高く孤独な道をゆけ









 ある寒い夜のことだった。
 カール・ウィンスレイは車の衝突するような衝撃音を聞きつけて振り返った。その先には街に古くから残る教会があり、その音はそれきりで続くこともなく、何の声も車の音も無かった。いつも通り、静かな田舎の街。
 そこで選ぶべき正解は、元々歩いていた方向へと向き直って家路を急ぐことだったろう。ただでさえ事務仕事が長引いて帰りが遅くなっていたのだ。妻や娘たちも心配する。しかし、ウィンスレイ氏は正義感が強かったし、何よりも好奇心旺盛だった。その教会は普段彼が日曜日に通っている教会であったし、その主は彼の娘の名付け親でもあった。
 ゆえにウィンスレイ氏はそのまままっすぐに教会へと歩きながら、話しかけるべき内容を考えた。最近寒くなって来ましたねえ。まっすぐ帰るのも辛いもので。ところで今音がしましたけれども、何か倒しましたか?
 その思考は何かガラスの割れるような、硬質な音に遮られて止まる。
 反射的に足を止めたウィンスレイ氏は、しかしその強い正義感(と好奇心)でもって立ち直り、しかし辺りの気配を窺いながらおっかなびっくり教会の戸口へ立った。扉に手をかければ、ぎぃ、と鈍い音をたてて容易く開き、その音に驚いた彼は其処で動きを止めた。
 ひょう、とつめたい風が吹いて彼の背中を冷やす。
 扉の内側から何の反応もないのを確かめるように立ち竦んでいたウィンスレイ氏は、漸く扉に力をこめて開く。そっと顔だけ忍び込ませて、覗き込んだその中は、深夜ではあったが全ての蝋燭に火が灯っていて充分に中を窺うことができた。
 いつもと変わらない教会。乱れなくまっすぐに並ぶベンチの一番前に、見慣れた背中を見つけてウィンスレイ氏はほっと胸をなで下ろす。きい、と小声を上げる扉にももう恐怖を覚えることなく、彼は笑いながらその背中に近付く。
「こんばんは、最近寒くなって来ましたねえ」
 頭の中でつくっていた言葉をなぞるようにして、彼はベンチの間を歩く。男は振り返らない。かれも最近は随分耳が遠くなってしまったから、とウィンスレイ氏は苦笑する。昔は軍人だったというけれども、年というのは皆一様にとるものだ。
 気が付くべきだったのだ。彼のその過去を考えればこそ、扉の開く音に振り返らないわけがなかったのだ。
「あの──どうかしましたか?」
 不審な音についての引っかかりを見失ってウィンスレイ氏は尋ねる。返事はない。足が酷く重いのに、急かされるように早めてしまう。識りたくないのに、識りたいように。
「あの、ミスタ──ッ!」
 そう名を呼びかけて、手を触れようとして、覗き込んで。
 その額に黒い穴の穿たれているのに気付く。



 ある寒い夜のことだった。
 街の人々は車の衝突するような衝撃音と、次いで響いた悲鳴に教会の塔を振り返った。



「と、いうのが事の起こり」
 イアン・ヴァスティンは片手でハンドルを操作しながら煙草の灰を窓の外に散らした。トレーラーは重い荷物を引き摺りながら、山間の道を走ってゆく。
 隣の席で窓の外を流れる風景を見ていたアレルヤは、イアンに視線を移すと静かに言った。
「ポイ捨てはよくないよ」
「灰だけだろうが。感想は?」
「ちょっと演出過剰」
「ニュースでやってたまんまだぜ」
 イアンは肩を竦めると、視線を前に戻した。斜面を切り崩した幅の広い道路はまっすぐに北へと続いている。右側にはなだらかな斜面の続く森林が続き、反対には切り立った崖の岩肌が見えた。季節が季節ならば危なくてしょうがないだろう。時折すれ違う車は大型のものが多く、軍用らしきものとも幾つかすれ違った。
「世界には悪い巡り合わせってのがあるもんで」
 話を続けるイアンは宣言したとおりに短くなった煙草をシートの横の灰皿へ落とす。備え付けの灰皿は既に満杯になっていた。
「その死んだ爺さんこそが、陸軍のトップの親父だったというわけだ」
「……何故彼は、教会に?」
「元々は軍人だったのがやめちまって、そこで先生をやってたんだと。聖職についてたわけじゃあなかったが、殆どそれに近いようなもんでな、近所の子供を集めて教室を開いたり、悩んでる奴らの相談を聞いてやったり。有名人だったらしくて、テレビにも出たってな、そういう映像も流れてたぜ」
「慕われていた、というわけですか」
「元軍人、今聖者ってわけだ。まあ、どちらにしろ国の恩人だから同じようなもんだろうがな」
 新しい煙草のケースに手を伸ばしながら、イアンは続ける。
「とはいえ息子は怒った。このおれの親父を殺したのはどこのどいつだ許しちゃおけねぇ」
「そんなものですか」
 アレルヤは開けはなった窓に鼻先を突き出すようにして呟いた。イアンは不満げに鼻を鳴らす。
「何だよ」
「すいません──正直、よくわからないんですよ。そんな殆ど軍事政権のような場所で、そこまでのポジションまでのしあがった人物が、『親』というものをどのように考えているのかを」
 生きていれば遭いたいと思う。そもそも存在するのならば。しかしアレルヤには親子の情というのがあまりよく理解できないでいた。何よりも近い存在が、自分のはらの内側にいるというのに、それ以上のものの何を親しいと思うのだろう。
「──俺も他人の神経まではわからんがな。だがこう考えれば同じだろ」
 振り返ったアレルヤに、イアンは火のついていない煙草の先をひょいと向けてみせた。
「例えばこれから行った先、アパートの鍵をこじ開けたところで、ロックオンが脳天に風穴開けてぶっ倒れてたらどうする?」
「付近一帯を焦土にしたって構いません」
「つまりそういうことだろ、ガンダム・マイスター」
 軽い口調で言って、イアンは笑った。暫くイアンを睨み付けていたアレルヤは、ああ、と浅く頷く。
「ひとの立場やら肩書きやら、やってることは違うだろうが、本質ってのは変わらんよ。やり方は違うかもしれんがな。親だろうが何だろうが、近いもんが死んだら泣くし、怒るし、何よりも敵を探すのさ」
「わかりました、ただ」
「ただ?」
 イアンが銜えた煙草にライターの炎を近づけたのを見て、アレルヤは再び窓の外へと顔を向けた。光合成されたばかりの酸素とオイルの匂いが混ざり合った空気を吸いこめば、肺の底にそれが溜まりこんで、重く沈んだように思った。
「厭な予測を言わないでください」
「すまんね」



 道を外れたところにコンテナは下ろされて、トレーラーは空荷になる。イアンはこのままさらに北上して、装備品の調達にゆくのだという。
 アレルヤはひとりでそれを見送ると、さて、とコンテナを振り返った。
「できればこれを開けずに済ませたいよ。そう思わないかい、ハレルヤ?」
 はらの内側の声は、そうかい?、と笑った。