砂の味









 がしゃん、と響いた音に驚いて、刹那は顔を上げる。
 見回して見ても、自分ひとりしか居ない食堂には何も変化はない。音は部屋の外から聞こえてきたもののようだった。エクシアの調整レポートはまだ半分ほど残っていて、それから眼を通さなければいけないものは幾らでもある。情勢も変わっているからニュースも見たい。他の物事に気を払っている余裕などない。
 ないのだ。
 刹那は視線を落として、携帯端末の表示を消した。
 そうしてポケットにそれをしまうと、躊躇いなく椅子から立ちあがって床を蹴る。



 好奇心、それを消す方法はない。



「あ、」
 扉を開けて通路に顔を出した瞬間、音に気付いたのだろう反射的に振り返ったロックオンが間抜けに口を開けた。見たことのない顔をしていて、それに少し驚く。失策を犯した、そう思って表情を動かす、人間のかお。
 その向かいに立っていたのはフェルトだ。朱色の髪に縁取られた表情は、いつも通りに無表情で、そういう意味では自分も大差ないけれども。
「刹那、わりい、あの、」
「関係ないでしょ」
 自分を追い払おうとしてか、それとも助けを請うたのか、名前を呼んだロックオンはフェルトにあっさりと遮られた。その華奢なてのひらが、縋り付くような強さでハロを抱えている。く、と力のこもっているのが、関節の強ばり方や節の浮いているさまからみてとれた。
 怒っているのだ。
 言葉は相変わらず彼女らしい、感情のこもらないものだったけれども、むしろ必要以上に慌てた様子でロックオンはフェルトに向き直った。
「や、あの、フェルト」
「わかってるくせに」
「悪かったって、だから」
 刹那はゆったりとドアの脇の壁に凭れる。そこに居るのがどうもロックオンの気に障るらしく、ちらちらと此方に視線を向けるのだが、フェルトは一切気にするつもりはないらしい。
「もうしねぇって、約束するからだから、な」
「──嘘つき」
 懇願するように身を屈め、背の低い少女を半ば見上げるようにして言う長身の男の格好はなかなかに間抜けで、それを刹那は少し面白く思いながら見る。そこまでやってもすっぱりと彼の言葉を拒絶するフェルトのやりようがまた愉快に思えた。
「ッ、ほんとだってば!」
「そういって何度、裏切ったと思ってるの」
「俺ばっか悪いんじゃねーじゃん!?」
「事実でしょう?」
「フェルトぉ!」
 殆ど縋り付くようにして悲鳴を上げるロックオンに、フェルトはそれで殴りつけるような強さでもってハロを押し付ける。反射的に受け取って、しかし勢いを殺しきれずに少し後退したロックオンの、慌てたような顔をめがけて、躊躇いなくてのひらを振り上げたフェルトはロックオンの頬を張った。
 ぱん、と小気味のいい音が響く。
「約束は守って」
 き、と強い視線でロックオンを見上げたフェルトは、そう言って床を強く蹴りつけた。刹那から離れるようにして通路の奥へ進み、そうしてドアの向こうへと消える。涙の飛沫だけを残して。
 残されたのはハロを抱えて呆然と立ちつくす男と、ハロと、それを見ていた男。
「……何でいんのお前」
 重力のない空間を重く支配していた沈黙を割って、酷く緩慢な動きでロックオンは刹那をふりかえる。刹那はそれに、軽く肩を竦めてみせた。
「俺を呼んだだろう」
 刹那、と言いかけて、何かを告げようとした。その続きを待っていた。
 そう言った刹那の言葉に、撃たれたように顔を上げたロックオンは、その表情のままで刹那に言う。
「──嘘だろ」
「ああ」
「……このやろう」
 かくりと肩を落としてそのままずりずりと床に座りこんだ男は、あー、と呻く。それを囃し立てるように、彼の手の中の球体ロボットがぱたぱたとカバーを開閉させた。
「ブタレタ! ロックオン、ブタレタ!」
「誰のせいだと思ってんだよッたく」
「裏切ったのがか?」
「お前までそういうこと言うか」
 かくりと首を後ろに倒して、壁に後頭部を打ち付けた男は、いってッ、と叫んで後頭部を抑える。間抜けで大仰な仕草には笑みをちらりとも浮かべず、刹那はそれに歩み寄ってロックオンを見下ろした。
「ロックオン」
「……約束は守りますよ」
「何のだ」
「フェルト」
 そう言ってずりずりと億劫そうに立ちあがったロックオンは、刹那の目の前にハロをつきつける。電子的な光る目と、思いっきり目があって刹那は反射的に瞬きをする。
 しかしロックオンの示したかったのは、そんな表情豊かすぎる無表情の面ではなかったらしい。この、と言ってその滑らかな金属の接合部分を示す。そこに沿ってついとすべった彼のグローブの、指先についた黄色いかけら。
「──砂埃?」
「猫でもねーのに砂浴びしやがって……」
「アッタカイ! アッタカイ!」
「お前はそうだろーがな! 俺はお前を壊さないって連れ出してんのにそんなんで万が一不具合起こさせたら不味いって要するにこれはとばっちりだよな」
 陽気に連呼したハロを、ロックオンはてのひらでぺしんと叩き、刹那に向き直って宣言する。
「てなわけで今日の俺の予定は全部放棄だ。埃ひとつ残さず奇麗さっぱりクリーニングして、フェルトに返還しねぇとあいつはこれをトレミーの無菌室ん中にでも隔離しかねねぇ」
「ロックオン、」
「ん?」
 前準備とばかりにハロの表面をグローブで擦っていたロックオンは、刹那の不意の呼びかけに顔を上げる。その返事を待たずに、刹那はロックオンからその球体を取り上げた。
 てのひらで触れる滑らかなその表面を、そっと探る。
 ふと指先に触れた感触。爪の上に載った、ひとひらのきんいろ。
 大地のいろ。
 苛烈で、熱く、冷たく、ときに、あたたかな。
「──手伝いは要るか?」
「すげー助かる」
 表情を緩ませた男のことなど構わずに、刹那はその指先を口に含む。重力が低いせいだろうか、それは酷く甘く感じられた。




多分アフターアザディスタン。リクの意図的な読み違いをいい加減に反省した方がいい。