夜警









 その横顔を見て、怖じ気づかなかったかと言えば嘘になる。
 それはアレルヤの知らない顔だった。ロックオン・ストラトスというおとこの。
 広いホールは透明度の高いガラスに囲まれていて、海の彼方まで見通せる。照明を抑えた室内から見渡す夜の海は深い闇に包まれていて、それを静かにぽつりぽつりと浮かんだ星が照らしていた。都会から離れた海の上は決して暗闇などではなく、むしろ晴れ渡った夜のひかりがガラスのうちがわに差し込んで、室内と、そこにいるものの表情を鋭く照らしていた。
 浮かれたリゾートの雰囲気で満たされた部屋の内側に、ただひとりで座りこんでいた男は酷く鋭い眼をしていた。
 笑みを絶やさぬ唇を引き結び、大仰に動く四肢に緊張を漲らせて、優しい双眸を細めて。
 やわらかな円形のソファの端に片足を抱いて座り、その視線は真っ直ぐに海を見ている。
 否、その先の。
 戦場を。
「──眠れないのか、アレルヤ」
 その視線をずらさぬままに、ロックオンはそう言った。そう言うまでアレルヤはロックオンが此方に気付いているとは思っていなかった。
 気付いていないわけが無いのだ。アレルヤは決して注意して気配を殺していたわけではなかったし、むしろ彼に気付いて貰えるように殊更足音を立てたりもした。しかしロックオンはまるでその雰囲気を揺るがせることはなかったし、そうやって名前を呼びながらもそれは一切変わることはなかった。
「いえ、少し寝ましたから……ロックオンは、」
「俺は戻る時にハロに操縦を任せたからな」
 だから休めた、と静かに言い切る、それをアレルヤは嘘だと思う。
 いや、操縦は確かにハロに任せていたかもしれない。クルーに連絡をつけるのも直接の通信ではなくハロに頼んだくらいだ。或いはハロ自身が、ロックオンからシステムを奪い取ったのかもしれない。その理由が相棒への気遣いか、それともデュナメスの一機関としてのパイロットに不足を覚えたからかは、受け取る者の感情によるだろうが。
 しかし、結果はそうであるとしても、ロックオンは休んでなど居なかっただろうと思う。
 自動操縦に任せることができたのはアレルヤとて同じ。それは他のマイスターたちも同様である筈で、しかしそうやって戦線を離脱し、安全空域に入ったと確認しても、いやだからこそ、その意識のうちではっきりと先の戦闘を繰り返し続けていた。その直前まで接していた敗北という陥穽。其処から未知の存在に引きずり上げられたという事実。
 確かに自分たちは生き残って此処にいる。しかし殆どそれは失敗していたのだ。
「眠れないならベッドにせめて転がっとけよ」
 ロックオンは僅かに陽気さを取り戻した口調で言って、視線だけでアレルヤを見た。
「少しは違うぜ。どうせ朝になったらまた全員で顔つきあわせてミーティングなんだからよ」
「ロックオンは、」
「俺はもうちょっと此処に居る」
 当たり前のように言い返して、その視線は海へと戻る。アレルヤは躊躇いがちに踏み出して、彼の座るソファの傍らに立った。その視界を遮らぬように注意をして、追うように、海を見る。
 ロックオンはちらりとアレルヤを見上げて、しかし何も言わなかった。何も言わなかったので、アレルヤは仕方なく訊いた。
「何を、見てるの、」
「ん?」
「何処を見ているの?」
 ロックオンの視線は答を探すように暫く水面を薙いだ。船もいない。他に島もない。それをただ確認するように動いた視線は、しかし諦めたのかロックオンの足下を経由して、アレルヤに向けられる。
「──夜」
「夜?」
「ああ」
 そう言って、ロックオンは再びそこを──それを、見る。
「夜を見てた」
「見ていたら何かが、変わりますか?」
「変わらん」
 そう言って、ロックオンは少しだけ笑った。
「何も変わらんさ。夜は夜だし、此処は安全なんだろうさ。でも、俺は夜から目をそらせないし、夜から隠れたい。こんな日は特に」
「此処にはあなたの敵がいなくて、ここにはあなたの寝床があって。それでも?」
「それでも」
「そうですか」
 そう言って、アレルヤはロックオンの座るソファを背に、彼の足元に傅くようにして座りこむ。驚いたようにロックオンが息を吸うのが聞こえて少しだけ笑った。ああ、その方がいつもの彼らしい。
「アレルヤ?」
「僕も此処で夜を見ています。あなたがそんな形のないものに、連れていかれないように」
「信頼されてないな」
 そう言って苦笑する声はまさしくいつも通りで、そこにまで彼を引き上げたのは、正しかったのか、それともそうやって彼を強がらせるだけのことに終わっているのか、判断をつけられないままにアレルヤは頷いた。
「ええ、まったく」
 そうしてまっすぐに海を見た。もう戦場に彼をひとり置き去りにしたくないと思った。




本当はもう1シーン入れたかったのですがタイムオーバ。