プレステージ
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ノックもせずに練習室に入ってきた男は、入ってきただけで扉をそっと閉めるとそこに凭れて、刹那が一曲弾き終えるのを静かに待った。それに一瞥だけむけてから、刹那は弦の上に視線を戻す。
何をどう求めようとも、この場でのロックオンの立場は刹那の指導者だ。それは否定できるものではないし、否定しても意味がない。
最後の音の連なりをゆったりと速度を落として弾ききって、残響だけ残して弓を離す。それでようやくロックオンは狭い部屋の半ばまで入ってきて、アップライトピアノの椅子を引くとそれに座った。
「なんかクリスマスって感じだな、それ聴くと」
「まだ12月になったばかりだ」
「だけどカレンダーは捲っただろ? 準備ははじまってる。ウィーウィッシュアメリークリスマス!」
陽気に歌って両手を広げてみせるロックオンは、その勢いで一気に新年まで言祝ぐ。そういう祝祭の類をいちいち彼は喜んで迎えるのだろうと刹那は思った。浮かれた男。
「だからな」
そういってロックオンは眼を細めて言う。
「もうちょい楽しそうな音にしろよ。これ、クリスマスに合わせてなんかすんのか?」
「……ああ」
「じゃあまあ声楽の連中の独壇場だな。ダメだぜ自分が目立てないからって他人様の舞台をつまんなくさせちゃあ」
そう言ってロックオンはピアノの蓋をひらくと、刹那の弾いていた曲を指一本でゆっくりとなぞる。子供の手遊びのようなそれは普段聴きなれた技術の高い演奏からひどく遠くて、その単調な音と『ストラトスの音』が本質的に同じであることが妙に新鮮に思えた。
「笑うんじゃねーよ」
見ればロックオンは不満げな顔で此方を見上げている。
「笑ってない」
「うるせぇなどうせ門外漢だよ」
「あんたならどう弾くのかと思っただけだ」
「……おれ?」
そう言われてロックオンは刹那をまじまじと見る。
「……そうだなあ。とりあえずしあわせなうただから、そんな感じだろ。あんま気張らずに、正確さとかじゃなくて、嬉しいとか……」
そう言いながら揺れる視界は楽器を無意識に探しているのだろう。ついと上がった視線がぶつかれば、困ったように笑う。
「今日ヴァイオリン持ってきてないのよ、俺」
「そうか」
「だから、うーん――」
そう言ってロックオンは軽く首を傾げると、音を試すようにポンポンと短く鍵盤を叩いてから、その音と同じ高さの声を出す。
うただ。
そう気がついたのは間抜けなことに刹那の音をロックオンがだいぶなぞったあとだった。ことばではなく、ただ音でしかないうた。違う。これも彼の音だ。刹那が恋をした、ロックオン・ストラトスのおと。
ことばと鼻歌の間をあぶなっかしくさまよいながら、ロックオンの奏でるおとはしあわせをうたう。耳に心地良いテノール。聖なる夜を祝ううた。
「……こんなとこだな」
「歌もできるのか」
「声楽くらい授業でやるだろ? つか歌じゃねぇってこんなん。全然腹で声出せてないし」
肩を竦めて言うロックオンに、刹那は首を振って見せる。
「あんたの音だ」
「おまえはいつもそれだな」
しかしそれをこそ喜ぶように眼を細めたロックオンは、さあ、と手を広げて言った。
「いいぜ、クリスマスリサイタルの前哨戦だ。なんでもリクエストしてみな、あわせてうたってやるぜ」
ヴァイオリン弾きのはなし(弾いてないけど)。
ここまで至るまでのもにゃもにゃを本当は、書くべきだとおもうのです、が、とりあえずそれはおいときます(おいとくな)
うたっていたのはオーカムオーイーフェイスフル(スペルわかんない)。クリスマス色に染まって鳥を売りさばくモスのBGMが、これの弦楽だったので思いついたネタ。聖歌にしては珍しく割と好きなんですけれどもこれ日本以外じゃ別にどうということもないんだろうなあ(いいんだパラレルだから!)(何も考えてない)