今日のあいさつ









 猫は昼寝によい場所を知っている。
 と、よく言うけれども、それならばこの男は猫ではないのだろう。そうティエリアは考える。
 どう考えても睡眠に向いた環境とは思えない。MSの修理ロボットが気忙しげに駆け回るコンテナ内。寒いのか体を小さく丸めながら、体温よりも温度の低そうな球体のロボットを抱えて目を閉じている。ぎゅう、と閉じた眉根がいかにも窮屈そうで、しかし決して起きまいとする意志だけははっきりと見えた。
 この男が先日出ていたミッションは単独でのもので、気候の荒れたところであったので標準の調整もうまくゆかず、それでも不足無くやり遂げたのは流石マイスターと言ってよいだろう。もっともコックピットから這い出すような様子で転げ落ち、そのまま壁際まで蹌踉めき歩いて倒れ込んで、前後不覚という無様な格好を示すようでは、この先のことを考えるとあまり評価できるものではない。
「──3日寝てなかったみたいだから」
 そう言ってティエリアの肩を引いたのはアレルヤだった。
「しばらくこのままにしてあげたほうがいいんじゃないかな。だから蹴り起こさないであげてほしい」
「誰が蹴ると」
 ティエリアは眉を蹙めて振り返る。アレルヤは軽く肩を竦めてみせた。
「そうじゃなければ踏みそうだった。ハロも何も言わないし、これでいいんだと思うよ」
 返事の代わりに球形のロボットは目をちかちかと光らせる。こんななりでも本人より優秀かもしれないとまでいわれるAIだから、パートナーの状況を把握して彼を起こさないでいるのだろう。
 戦闘を繰り返してささくれだった神経が、日常に戻るのを拒否する。そんな精神状態をティエリアとて知らぬわけではない。自分がそういう状況になるかといえば、知識としてそう知っている、というだけに過ぎないが。
 これでよいと言うのならばこれでよいのだろう。無理に起こして場所を移させても余計に害になるだけだ。むしろオイルと硝煙の臭いのする居心地の悪い暗がりの方が、精神を休ませるのに助けになる場合だってある。
 ティエリアは無言でそのさまを見下ろして、彼が目覚めたときに投げかけるべき気の効いた皮肉を探してみた。幾らでも出てくることにほんの少しの満足感を覚えてから、アレルヤをちらりと振り返る。
「それでお前は何をしている」
「目が覚めるのを待ってる」
 アレルヤはそう言って穏やかに笑う。ティエリアに声をかけてきたタイミングからしても、そう離れたところに居なかったのには違いないが、それにしても此方に存在を悟らせなかったのをみれば、彼の眠りを妨げぬように気配を殺し息を潜めてその様子を伺っていたのは察しが付く。律儀なことだ。ほんの目と鼻の先でこうやって、普段の声のままで話しているのにも寝こける男は何の反応も示さないというのにだ。
「何の用があって?」
「僕には無いけれども。起きて何か用事があったら、それを聞いてあげる人間が要るんじゃないかな。無くても話し相手くらいにはなってみようと思う」
「気の回ることだ」
 呆れたように鼻を鳴らせば、アレルヤはむしろ得意げに目を細めた。どちらにしろロックオンには、日常に戻るスイッチは必要だろう。それにはこの男の気性に近いところにいる(多少不安定なところもあるが)、アレルヤが一番相応しいのかもしれない。
「起きて幾らか気が落ち着いたら僕が用事があると伝えてくれ」
「酷いことを言わないで欲しいな。ミッションは完璧だったはずだよ」
「それは把握している。だが──」
 言葉を切ったのは、近付いてくる足音に気が付いたからで。
 その躊躇いの無い足音に視線を向ければ、この場に居なかった最後のマイスターだった。刹那は両手で大きな段ボールを抱えて、まっすぐに此方へ歩いてくる。その視線は揺らぎなく眠るロックオンに向けられていたが、ティエリアの硬質な視線に気が付いたのか、ちらりと値踏みするような一瞥を2人に向けた。
「刹那、」
 少し驚いたような声をかけたのはアレルヤ。
「蹴っちゃ駄目だよ」
「判っている。さっきも聞いた」
 そう言うところをみると、自分よりも先に彼を蹴ろうとした存在が居たらしい。オリジナリティが無いのも考え物だなと思いながら先駆者を見るが、もはや刹那は視線を動かすこともない。ただ一点真っ直ぐに、目標物を見据え、
「──、」
「──あれ」
 横を通りすぎるタイミングで2人の気付く違和感。
 そのまま刹那は真っ直ぐにロックオンの傍へ歩み寄ると、彼の傍で段ボールをひっくり返した。


 そこから滝のように溢れる、はなびら。


 違和感の正体は花の香りだ。この季節、島のはずれで蕾を膨らませていた小さな白い花。それが段ボール一杯分床にひろがって、ひどくささやかに香りをばらまく。
 それは勢いよく散らばって、ロックオンの足下を埋め、また彼の肩やら髪やらまで弾みで舞い上がる。それでも彼は目を覚まさない。
「せ、刹那?!」
 アレルヤが慌てて声をかけたのは、空になった段ボールを下げてそのまま刹那が歩き出してしまったからで、それをロックオンから離れた場所に放り投げた少年は、そこでようやく足を止めて振り返る。
「何だ」
「いや、何これ?」
「花」
 それは知っている。
 ティエリアはしゃがみ込んで自分の足下まで転がってきた一輪を拾い上げる。それっぽっちじゃこの澱んだ空気の中では、何の匂いも感じさせない。
「でも何で」
「好きだと言ったから」
「──ロックオンが?」
「そろそろ咲いているだろうと言われたから持ってきた」
 それで充分だと言わんばかりに背を向けて少年は歩き出す。驚いた表情のままでどうにかその真意を尋ねようと言葉を探す、アレルヤの図体のでかさにティエリアは不条理な怒りを覚えた。
 それをぶつけようとつかつかと歩き出し、蹴りつけるのに選んだのは寝こける男。
「──っだァッ?!」
「ティ、え、あっ、ロックオン!」
『ティエリア! ヒドイ、ヒドイ!』
 いきなり肩口を蹴り飛ばされて、弾みで転がり落ちたハロが飛び跳ねながら電子音声で喚く。目を丸くして此方を見上げている男の眼前に、ティエリアはしゃがみ込んで口元をつり上げてみた。世間一般では『非の打ち所のない笑顔』、と評されるに足る表情をつくってみせて。
「おはよう、ロックオン・ストラトス」
「──何かよくわかんねぇけどごめんなさい」
 髪に花びらをまとわりつかせた分際で、失礼な男は怯えた顔で言った。




リク内容:ハロと昼寝中のロックオンをみんながかまっては去っていく(けど起こさない、みたいな)話。
あっ、起こしちゃった(……こら)