家族ルール









 昨日刹那んとこのにいちゃんがティエリア殴ってんの見たぞ。
 そんな級友の発言に、えええええ!とどよめきが起こるのを聞きながら、言われた本人である刹那は何の反応も返さなかった。
「マジでか!」
「あの兄ちゃんが!」
「しかもあのティエリア・アーデだろ?」
 刹那は発言者のほうをちらりと見ただけで、ついさっき出された宿題を休憩時間に片付けるという先ほどまでの行動を再開する。
 問題行動の多い弟の刹那を、何度か迎えに来たり怒られに来たりするうちにすっかり有名人になった『刹那んとこのにいちゃん』は、とにかくその笑顔と如才なさからとにかく好人物と判断されている。彼らが抱えているらしい複雑な家庭環境も相まって、その家族はとにかく他人からの注目を浴びた。もっとも、刹那自身はどんな好奇の視線など興味も持たず、何を言われても放ってきたのだが。
 その『複雑な家庭環境』には当事者の片方であるティエリアも含まれており、一学年先輩であるその男もかなりの有名人であった。黙っていれば男も女も振り向かせるような美少年なのに、口を開いたが最後全員が生きていることを後悔するほどに打ちのめされる弁舌の持ち主だ。最上級学年でもないのに生徒会に入り豪腕を振るい、生徒会長も意見を訊くというほどの副会長である。
 それを、あのにいちゃんが殴った。
「で、ティエリアが殴り返して」
「ぎえ!」
「それでそのまま殴り合いだよ、鮮血の18ストリート!」
「うわ、何で俺昨日部活出ちまったんだろ!」
「なぁそれ詳しく──刹那、おい刹那!」
 ノートをぱたりと閉じた刹那は、それをショルダーバッグに放り込んで、がたりと立ちあがった。それに追いすがるように級友が腕を掴む。
「おい、理由教えてくれよ、なぁ刹那!」
「──、」
「え、何?」
 ショルダーバッグを肩にかけて、刹那は名前も覚えていない彼の顔を見て、言った。
「興味がない」



「刹那ぁー」
 暢気な声が追いかけてくるのを他人だと決めつけて無視できればよかった。
 しかしストライドの差は如実に現れて、声はあっという間に近付いてくる。かといってここで駆け出すほど大人げのない性格もしていなかった。歩くペースを変えぬまま、刹那は声の主に追いつかれるのを甘んじて受け容れる。振り返らなかったのが、せめて示すことのできた矜持というものだ。
「おう、刹那、今帰りか?」
「──ああ」
「そか。今日は秋刀魚だぞ、秋刀魚」
 そう歌うように言うロックオンは、吸いかけの煙草を携帯灰皿に押し付けながら刹那のとなりに並んだ。その頬に大きな絆創膏が貼られているのには、朝食のときに気が付いていた。ティエリアの奇麗なつくりの顔の、似たような位置にも。
 朝と夜は四人でテーブルを囲む。それが彼らの家での数少ないルールのうちのひとつだ。
 最初のうちはそんなものはなくて、しかしルールのひとつも決めなければなんだか格好がつかない、と主張するロックオンによって無理矢理つくられたものだ。朝食と夕食は四人で食べる。夜は7時には帰る。バイトや授業でそうもいかないこともあるが、大抵は四人で揃う。遊び回るのが趣味な人間もいないので結果として揃っている。
 家族っぽくやるんだったら、そういうのが必要だろ。
 そう言って笑うロックオンは、それ以外は自由、と付け足した。
 宣言した彼は、その言葉通りそれ以外の拘束を彼ら『家族』に強いなかった。ロックオン自身、その枠から離れない範囲で好き勝手に生活しており、刹那は自分たちの保護者であるロックオンの本当の身分が、自分よりもいくらか年長の学生であることしか知らない。
「普通に塩焼きでもいいけど、何か凝るかねぇ。どうする?」
「──ロックオン」
「んー」
 首を傾げて振り返ったロックオンの足取りが、つい先ほど自分に追いつこうとしていたときよりもずいぶんとゆっくりとしたものになっていることを、刹那は判っている。
 何も言わないし、何も訊かない。
 ルールにならなかった、それが最大のルールだ。
「蒲焼きがいい」
「お前しれっと面倒なこと言うよなあ!」
 悲鳴のように言うロックオンは、それに激昂して殴りかかってくることもなかった。刹那は少しそれを口惜しく思う。どうやったら彼をそれだけ怒らせることができるのだろう──それを訊く術すらも、自分には無かったことを。



***



 皿を洗う音が収まったのに気付くと、ロックオンは読んでいた雑誌を腹の上に落とした。かちゃかちゃと音が響くのを聞きながらソファの上に姿勢悪く足を伸ばして、人の近付く気配に目を閉じる。
「ティエリアは謝りました?」
「──ぐう」
「何ですか、露骨に」
 顔を顰めて溜息をついた男を薄目でちろりと見れば、アレルヤはひょいと手に持った救急箱を示す。
「消毒」
「ぐう」
「いい加減にしてくださいよ」
「ティエリアの方先に見てやれよ」
 そう言ってハナからばれていた狸寝入りを放棄したロックオンは、身を起こして背伸びをする。
「俺はもう治まってるし」
「自分の顔を鏡で見てから言ってください」
「ティエリアの顔見たから言ってんだけど、俺は」
「ティエリアは謝りました?」
「……ぐう」
 にやりと笑ってそう返せば、もの凄く呆れた顔をしたアレルヤは無言でマキロンを投げつけてきた。頭に。
「っでェ!?」
「これ以上怪我を増やしたくなかったら、消毒させるか諦めて吐いてください」
「ティエリアに訊けよ」
「謝ったかって? 貴方の二の舞はご免だ」
 確かに、と思いながらロックオンはマキロンの蓋を無為に開閉させる。そんなことを訊いたら、殴り合いに発展する前に完膚無きまでに叩きのめされるのがオチだろう。そういう意味で、あの弟分は容赦が無い。
 弟、と思っているけれど、それはロックオンが勝手にそう思っているだけだ。刹那も、ティエリアも。アレルヤも含めて。或いはそういう立場に自分を置いておく方が社会的に便利だから其処に甘んじている。彼らはそういう賢さのある子供たちだった。
「消毒」
「──へいへい」
 漸く諦めて絆創膏をかりかりと剥がす『兄』を、アレルヤは溜息をついて見下ろした。
「貴方がもう少し、素直ないきものだったらいいと思いますよ」
「俺は結構素直な方だと自覚してんだが?」
「いいえ、言っておきますがうちで一番ひねくれているのは貴方だ」
 そう言ってアレルヤは手遊びを繰り返すロックオンからマキロンの小瓶を取り上げる。
「僕は今とても悔しいんですよ」
「──なんで」
「ロックオンがもう諦めてしまったから」
 これは家族ごっこで、でも自分たちは家族ではなくて。ただ家族のふりをしている、お遊びみたいなもので。
「僕にできる選択肢はもう、ロックオンと一緒に諦めてしまうことしか無いんだ。刹那みたいに足掻けないし、ティエリアみたいに怒れない」
「アレル、」
「それ以上余計なこと言ったらマキロン頭からぶっかけてやりますから」
 そう言って瓶を軽く掲げたアレルヤは、奇麗な紫に腫れ上がった彼の唇を舐めた。その傷跡が愛おしいものだと、彼に気付かせるために。


家族パロがブームだった方へ……凄い仇みたいになっちゃった感が!!(ブルブル)
家族!というよりも、疑似家族、というか、むしろ破綻直前、みたいなそういう格好をつくろうと足掻いている人間関係を書く方になってしまう業の持ち主なので(何度かそういう失敗やらかしてる)、できあがってからあちゃあと頭抱えたりしました。すいません。しかもうっかりアレロクが全面に。