夏への扉









「古典なんだけどさあ」
 不意にロックオンが言い出したのは、ミッションの為にエクシアが単独で無人島の基地から出立しなければならない時間を既に5分過ぎていて、しかしその段階でエージェントからはミッションの準備が整ったというコールが未だ届いていなかった。
 失態だ。ティエリアならばそう吐き捨てるだろうし、刹那自身もそう思う。かといってエージェントが無能であると切り捨てるわけにもいかない。遅れているというのならば、そしてヴェーダがミッションの変更を通達してこない以上はその選択がベストなのだろう。かといってエクシアと飛び立つのを心待ちにしていた刹那にとって、その遅れは失望以上の何物でもない。
 そう苛立ちながらコンテナの裡に横たわったままのエクシアを見下ろしていた刹那に、ロックオンは笑いながら言ったのだ。
「それを潜れば望んだ場所に辿り着けるっていう扉の出てくる話があって」
「どんな冗談だ?」
 言葉を遮って睨み付ければ、はは、とロックオンは笑う。
「まあいいから聞いてろよ。暇潰しにはなるだろ?」
「……」
 暫く視線を向けておいたが、全力で拒否するほど余裕があるわけでもなかったので刹那はそのままに視線をガラスの向こうのエクシアに向けた。喋りたいのならば勝手に喋っていればいいのだ。
 それを非積極的な許容と正しく受け取ったのだろう。ロックオンはガラスに背を凭れさせて続ける。
「結局三百年以上かかったがその技術は確立しなかったわけだが」
「開発は続いていたのか」
「知らねぇけど、やっぱそういうのって憧れみたいのあるじゃん。タイムマシーンとかさ。やっぱり、科学者とかは生真面目に続けてたんじゃねぇの?」
「タイムマシーン、」
「あー……過去まで遡るとか未来にゴーとか、そういうやつ」
 一瞬向けた視線を、くだらない、と逸らす。過去など戻ることができないから過去なのだ。そこへ立ち戻ってしまうというのは、想像すらつかなかった。
 取り戻すことができれば、と。
 そう思ったことを否定はしない。しかしそれはできないし、それを否定すれば此処に至る道程を否定することになる。エクシアへと辿り着いたこの道程を。それは刹那にとっては、何よりも無意味なことと思えた。
 何よりもくだらないと思ったのは、一瞬だけ見てしまったロックオンの浮かべている表情が、そう言いながら何の色も映していなかったことだ。その夢想の中の装置、あるいは思想、そういったものを騙りながらそれを恋うているわけでは無いようで、それをこそ嘲笑おうと思っていた刹那は、肩すかしのような気分になってしまった。
「例えばさ、そのドアが」
 淡々と語りながらロックオンは、この小さな部屋のドアをひとつ、指で示す。
「その扉だったとして、その向こうには夏があるわけ」
「──夏」
「理想としての、夏」
 刹那は眉を顰めてその示されたドアを見る。彼の語彙のうちで、夏、という単語と直接結びつくのは、苛烈な太陽と乾涸らびた大地だった。その次にやってくるはずの季節、いまよりも多少その熱波が弱まるというだけの、次の季節を待って家々の影に身を竦めるだけの季節。
 それが、刹那という名を名乗ることになったこどもを産んだ、広大だけれども結果として『文化的な社会』に取り残されている一部の地域にしか、適応しないイメージであることは、その土地を出たことで知った。確かにそこには地域差もあるが、「一般に」夏は笑顔で迎えられる季節だ。確かにそれは他の季節よりも多少厳しくはあるが、しかしそれは次の季節に実りを約束するもの。ロックオンが理想と呼ぶそれも、きっと其処から逸脱するものではあるまい。
 彼が知っている──ロックオンという名になるまえに知っていた、夏。
 それはきっと、平穏だ。
 ロックオンが知っていて、刹那の知らない世界だ。イメージでしかない、色鮮やかな世界。歓喜の季節。それを彼は無感動に扉の向こうへ喚び寄せる。
「だったら、どうする」
 刹那は同じくらい無感動である自分を自覚しながら、シンプルなそのドアに視線を向けて問う。
「どうって?」
「夏だとして」
「あー──」
 自分で言い出しておきながら、ロックオンはそれに応える準備ができていないようだった。言葉を探すようにして、間抜けに声を延ばす。
 刹那は彼の回答など待ってはいなかった。手元で電子音を鳴らす携帯端末は、エージェントがミッションの準備が整ったのを知らせてきていた。続いた短い謝罪の言葉を一瞥し、しかしそれに返答の必要性は無いだろうと考える。お互いにそんな関係ではない。
「ミッションを開始する」
「おー、やっとこか。気をつけろよ、刹那」
「──」
 まるでその直前の会話など無かったかのようにロックオンは陽気に声を上げ、やはりそれに返答する必要性を感じないまま刹那はゆっくりと歩き出す。彼の示した、夏への扉へ。
 その向こうにあるイメージは、相変わらず不毛の大地のままで。
「ロックオン」
 扉を開けずに、刹那は足を止めて振り返った。不意に名を呼ばれて、ロックオンは少し面食らったように刹那を見返していた。
「ん、どうした」
「回答を聞いていない」
「へ?──あー、どうする、のか?」
「ああ」
 ミッションは既に遅れが生じている。失態だ、という声が脳裏に響く。
 それでも構わないと思う。失態だというのならばこんなことを言い出したロックオンの失態だ。そう言い訳をして刹那はロックオンが一つ頷いてから答えるのを待った。
「──あっちから出る」
 そう言ってロックオンの示したのは、もうひとつの扉。
 刹那は訝しげにその手袋をした指先が示すのを見て、そうしてロックオンを見た。その表情は相変わらず、大して面白いことを言ったという風でも無く、当たり前のような顔をしていて、それが余計に神経に障った。
「あれは何処に通じている?」
「決まってる。デュナメスのハッチだ」
 そう言って、ようやくロックオンは笑う。
「夏への扉はお前のものだ。俺には勿体ないだろう?」




お察しの通りど○でもドアです