高く孤独な道をゆけ









 それは、ロックオン・ストラトスが休暇を利用して旅行にゆくのだと意気揚々と出かける一週間前の話になる。
 その日彼が共用のディスプレイに表示させていたのはAEU出資のネットワークが配信している番組で、戦争孤児にスポットを当てたものだった。現実味を欠いた作りと夢見がちな語り口に刹那は30秒で飽きていたが、ロックオンの方はまるで飽きる様子では無く、しかし大した情熱があるようでもなく、頬杖をついて視線を外さずに見ていた。
「興味でもあるのか?」
 その口調に幾らか棘を含ませて刹那は尋ねる。載せた感情は侮蔑に近いかもしれない。くだらない、そんな思い。
 しかしロックオンは構わないふうに頷く。
「まあな」
「こんなものは、嘘だ」
「だろうな」
 溜め息の混じった口調には相変わらず熱意が見えずしかし視線はそらさない。その居心地の悪さは、きっとロックオンには伝わっていない。
 苛立ちを覚えながら刹那は訊く。
「ならば、何故」
「行きたいから」
 そう言って、ロックオンは、まばたきをした。
 そうしてから、小さく呟く。
「………あれ?」
「何、」
「あー、いや」
 そうしてゆっくりと視線を巡らせて、刹那を見て、言った。それからいつもどおりに、へらりと笑う。刹那の苛立ちはあっという間に融解して、消える。それでようやくその感情の理由を知った。この男が自分を見なかったからだ。
 自分ではない、今ではない、遠い深淵を見ていたからだ。
「この辺にさ、」
 そう言ってロックオンは画面を指で示す。子供たちは元気に石畳の路地を駆けている。それを笑顔で見守る大人たち。
「今度の休暇に行ってみようと思ってて」
「……何故?」
「面白いらしいんだよ、風景とか。ちょっと前まで政変でゴタゴタしてたらしくて、行ってみたいで止まってたんだけどさ、こんな感じならいいかなって」
 そう言いながら画面を見るロックオンの表情に、刹那はまた腹のそこからじりじりと沸き上がる苛立ちを覚える。こちらをみない男。嘘を塗り重ねた楽土。過去を見る男。
「うん、行ってみようと思ったんだ」
 笑う男。消えない感覚。
 その感覚の名は、或いは不安というのかもしれなかった。



「ジャーナリストだの、軍人だの、胡散臭い連中がごろごろ来てねェ」
 ホテルの女主人は先に立って階段を上がりながら笑って言った。背も高いが横幅もある女性で、からからと笑う声が気持ちがいい。アレルヤはトランクを抱えたままで頷いてみせる。
「そうみたいですね、道を歩いてても、よく見ました」
「だろう? どうもああいうのは好きになれないよ。泊まりにきたってお断りさ。あんたみたいな優しそうな子なら大歓迎なんだけど」
「はは」
 テロリストは申し訳なさそうに苦笑する。
「しかし珍しいねェこんな季節に。あんた学生さんだって?」
「ええ。出身は人革連ですが移住したんです。今はアメリカの大学で経済学を──先月から研究旅行で、あちこち回っているんです」
「難しいことをしてるもんだねぇ!」
 女主人は心底感心したふうに声を上げる。
「こんな時期だし、何しろここは小さいし新しい国だからね。何の足しにもならないだろうけどさ、まあ休暇だと思ってゆっくりしていきなよ」
「ええ──何かもっと、大騒ぎになっているのだと思いましたよ」
「おや、ニュースで見てきたかい」
 楽しそうに女主人は笑った。階段を上がりきって、廊下を右へ曲がる。こんな季節、と言う通り、ホテルの中には大して客の入っている様子でもなかった。まだ軍人くずれでもなんでも、泊めてやったほうが経営にはいいかもしれないが、それはそれで彼女の気が休まらないのだろう。経済学生のにせものはそんなことを考える。
「お偉いさんは色々大変みたいだけどね。あたしらみたいなのには何も関係無しさ。内戦だって前やったけど、部屋ん中に入ってりゃああっという間におわっちまうよ。ああ、そりゃあ教会の爺さんが死んだのは残念だけどね」
「高名なひとだったと聞きました」
「そんなことまでニュースでやってるのかい。そりゃあ爺さんも浮かばれるだろうねえ」
 はは、と女主人は笑う。
「高名ったってただのボランティアさ。内戦のときの軍人だったんだがそのときの孤児を集めて学校つくってね。その子たちが大きくなってからも学校のまねごと続けて、無口だったし顔も恐かったが気前はいいし何より恐いのは顔だけで滅多に怒らない。たまに呑んだりもしたもんさ」
「そうですか──」
「まあ、悪い連中は息子たちがどうにかするだろうよ。」
 湿っぽくなった空気を吹き飛ばすように、女主人は大声を上げて言う。
「国も動いてるし、みんなで何とかしようとしてる。すぐにごたごたもおさまって、何でもない街になるだろうよ。ホラあれ、ナントカカントカも来る暇は無いさ」
「ソレスタル・ビーイング?」
「学生さんは物知りだねぇ」
 アレルヤは軽く肩を竦めてみせた。
「ユニオンじゃあそのニュースばかりですから」
「この辺でもみんな知ってるけどね。まあ、あんなのは大きな国ばっかりだろ? こんな田舎じゃあそんな派手なことは起こらないさ」
「戦争は、起こらないと思いますか?」
「何、大したことはないよ」
 女は笑って言った。
「世界はそう簡単に変わらないさ」
 そうだろうか、とはアレルヤは言わなかった。



 案内されたのは三階のつきあたりの部屋で、長く使っていない風ではあったが小綺麗にしてあって快適だと思えた。トランクをベッドの上に放り投げると、アレルヤは力をこめて窓を全て開ける。
 夕刻の街には影が長く伸び、通りを足早に歩くひとが目立った。そのひとつひとつを確かめるように視線を彷徨わせながら、アレルヤは暫く窓際に立っていた。
 多分、この国は紛争になるだろう。
 それはアレルヤの勘でしかなかったけれども、半ば確信のようにそう思う。それは街を歩く人の顔の中に忍び込んだ不安であるとか、緊張、それを受け容れたように逆に大声で笑う女、そんなものを重ねれば重ねるほど事実のように思えた。
 死んだのはひとり。
 だが、その投じられた小さな石のひとつぶで、波紋は広がりより大きくうねりをみせるのだと、アレルヤは知っている。
 そうしてその波打ち溢れる水面を、やがて閃光が穿つのだ。
 その様をそれ以上想像するのがたまらなくなって、アレルヤは視線を逸らす。しかしこの街に、彼は残されているのだ。事態がもっと悪化する前に、彼を見つけて、連れ出さなければならない。このうわべの平和を保とうと必死に装う街の中から、彼のための戦場へ。
「ロックオン」
 その声が届くと思えぬまま、アレルヤは呟く。
「何処にいるの、ロックオン」