裏切りと講和









 ふと意識の端に引っかかった気配に瞼を開けると、ベッドの側に刹那が立っていた。
 吃驚した。
 と、表現する以外にロックオンに言葉は無かった。まだ微睡みの側に引っかかっていた片足もぴょんと一足飛びに覚醒にまですっ飛んできて、両足揃えてウルトラC、なんてくだらないことを考えながらロックオンは寝起きで掠れた声をあげる。
「……何、」
「うるさい」
 は、と呆気にとられる。暢気に鼾でもかいていましたか。いやしかし自分はそういう質でもないはずだろう。え、寝言、だが油断してたなら或いは、そのあたりまで思考が到達したところで刹那の視線がロックオン自身ではなく枕元の目覚まし時計に向けられていることに気付く。
「あー…アラーム鳴ってた?」
「起きるなら一度で起きろ」
 それだけを言い捨てて刹那はロックオンの毛布に潜り込む。
「え、おい?!」
「睡眠が途切れた」
 そう言ってロックオンの慌てながらあけたベッドの隙間の、暖かいところを探すようにして少しの間身じろぎしていた刹那は、納得したらしくそこで深く息を吐いて、間をおかずに寝息を立てはじめる。
「えー……、と」
 その様を半身を起こして見下ろしていたロックオンは、結果的にロックオンの脇のあたりに顔をつっこむようにして収まった少年をぽかんと見ていた。
 状況がわからない。
 いや待て落ち着け、と最も向けるべき相手が寝入ってしまったので仕方なく己に言い聞かせながら、ロックオンは事態を把握するべく忙しなく周囲を見回す。結局の処落ち着いていないのが自分だけだということは自覚していた。他に居るとすればハロくらいだがそちらの方はスリープ・モードで、ロックオンが起動を求めて呼びかけない限りは動作をしないことになっている。
 目に入った目覚まし時計は起きようと思っていた時刻よりも少しだけ早い辺りを射していて、そうかそういえば少し早い時間にアラームを仕掛けたのだったと思い出す。
 非常時だとかミッション前とか、目的をもって緊張している時は目覚ましなど無くとも決めた時間に勝手に眼が覚めるものだし、何よりもこんなに無防備に、枕元にまで他人を近づけるということはない。少しの気配でも気付くくらいの神経は持っているつもりだ。
 そうやって緊張を強いられる生活は長く続いていたからむしろそれは自然になっている筈なのだ。しかし全く働かない期間もあって、例えば基地でもプトレマイオスでもない、ミッションを控えて潜伏しているわけでもない、ちょっとした休暇やある程度の猶予期間を与えられて、すっかり神経を弛緩させてしまったときだ。
 そんな気配のない他の年若いマイスターたちを見て、何となく自分が『生粋』ではないのだなと呆れてしまうことがある──たとえばこんな時に。
「──おーい、刹那ァ」
 毛布の下の少年に声をかければ、当たり前のように寝息は途切れて瞼はぱっちりと開く。
「……何だ」
「それを訊きたいのは俺の方なんだけど──まァいい、ちょっとお前、此処で寝んの?」
「何か問題が発生するか?」
「えー、と」
 聞き返されてロックオンはまだ少し鈍い頭で考える。まだ寝ぼけている。どうにも宜しくない。休暇など貰うべきではないなと思いながら、とりあえず回転のスピードを上げる。上げるけれども何にも引っかかりはしない。
「……無さそう」
「ならば、構わない」
 そう言って、再び刹那は眼を閉じる。そのあまりに速やかな寝入り方に、狸かこの野郎と本気で思うけれども、そういう様子でもなかった。少なくともロックオンにはわからない。
「お前は無いかもしれないけどね?」
 そう言ってロックオンは、刹那の肩にまで毛布を上げてやった。
「俺、今日用事があって起きたんだけども」
「嘘だろう」
「──は?」
 毛布の陰からぶつけられたのはくぐもった声で、それでも言い切る形であったのにロックオンは返す言葉を失う。
 用事は、ある。
 間違いない。ロックオンは思わず机の上の時計を確認して頷く。日付に誤りはない。今日は自分が出かけなければならない日だ。その為に昨日ぎりぎりまでミッションの片づけをこなし、デュナメスの整備を見届け、トレミーに報告を行って、絶対に寝過ごさないように念入りにアラームを仕掛けたのだ。どうせ休みだからと弛緩する神経を、それでも間違いなくスタートさせるために。
 しかし刹那は、シーツの上で向きを転じて、ロックオンに背を向けていたのを彼に向き直り、そうして未だ未練がましく起こしたままにしていた身を支える腕を、毛布の内側へ引きずり込んだ。
「ちょっ、せつ──、?!」
「アラームを二度も無視するくらいだ。大した用事でもないだろう」
 目の前に迫った赤錆の色の眼は、ロックオンを睨み付けるような強さで見据えてそう言うと、今度こそ瞼を落としてしまった。
 だから、寝ろ、と。
 そういうことらしい。
「──参った、」
 ロックオンは溜息をつく。そういえば、と気が付いた。
 そういえば刹那も今日はオフだった。自分のことばかりを考えてまわりを見ていなかった。或いはそれは、落ち度と言えぬかこともないかもしれない。弛緩することの無いこの少年の休暇を、喧しいアラーム音で遮ってしまった。
 引き込まれたのと反対の腕を上げて刹那の硬質な髪を静かに梳く。今度こそ覚醒する気の無いらしい少年は、少しだけ身じろぎをしたがそれはそれで構わぬようだった。てのひらを滑る感触に微笑んで、ロックオンはもう一度だけ長く息を吐く。
 そうしてから腕を伸ばして、今にも最終通告を響かせようと構えている目覚まし時計の、その振り上げた腕が降りようとするのをスイッチで遮ってから、もぞもぞと刹那を抱き込み眼を閉じた。






(目覚まし時計に)3回、嘘をつくロックオン。


……反省はしています。