(とりあえずは)優しさを半分









 ロックオンに割り当てられたパーソナル・スペースから彼が一歩も出ていないのだと聞かされて、アレルヤは仕方なく腰を上げた。
「あら、行ってくれるの?」
 驚いたふうに声を上げるスメラギに、アレルヤは軽く肩を竦めてみせる。
「僕に行かせるつもりじゃないんですか? 説明する手間は省いたほうがいいでしょう」
 少なくとも他のマイスターにはそんなことを言ったところで意識を払わないし事実払っていない。ティエリアは先ほどから、プレートから朝食を摂取するという一大事業に機械的に取り組んでいるし、刹那は携帯端末から一瞬も意識を剥がすことはなかった。アレルヤは丁度朝食を終えたところだったし、スメラギは用事がなければそんなことを口に出さない。
 それだけを指摘しなくても、彼女ならそうアレルヤが思ったことくらい予想しているのだろう。首を傾げてみせれば嬉しそうに笑ってみせた。
「お願いするわね、アレルヤ」
「了解」
 アレルヤは空になったプレートを取り上げて席を立つ。刹那とティエリアのプレートを等分に見比べてから、とんと床を軽く蹴って離れるとカウンタでプレートを戻した。低重力とはいえ食事中の席の傍で跳ね回るのは少々マナーに反する。
 ひらひらと此方に手を振るスメラギに会釈を返して、アレルヤはプライベートエリアを目指し通路に滑り込む。バーを掴んでしまえばあとは連れて行かれるだけだから、いつもならば少なくとも自分よりは早く食堂に居る男のことを考えた。
 ロックオンは、あれで他人の目を気にするタイプだ。
 どうあれば自分がマイスターたちのリーダーとして認められるか。少なくとも年長者としてのスタイルを確立できるか。そういうことを無駄に考えている。心配などしなくてもアレルヤはロックオンのことを認めているし、スメラギは最初から在るようにロックオンのことを把握しているし、あとの2人は何をしたところで見方を変えなどしないのだ。そういう意味で、無駄だと思う。
 とはいえそれを習慣付けてしまったロックオンは、いつも割り当てられた時間よりも早くに行動を開始して、他人を気遣いながら自分の仕事もこなす。それが気が付けば日常になってしまって、そのままやめることができなくなってゆく。アレルヤがその立場だったら丁重にお断りするところだったろうが、ロックオンというのは何しろ他人の目を気にするタイプだったのでそれを甘んじて受けた。そういうことだとアレルヤは思っている。
 行き止まりの壁を蹴ってそちらを床と認識しなおす。宇宙空間に適応できるかどうかは結局そういう精神の図太さだ。地面がないから自分でそれを決めなければいけない。頑固過ぎる者は一点に向かう重力という概念に固執して宇宙酔いを起こす。
 アレルヤがこの宇宙に適応しているのは、大して主義も主張もないからだ。
 そんな風に自嘲するように思う。或いはそとがわに引き寄せるものがいくらあるとしても、そんなものより自分のはらの奥底に、もっと深く、重く、引きずり込まれそうになるものを抱え込んでいるからだ。
 くだらないことを考えながら床を2回蹴って、アレルヤはドアの前に立つ。一瞬躊躇ってから、それを軽くノックしてみた
「ロックオン、起きてます?」
 無音。
 どうしようかなとアレルヤは小さく首を傾げる。入るのは容易いし多分入っても怒られないだろうけれども、それがいつものロックオン相手ならばともかく、朝起きなかったロックオンが相手だと思うとそれでいいのかがわからなかった。仕方がないのでもう一度、今度は少し強めに。
「ロックオン、」
 ああ、とか。
 うう、とか。ドアの向こうから聞こえたのはそんな言葉にもならないような低い声。
 ノックの途中で引き留められた手が中途半端に宙に浮いている。どうしよう、と本気で困ったアレルヤに、どうぞ、と今度はちゃんと言葉が聞こえた。
 逡巡ののちにドアを開けた部屋の中で、ロックオンはベッドに寝転がったままでいた。ころりと寝返りを打ってアレルヤを認めると、そのまま手を上げてひょいひょいと手招きをしてみせる。
「──具合でも?」
「んにゃ、あー、おはよ」
「おはようございます」
 諦めてそう挨拶をすればロックオンは満足そうに笑った。それに溜息をついてアレルヤは、彼にも自分にも少々窮屈なところのある狭いベッドに歩み寄った。ロックオンはベッドに横になったままでいたが、見てわかるほどにはっきりと、体調が悪いようであるというふうではなかった。それでも少し顔色は悪く見えて、アレルヤは彼の頬に手を伸ばす。
「朝姿を見ないから、少し心配しました」
「悪い──アレルヤ」
「はい」
「そこの」
 ベッドから伸びた腕が、宙を一瞬彷徨ってベッドから少し離れたチェストを指す。それを追って視線を巡らせたアレルヤは、そういえば彼の指を見るのは久しぶりだなと思ってもう一度その指先を見た。
「二段目の、手前の方に入ってる瓶を……どうした?」
「いえ。取ればいいの?」
「うん。悪い」
「謝罪は要らないですよ」
 そう言って視線を形の良い爪先から剥がし、訝しげに此方を見る男に笑みを向けてみせてから、アレルヤは示されたチェストに向かう。他の部屋にも同じもののある作りつけのチェストは、引き出しを見ればきちんと整頓してあって探すのにも苦労はしなかった。
「水は要る?」
「あー、ください」
「わかりました」
 もう一度息を吸う音がしたのは、また何か言い足そうとしたのだろう。アレルヤが振り返るとのそのそと体を起こしたところだったロックオンは、少し驚いたような顔をしてから困ったように笑った。アレルヤもにこりと笑ってみせて、コップに水を注いでベッドに戻る。
 はい、と手渡せば困ったような笑い顔のままでロックオンはそれらを受け取る。そうして歯で器用に瓶の蓋を開けた。膝の上に転がり落ちた白い錠剤はふたつ。
「貸しですよ」
 錠剤を見下ろしてアレルヤは言った。瓶を脇に置いて錠剤を摘み上げていたロックオンは、不思議そうにアレルヤを見上げる。
「寝坊ってことにしてあげますから」
「恐いな、それ」
 そう言って苦笑したロックオンは錠剤を口に含むと水で一気に流し込む。舌に残った微妙な苦みが気に障るのか顔を顰めて、そうしてそのままの表情でアレルヤを見た。
「あとで何を請求されんだ?」
「そうですね」
 少し考えている、と判断するのに足りるような間をおいてから、アレルヤは顔を上げてロックオンを見下ろす。そうして、柔らかく微笑んでから、彼の前髪をかきあげるとその額に唇を落とす。


「とりあえずは、これで半分」




19話を承けて書こうと思ってたのになんかもう全然違う感じに。
落ち着いた感じになったのでとりあえずリクのものだと言い張って誤魔化すことにしました。