高く孤独な道をゆけ
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それは黎明の近付く時刻。
空を割る炎のように、その機体が白い光を反射させて飛来する。
銃を構える手が、ナイフを振りかざす手が、止まる。旧式のMSが軋みを上げて視界を確保するようにその不格好な頭を巡らせる。
AEU、或いは人革連が、どちらかのやり方に賛同して手を貸すというかたちでやがて介入してくるだろうと、状況が動くのはそのあとだ。予測していた者たちは彼らの反応の早さに驚愕した。また、そこまで事態を重視しておらず、むしろ小さな小競り合いだけでおさまるだろうと思っていた者たちは、その到来にこそ驚きの声を上げた。こんな辺境の小さな諍いにまで、しかもそのきっかけはたったひとりの老人の死でしかなかったのに、そんなものにまで彼らが手を伸ばしてくるとは思ってもいなかったのだ。
それを子供たちは窓に顔をくっつけて見上げた。大人たちの不安をわけもわからぬまま写しとって、眠れぬ夜を過ごした子供たちはそのひかる機体に感嘆の溜息を漏らした。
小さなホテルの、未来の主だけは別だった。彼は眼を真っ赤に腫らしたままで、眼のついでに母親からもらった平手のおかげで頬まで真っ赤に腫らしたままで、それを見上げてそれが夜明けなのだと思った。太陽よりも先に、それが夜明けを呼んだのだ。きっと、彼らの約束が。
太陽が山間の街を照らす。まるで終わりを告げるように。
「大丈夫ですか、ロックオン」
「言うなつったろ、とっとと終わらせろ」
コックピットの背後、蹲るように座りこんだままの男の傷は思っていたよりも深いようだった。しかし同乗すると主張して譲らなかったロックオン自身で、アレルヤには何も言うことはできなかった。
それでも時折彼の押し殺しきれなかった小さな吐息に、アレルヤは唇を噛む。
キュリオスは飛行形態をとって街の上を旋回する。上から見下ろせば、本当に小さな街だったのだと思った。多分、この形を保つのがやっとだった、小さな、国。
道路には装甲車やジープが走り、その陰から不安げに此方を見上げるひとの姿が見えた。MSの数はそう多くなく、殆どがアンフなどの古い型のもので敵になるとも思えない。
それらを一瞥し、此方に向けて銃を構えたアンフの腕を撃ち抜いて、アレルヤは彼の名前を呼ぶ。
「ロックオン」
「だからな、」
「終わらせます」
そう言ってアレルヤはコンソールを操作する。キュリオスは飛行機形態から変形する。中空に停止し、マシンガンの狙いをつけた先は、あの教会。
引き金をひく。
軽い反動を残して放たれたエネルギーの粒子は、逃げ出す人々ではなく古い建造物を砕く。それは、爆発音を立てて炎に包まれる。沸き上がった熱にガンダムは少しだけたじろぐように揺れた。
「……あー」
ロックオンはそれをアレルヤの背後から見ていた。
彼が力をこめて掴んだコクピットシートがぎりと小さく震えたのがアレルヤにはわかった。黒煙が沸いて、結局アレルヤが踏み込むことのできなかったそこを、炎が全て消し去ってしまうのを見下ろす。
「終わるかね」
「終わらせるんです」
そう言ってアレルヤは振り返らずに応える。
「終わりにしてください、何もかも。あなたが何を壊したかったのかも、何を壊してしまったのかも、僕にはわからないけれど、でも、全部」
此方に銃を向けるものを、あるいは誰かを害そうとするものを、しかりつけるようにキュリオスは銃を向ける。その先にあるものを守るために。
その有り様は、ロックオンに、デュナメスに倣うものだった筈だ。
「これで終わりだ」
アンフの足を砕いてアレルヤは言う。
「僕達にはこれしかできない。此の力には終わりにすることしかできないんだよ。わかってた筈だろう、ロックオン。こうやって終わりにすることしかできないんだから、僕らが不用意にはじめてしまってはいけないんだ」
「アレルヤ──」
ロックオンはコックピットシートの背後に縋り付くように座りこんだ。アレルヤは、振り返れないままで言う。
「でも、終わりにすることはできた」
少なくとも、いまは。
まだはじまらなかったものを、はじまらなかったままに。
「ロックオン、僕はあなたの助けになれたかな」
降伏を継げる白い閃光弾がふたつ、街の中心とはずれから上がる。それを見上げながらアレルヤは尋ねる。
ロックオンは何も応えなかった。
結果としてパリアで起こった事件はトップニュースで報じられることになる。無論それは、それが国際情勢の中で重要な事件だったからというわけではなく、それにソレスタル・ビーイングが性急に思える程の速さで介入したゆえであったのだが。
「どちらの勢力にも死者はゼロ」
そう言ってベッドに寝転がっているロックオンの頭の上に、アレルヤは新聞を落としてやった。ハロが陽気に、ヨカッタヨカッタ!と連呼して飛び跳ねる。
不用意な事故で怪我を負ったため身動きのとれなかったロックオンを、アレルヤが保護してついでに紛争も止めた──と、ヴェーダに報告をした。大筋で間違ってはいないそのレポートに、ティエリアは軽く眉を蹙めただけだった。少なくともアレルヤに対しては。
「怪我人も大して出ないまま停戦にこぎ着けたらしい。政府は力を取り戻して、しっかりと反乱側に処分をした。少なくとも僕たちは遅すぎるということはなかった──そういう意味で、あなたの判断は正しかったのかな」
「……嫌味か?」
新聞の下から覗いた碧の眼が、じとりとアレルヤを見上げる。掠り傷どころか充分に重傷であったロックオンは暫くベッドから動けずにいる。とはいえ使い物にならないというほどではなく、戦線に復帰するには半月も要しないだろう。
「そういうつもりじゃなかったんだけど」
「大体そのニュースは間違ってる」
「何か違うのを見た?」
「少なくともひとり死んでいるだろう?」
ぐしゃぐしゃと新聞を丸めて、ロックオンはアレルヤに投げつける。それを受け取って丁寧に皺を伸ばし、ぽんとベッドサイドに置いて自分はベッドの縁に腰掛けた。
「『戦死者』じゃ、ないんじゃないかな」
「そう思うか?」
アレルヤはそれに応えずにロックオンの髪に手を伸ばし、そのやわらかな色彩をかき混ぜる。気持ちが良いのか少し目を細めたロックオンは、自嘲するように笑う。
「少なくともあの紛争を起こした切欠の死者だ」
「それでも、違うと思う」
そういってアレルヤは首を振る。
ロックオンとそのおとことの、言ってみれば戦争だったのだ。紛争が起ころうとしたのは、その副次的な結果でしかない。
そう、アレルヤは言おうとして、しかしやめた。その程度の言い替えで、ロックオンを納得させることができるとは思ってもいなかったし、それがアレルヤ自身に対してすら、言い訳にしかなってはいなかったからである。其処に存在しているのは、紛争が起こりかけたこと。或いは起こったこと。それをガンダムが止めたこと。それだけだ。
何も言わないアレルヤに、ロックオンは笑いながら首を傾げる。
「……不適格、ってことになってもよかったんだぜ。なるべきだったし、お前はそうするべきだったんじゃないか?」
「でも、紛争は終わった。約束もした」
そう言ってアレルヤは訝しげに見上げるロックオンの額に口付けを落とす。
「十年後まで僕たちは生きていなきゃいけないんだよ、どれだけ間違いをして、どんなに後悔をしても、その結果どんなに怨まれても。僕らを待っている彼の為に、僕らは生きていなきゃいけないんだ」
「なるほど」
ロックオンは静かに呟いて、笑った。
「それが一番、大変だ」
長い話におつきあいいただきありがとうございました。
駆け足過ぎてボロボロです。もっとちゃんと腰を据えればよかったという後悔。