星の火









 あ。
 とアレルヤが突然驚いたような声を上げたので、ロックオンのほうが驚いてしまった。何気なく通りすぎた彼を振り返って、え、と思わず同じような声を出してしまう。
「熱かったか?」
「いえ、そうじゃなくて」
 アレルヤはそう言って渡されたマグをテーブルに置き、言葉を探すようにあいた手を宙にさまよわせた。まばたきをしてロックオンは、まだもうひとつマグを持ったままで彼の言葉の続きを待つ。
「少しびっくりしたんです、つまり──手が冷たいので」
「え、そう?」
 そう言うとロックオンは、アレルヤについさっきマグを渡したので空いた左手をグーパー、と開閉してみる。洗い物をしてインスタントコーヒーを入れて、確かにそのまま横着に手袋をしないでいたのだが、それでもついさっきまでマグを持っていたてのひらは、冷たいなどと言われるほど熱を失っているとも思えなかった。
「いえ、そっちじゃなくて、うらがわが触って」
「なるほど」
 それならばついさっきまで水を触っていたのだから納得はゆく。てのひらの側も離してしまったあとでは、急速に熱を失ってゆくように感じられた。かじかむ、というほどではないが、何となくものさびしい。
 ためすように指をもぞもぞと動かして、ロックオンは指の背で自分の頬を撫でてみた。冷えている、と言われて驚かれるほどではないつもりだったが、確かに少しは冷たいかもしれない。
「だけどそんな声上げることでもねぇだろ。お前のほうが手、あったかそうだし血圧高そうだし」
「血圧はどうかわからないけど。冷え性なの?」
「普通だろ。ティエリアの方が冷たいと思うぜ」
 そう言いながら咳についたままのティエリアの前にマグを置けば、その手を引っ込めるよりも前に彼のほっそりとした白い指に小指を掴まれた。あ、と思う間もなく、いつもどおりの不機嫌そうな表情を湛えたティエリアは、ぐいと力をこめて指先を摘むように握りこむ。
 ティエリアの指とロックオンとは、もっている熱に差はないようだった。しかしひんやりとしたすべらかな感触と、眼鏡の奥から自分の指の造形を見据える冷ややかな眼と、見比べてみればその奇麗なかたちの指先も何処かつくりものめいて見えて、血が通っていないなどと冗談を言われても納得してしまいそうな程だった。
 それがぽいと飽きたとばかりに指を放り、ティエリアはそれよりも有価値だと判断したのだろうマグに手を移動させてロックオンを見上げた。
「早くしまったらどうです」
「──今なんか俺ものすっごい傷ついたんだけど、意味もなく」
「そんなことではすぐに狙いも外すでしょう」
 貴方はどうなんですかい、と思わず返しそうになったが確かに血以外のものが通っていそうなこの男が狙いをぶれさせることはないだろう。例えばそんなことを言ったらロックオンのことを背後から撃ち抜きたくなることはあるかもしれないが。
 くすくすと笑うアレルヤを睨む強さで一瞥する。多少、照れが入っていたかもしれない。
 ロックオンはもう一度流しに戻ると、とりあえず放り出したままだった手袋をポケットにつっこんでからもうふたつのマグを取り上げた。
 トレイがないというのは結構不便だと、今更ながら理解する。確かにガンダム・マイスターたちが仲良く一部屋に集まるという頻度は少なくて、大抵食後のお茶はアレルヤが相手になるか、ティエリアや刹那に無理矢理押し付けるかたちで提供するか、という程度だから、わざわざ両手に余る人数分を同時に運ぶ必要はない。
 それでもこうやって、ありえないことではないのだし、できれば二度目があればいいと思う。
 思うのだからトレイくらいあってもいいだろう。そう思ってロックオンは次の買い出しのためのメモに、トレイともう少し質の良いインスタントコーヒーと、できれば揃いのマグカップ、と心の中で書き足した。
 そしてテーブルから少し離れたところまで椅子を引き摺っていってしまった刹那の方へ、マグカップを持ってゆく。
 ほい、と目の前にマグを持ってきてやれば、壁面でニュースを映すディスプレイから視線が剥がされて突き刺さる。邪魔をされて怒っているのだろう。自分たちのくだらないやりとりも、殆ど聞いていなかったに違いない。
「ほれ、これ一杯飲んでる間なんかで別にガンダムは逃げやしねぇよ」
「──そんなことは心配していない」
「じゃあ受け取れ、俺も飲むの」
 そう言ってもう一度目の前に水面を揺らす。刹那は呼吸を2回繰り返すだけの間ロックオンを見上げていたが、ふいとその視線を小ぶりのマグに移してそれに手を伸ばした。色素の濃いしなやかな手が、しっかりと掴んで受け取る。
 よし、と頷いて元の椅子に戻ろうと振り返ったロックオンは、しかし其処から踏み出そうとして脚を止める。
 空いた掌が、握りこまれていた。
「──あ?」
 振り返れば、刹那はマグをもう片方の手に移してしまっていて、受け取った方のてのひらでロックオンの手を甲から握っていた。
 あつい。
 その温度差に、ロックオンは少し驚く。確かに殆ど少年と言えるような年の刹那はロックオンよりも幾らか体温が高いだろうし、ついさっきまでマグを握りこんでいたというのもある。筋肉の差もあるだろう。
 それでも、あつい、と感じるほどの差があるとは思っていなかった。
 動揺して強く引くこともできないロックオンの掌に、ぎゅう、と力がこもる。それをきっかけに深く息を吸って、ロックオンはようやく尋ねた。
「えーと、何」
「あんたは人に熱をやりすぎる」
「……はい?」
「少しは貰え」
 それだけを言って自分のマグを唇に寄せ、美味くないインスタントコーヒーを舐めていかにも不味そうな顔をした刹那は、それ以上の説明をするつもりはないようだった。えー、ともう一度声を上げようとしたロックオンは、笑い声を上げながらアレルヤが近付いてくるのに助けを求めて振り返る。
「なぁ、アレルヤ、」
「いいね、君の手が冷えてしまったら次は交代してくれないか、刹那」
「了解した」
「ちょっとまって!」
 アレルヤは刹那の横に胡座をかいて座り、マグを両手で抱えてくつくつと笑う。その楽しそうなアレルヤの視線と、さも当然のようにコーヒーを舐めながらニュースに意識を戻してしまった刹那の横顔を見比べて、ロックオンは溜息をついて自分のコーヒーを飲んだ。
 そうして次の買い出しではトレイを必ず買ってこようと決意した。






すいません、なんか話が「 掃除の照明 相似の証明」に被りました。