中と、同じようなもんだろう」
「それもそうか」
 頷いた男が愉快な冗談でも言ったかのように笑って、ニールは静かに、素早く、ポケットから古い型の拳銃を取り出す。そして老人が銃を構えるよりも早く、引き金をひく。
 素手で触れた鉄の爪はいつもよりもつめたいように思えた。




 銃声。




「──ロックオン!」
 子供に飛びついて通りの反対側に飛び込みながら、ロックオンは隠し持っていたのだろう拳銃を抜くと無理な体勢のままで一発撃った。街灯の下の男がくぐもった悲鳴を上げる。
 そんな姿勢で確実に標的を射抜くロックオンの腕前に驚嘆しながらアレルヤは転げるように彼の傍へ駆け寄った。撃たれた男は蹲って呻いているが致命傷ではないだろう。それは狙ったものなのか、それとも単に狙いが逸れただけなのか、アレルヤには判断ができなかった。
「ロックオン、大丈夫ですか……」
「転んだ! すりむいた! 痛ぇ!」
「子供ですか!」
 喚く男は本当に肘を擦ったらしく、ほらみろ!なんて言って肘を示す。確かに暗がりの中でも擦過傷が見えていて、いかにも痛そうな具合なのに少し笑う。
「──君は?」
 ロックオンに抱えられていた子供は小さく震えながらロックオンを、次いでアレルヤを見上げる。ぱくぱく、と口を動かして、何かを言いたそうにするのでその口元に耳を寄せれば、おきゃくさん、と小さく呼ぶのが聞こえた。
「無事だったんですか、あの、母さんが心配してて、おれ──」
 堪えきれたのはそこまでだったらしい。子供はアレルヤからロックオンに視線を戻し、ひくりと息を吸ってから、わあ、と吐き出すように泣き出した。
「──ごめ、ごめんなさい、おれ、怖くて──!」
「ああ、泣くな泣くな、この兄ちゃんみたいじゃねぇか」
「僕ですか」
「ほれ、もう大丈夫だから。な?」
「うわああん!」
 泣きじゃくる子供に困ったように笑って頭を撫でるロックオンの表情は、角度は違うけれども見慣れたもので、そうか、いつも彼はこんなふうにして自分を見ていたのだと思いながら、アレルヤは座りこんだままのロックオンを見下ろしていた。子供をあやす大人。そうであろうとする大人。
「ほら、アレルヤも何かいってやれよ」
「え?──うん、大丈夫だよ」
「うん、うん……」
 こくこくと頷く子供に笑いながら、ほら、とロックオンは彼の肩を叩く。
「お前、あの青い屋根のホテルんとこの坊主だろ? うちの弟が世話になったな。ここまっすぐ走ってうち帰れ。まだ大丈夫な筈だから」
「……、お客さんたち、は」
「お兄ちゃんたちは用事があるから尻尾撒いてこの国を出るの」
 そう言いきって、ロックオンはアレルヤを見上げる。な、と促す声に、アレルヤは頷いて彼の顔を覗き込んだ。
「僕たちには役目がある。この騒ぎももうすぐにおさまるよ。だから君はうちへ帰ってお母さんとうちを守るんだ。いいね?」
「──うん」
「良い子だ」
 笑ってロックオンは少年の頭をぐしゃぐしゃっと乱暴に掻き混ぜる。少年は慌てたように、或いは照れたように、その手を振り払ってから袖で目元をぐしぐしと拭うと、真っ赤に充血させた眼でロックオンとアレルヤを等分に見た。
「また──また、来てください」
 この国が、平和になったら。
「……うん」
「約束する」
 アレルヤが、ロックオンが、口々に誓う言葉に頷いて、もう一度此方の顔を覚えようとするようにじっと見たあと、少年はぺこりとお辞儀をしてからぱっと駆け出した。その背中がまっすぐに道を駆け抜け、振り返らずにホテルのある方へと曲がるのを、二人の大人は黙ったままで見送る。
「ホテルマン、ってか」
「十年経っても覚えているらしいですよ」
「そいつは凄ぇ」
 くすくすとくすぐったそうにロックオンは笑う。それを見下ろしていたアレルヤは、静かに息をついてロックオンに尋ねた。
「立てますか?」
「こけたんだよ」
「みたいですね。立てるんですか?」
 大して確かめもせずに、ロックオンはひょいと首を傾げてみせた。
「無理っぽい」
「馬鹿な真似をしないでください」
「掠っただけだって」
 そう言ってロックオンはひょいと左足を示してみせる。夜の暗がりの中でも脛のあたりがぐっしょりと濡れているのがわかった。掠った、というほどではないだろう。だが、躊躇っている場合ではない。
「街を出たとしてもできるのは応急処置ががせいぜいですが。それでも?」
「構わないかって? むしろ気遣って貰えるだけ御の字だ──アレルヤ、」
「はい」
「頼む」
 そう言って、ロックオンはアレルヤの腕を掴む。支えを求めるというよりも強く。縋るように。
 あのとき、彼を見つけた自分のように。
「止めてくれ。こいつらを止めてくれ。あんなガキ傷つける必要なんか、本当は無かったはずなんだ」
 アレルヤは、静かに頷く。
「僕は、僕とあなたはその為に来たんです。そうでしょう?」