高く孤独な道をゆけ









 事件現場になった教会は、非常線が敷かれていて立ち入りが禁止されていた。
 しかしその周辺には所在なさげなひとびとが集まり、不安げに視線を向け、或いは花束を持って立ち竦んでいる。面倒を見ていたという子供たちだろう、親に手を引かれてくる者もあった。それを軍人らしい大人たちが、固い表情で見回している。
 この中に犯人が居るかもしれない、というわけか。
「まったく」
 傍に所在なさげに立っていた女が、溜息をつくのに振り返る。彼女はアレルヤではなく、その隣に立っていた夫らしき男に話しかけているようだった。
「あんなおじいさん殺してどうなるものでもないだろうに」
「そうだな。ただの物盗りならば話は早いのだろうが」
「だからって殺されるのは酷い話じゃないか。それにあのひとがろくに金なんか持ってないのは、この辺の人間なら知ってるだろ。子供に使うか、それじゃなかったら全部呑んじまってたさ」
 夫婦は悲しげな表情をつくって大通りを歩いてゆく。溜息をつく彼らを見送って、同じように不安そうな表情を作りながらアレルヤは再び軍人たちに目をやった。
 つい最近まで内紛の続いていたという国の軍人たちはどれも戦闘馴れした表情で、少しでも不審なものがあればすぐに銃を向けるだろう。
 それでもアレルヤは、彼らの表情の隅に武器を持たぬ者たちと同じ不安の色を見た。
 この平和、ようやく手に入れた国と政府。それを脅かす者が存在するという事実は彼らの足元を不安定なものにみせる。望まれて存在するはずの現在と未来だ。例えその過去に何が続き、その下にどれだけのものが押し潰されていようとも、それらにはもう決着をつけていて、もうその奥底からは溢れて来ない筈だったのに。
 しかしアレルヤはそんな場所からこそ、暗いものが溢れてくるのを知っている。
 知っていて、それを酷く口惜しく思う。
 安寧。平和。それはもっと、彼らが望みさえすれば手に入る筈なのだ。その望みは容易く打ち砕かれる。何よりも彼ら自身の手によって。ある意味ではそれを構築するためにうまれたアレルヤはそれを喪う様を見て狼狽する。本当は自分たちなど、必要ではないものなのに。
 自分たちなど、要らなくてもよい筈なのに。


 そのとき。


 鈍い炸裂音にアレルヤは振り返る。音。
 それに呼応するように同質のものが響く。知っている。これは銃声だ。
 遠く響いた悲鳴。市民は口々に不安げな声を上げる。さらに重なる銃声。車の走る音。教会の周辺を警備していたものたちも連絡が届かないのか一様にみな狼狽の色を浮かべている。
 火薬を用いた銃はエネルギーをチャージするタイプに押されて先進国ではほとんど骨董品扱いになってしまったが、辺境や国力の弱い地域ではまだ正式採用されている。反射的に軍人たちの抜いた銃も、同様のもののようだった。
「何だ、何事だ!」
 食ってかかる市民に軍人たちも首を振っている。警備をしていたうちの数人が音のした方向へ駆け出し、それを追うべきか止めるべきかを人々は窺うように見守る。また遠くから、銃声。
 アレルヤは、何かよくわからないものの指先が首の後ろを撫でてゆくような感覚を覚えた。
 その名前はきっと恐怖だ。それを余り感じることがないアレルヤだったが、その深さを触覚に近い感覚で意識する。大人が、子供が、何かに怯えるようにあてもなく周囲を見回す。同じものを彼らも覚えている。
 その感覚は伝染するものだ。
 ひとの顔を見て、己の顔を映して、その伝染は更に拡がる。最初はたったひとつの、銃声にすぎなかったというのに。たったひとりの死にすぎなかったのに。

「──連中のアジトを軍が見つけたみたいで、」
「──でもそこがだけではないかも、」
「──政府軍にも被害が、」
「──巻き込まれた民間人も、」
「ああ、なんてことだ」

 伝染する。
 アレルヤは目を伏せて石畳を見つめた。どうしてだろう。自分はまだ憎しみが形になる前に此処に来た筈だったのに、どうして何もできないのだろう。
 自分は彼を、見つけることもできないで。
 そう思って顔を上げて──アレルヤは目を瞠った。
 一様に不安の色を抱えたままで、銃声の響いた方へ、駆け出そうとする群衆があった。その中から頭半分出た、目立つ明るい色合いの髪。見慣れたそのいろ。
 見間違いかと思った。求め過ぎてついに目までおかしくなったかと思った。だが、彼が辺りを窺うように見回し、世界を薙ぐその眼差しに確信する。自分に射抜けぬものはないと知ってその撃つべき場所を探す、傲岸に思えるほどの強い視線に。
 その一瞬だけ見えた双眸。たったひとりだけ、揺るぎない色を抱えたみどり。
「ロ──、」
 アレルヤは、殆ど絶叫しそうになった声を押し込んで転がるように走り出す。その声が聞こえたわけではないだろうが、かれは一瞬足を止めかける。ただ前の男が転びかけたのを支えるように手を伸ばした、それだけの動きだったのを認めてアレルヤはわらう。ああ、かれだ。かれだ。
 石畳の間隙に足をとられそうになって、踏みとどまって、走る。
 不安など、恐怖など。知ったことか。
 彼がいるならば。


 手を伸ばす。
 その手首を掴んで、力をこめて。


「やっと見つけた!」
 不意に捕らわれた獣のような動揺を湛えて振り返ったみどりいろが、自分を認めて目をまるくする。ああ、そうだ。この顔を見たかったのだ。そう思いながらアレルヤは彼に飛びつくような勢いで抱きついた。
「あ、アレ──ッ?!」
 ひっくり返った声が自分の名前を呼びかけてやめる。吐き出しきれなかった息がひゅうと喉を変な風に鳴らして、それからロックオンは言葉の変わりに同じ強さでアレルヤに抱きつく。




 その強さは縋り付く子供のようだと、何故かアレルヤはそう思った。