相似の証明









 ロックオンの視線が刹那に向いてしまったのは他に見るものがないくらい退屈だったからだった。
 丁度手持ちのペーパーバックを読み終えてしまって、しかもこれといって感銘を受けるような結末が用意されていたわけでもなかった。好いものであればそれを語れたし、そうでなくとも最悪ならばそれなりに文句を付けることもできたのだが、まるでそんなものもない。
 せいぜい登場人物が恋人を賛美する言葉の美しさくらいで、それを刹那に語るのも何か妙な感じがした。彼の語彙の幅を広げるのを、ロックオンは密かに自身の義務であると位置付けているのだが、それは刹那に吸収させても意味のないものであると思った。例えば美しさを語るのならばそれを見たときの胸の内から沸いたものを用いるべきであり、ロックオンがその言葉を美しいと捉えたとしても刹那が必ずそれを美しいと感じる必要はないのだ。
 そう考えて、ではこの少年というべき年齢の美しく猛々しい子供は何を持って美しいと呼ぶのだろう、そんなことを思ったので刹那を見たのである。
 無論それはわざわざ問わずとも正解が見えているものであって、つまり彼が真摯な視線でその整備の状況を見つめているモビルスーツ、その存在自体なのだ。
 ロックオンは、刹那にその感情の強さを説明させることの無意味さをとうに知っていた。何がしかのようである――その例を探させることは無駄だ。刹那にとっては何よりもガンダムそれ自体が最良であり、最も美しいものであるのだから。
 ロックオンは実のところ、『ガンダム』というもの、それ自体に対しては、刹那ほどの深い感慨を抱くことはなかった。
 所詮は武器であり、手段であり、破壊するものである。
 それはロックオンの駆るデュナメスばかりでなく、他のマイスターのガンダムに対しても同じだったし、ソレスタル・ビーイングに属さないあらゆるモビルスーツにおいても同様で、彼が相棒とするハロすらもそういう意味では大差無かった。
 好くか好かぬか、かたちのよしあし、信頼とか愛着とか、そういった思い入れの差は無論ある。しかしその存在自体に軽重は無い。
 ひとはひとだし、ものはものだ。
 だからロックオンはハロを、例えば子供か弟か相棒かであるかの『ように』愛し、エクシアという機体を刹那の『ように』想った。それ以上は無かった。
 その存在が、刹那の生き様を映すように想った。
 だからロックオンは、デュナメスに対してよりも、或る意味では、エクシアのことを好いていた。
「何故、見ている?」
 不意にそう問われてはじめて、ロックオンは自分がエクシアを見ていたことに気付いた。
 確かに刹那を見ていた筈だったのだ。ロックオンは、あれ、とひとつまばたきをする。それで、この目の帯びていた、まるで恋うかのようなわけのわからない熱は四散した。振り返れば純粋に不思議に思っていたらしい刹那の、少し苛立たしげな視線にぶつかった。
「嫉妬かぁ?」
 からかうようにそう問えば、苛立ちはよりはっきりとした強さに変わる。
「違う」
「冗談だって、お前からエクシアをとりゃあしないさ」
「違う。有り得ない」
 刹那は頭を振って再度強く否定し、ロックオンは声を上げて笑った。
「じゃあ何だ?」
 問うてみれば刹那は小さく表情を強ばらせて、それからロックオンを見て言った。
「……嫉妬か?」
「めんどくさくなっただけだろ、お前?」
 露骨にむっとする刹那にロックオンは口端のあがるのを自覚する。この少年がそんな気性ではないことなどわかっている。わかってそれでも口を噤まないでいるのは、今のところロックオンが刹那に呼び起こさせることのできる感情が怒りか呆れくらいだからだ。ならば怒らせる方が楽しい。
 刹那は暫くロックオンを睨みつけていたが、やがてそれに飽いたというようについと視線を戻した。その先に相変わらずエクシアが居て、刹那に見られようとロックオンに見られようと構わずそのまま其処に在るということに、あーやっぱ刹那っぽいなあ、と改めてロックオンは思う。
 思いながら視線を戻せば、刹那は相変わらずに刹那であって、当たり前ではあるがエクシア以上に刹那であって、それはしかしモビルスーツではなくひとなのであって、それが何一つ変わらず其処に在るということにロックオンは少しだけ切なくなった。
 切ない、と思いながら左の手を伸ばせば、思いの外近い距離にあった、右腕に指先が触れた。
 刹那は振り返りもせずにそのままにしていて、それをちらりと見上げたロックオンは、少しつまらないと思いながら触れた手首をそっと手で握った。
 ぐ、と触れたのは、思っていたよりも堅く強い感触。
 決して彼を軽んじていたわけではなかったが、それでももっと子供らしい、柔らかいものがそこに詰まっているのだと思っていたロックオンは少しだけ驚いた。そこにあったのは子供とただ呼ぶことのできない、強いひとつの意志であって、ロックオンが結局持ち得なかったものだった。何かを掴もうと振るわれる腕。そのための力を内包する腕。
 その腕。
「──何だ?」
 刹那はついに気に障ったのか、眉を寄せてロックオンを睨み付ける。はは、とロックオンは笑って、その握る力を少しだけ弛めた。
「鍛えてんだなあ、って思ってさ」
「知っているだろう」
「うん、見てたがね」
 多分このしなやかな腕は、何もかもを掴むだろう。
 ロックオンが掴み損ねた、護り損ねた、何もかもを抱えて、その重みに耐えるだろう。
 そう思ってロックオンは笑う。悪くないと思う。触れていて、幸せに思う。
「気になるんなら、払えばいいさ」
 そう言ってやれば相変わらず刹那は不満そうな顔をして言った。
「離さないのか」
「離す気がしない」
「そうか」
 そう言うと、刹那はロックオンと向かい合うように姿勢を変えた。エクシアから視線を剥がしてしまって、正面から向き合われると流石に面食らう。
 何、と問おうと口を開きかけた、それを塞ぐように伸ばされた腕が、ロックオンの右の手首を掴む。
「へ?」
 思わず視線を向ける。手袋の終わって自分の肌の露出した腕の上を、確かめるように一度だけ指先で触れた刹那は、そのまま手首を強く握りこんだ。ロックオンが先程したのと同じように、感触を確かめるようにして。
 思わず見返せば、刹那は真摯な表情で自分の指先と、その触れている肌を見据えており、ロックオンは己のさして鍛えてもいない、なまっちろい、色々なものを取りこぼした情けない腕を見据えられるのに耐えかねて思わず彼の名前を呼んだ。
「刹那──!」
「厭か、」
「や、じゃなくて」
「ならば」
 そう言って、刹那は少しだけ力を抜く。触れていた指の、堅く強い感覚が遠のく。
「払えばいい」
 言われて、握られた腕が少しだけ震えた。思わず刹那に問われた同じ言葉を返す。
「離さねぇの?」
「離したくない」
「……そ」
 ならば、仕方がない。
 そんなことを考えながらロックオンは自分の捉えていた刹那の腕に、少しだけ力をこめた。そうすれば刹那も同じくらいの力で触れるので、何も見ることができずに彷徨わせた視線を床に落とした。だって万が一にでも、自分と同じものを抱えた眼で見返されたら、自分は一体どうしたらいい。






なんかまた同じような話書いてしまったという感じ。