あの宵の歌を
-
「恥ずかしながら、な」
アレルヤが店の片隅におかれたダーツ台を示すと、ロックオンは肩を竦めて白状した。
「実はルールがよくわからん」
「ほんとに?」
大仰に目を丸くしたアレルヤは、きろりと睨みつけられる。普段温厚に笑ってアレルヤたちのような年若の相手に接する男だが、そういう仕草には流石に凄みがみえた。
「知らなくて悪いか」
「……だって知らないわけないって思ってたから」
よくわからないがこの手のバーにはダーツだのビリヤードだのはつきものだろう。基地の片隅にも、乗組員の息抜き用ということか、埃を被ってはいたが置いてあったし、だいたいルールなど知らなくとも投げれば中るか外すかする程度のものだ。フォームも見よう見まねで何とかなる。実際アレルヤも、点数の計算は機械が勝手にやってくれるもので、手慰みに投げてみたことがある。
だからアレルヤがロックオンに促したのも、単に彼の『狙い撃つ』技量があれば、ダーツの成績も悪いと言うことはなかろうという純然たる好奇心からで、それ以外に含むものは何もなかった。その構える様は絵になるだろうなという、二心といえばいえぬことのない程度の思いは無いとも言い切れなかったが。
うーん、と少し困ったふうに首を傾げてアレルヤの示す、きらびやかに点灯する機械を眺めていたロックオンは、軽く肩を竦めると小声で白状した。
「……わかんねーんだよ」
「え、」
「だから、わかんねーの。何点くらいが『うまいやつ』で、どんくらいからが『ふつう』なもんかね。ほら、多分俺ちょっと練習したらそこそこになるだろうが、上限知らないとやばいだろ?」
それだけ言って、ロックオンはくるりと目玉を煤けた天井に向けてみせる。アレルヤはその道化た仕草に笑った。
ミッションを控えて暫く滞在することになった街の、ホテルの隣にこじんまりとしたバーを見つけたのは多分アレルヤが先だ。
それをロックオンに教えたのには大した意味は無い。雰囲気が良さそうですね、ああいうのはどうやって入ればいいんでしょう。
どうもこうも無いだろ、入り口開ければ入れるさ。営業日ならな。そうからかうようにロックオンは言い、それから、じゃあ今日行くか、と何でも無いことのように言った。
その何でも無い感じがまたひどく格好よくみえて、どうしよう何着ていこう、そう言って照れたのをごまかしたつもりが、ばーか普通でいいんだよ、なんて今度こそ声を上げて笑われたもので、アレルヤは余計に顔を赤くする羽目になった。
店に入るとロックオンはスツールにアレルヤを残してカウンタで注文をし、ビールを二杯分注いでくれた女性に何か愛想とチップを渡して笑わせて、それからジョッキをふたつと指にツマミのオリーブの小皿まで器用に挟んでテーブルまで持ってきた。ありがとう、と言って受け取ってから、そんな慣れた素振りでいる男の、妙にきょろきょろとして些細なところを見回しているのに気がついた。
「何か?」
「あー、うんにゃ」
そう言って少し困ったように苦笑して、ロックオンはアレルヤのジョッキに自らのそれを打ちつけた。
ダーツの話題を出したのはそんな流れの何処からだっただろうか。
アレルヤにとってみればロックオンがそうやって興味深げに言って、周囲を見回している様はひどく珍しいものに見えた。
とにかく場慣れした彼のやり方と、その視線の忙しない動きがひどく不似合いに思えたのである。
結局ジョッキ半分ほどで白旗を揚げたアレルヤは炭酸水を代わりに頼み、その様を笑いながら残りを飲み干してロックオンの方はウィスキーのグラスを傾けていた。そういう仕草は相変わらず堂に入っていて、それでもスツールに浅く腰掛け店内を見回す様は子供のようであるのに、ついにアレルヤは好奇心を抑えきれずに聞いてしまった。
「何がそんなに珍しいんですか?」
「んー、」
顔を向けずに視線だけを向けてきたロックオンに、アレルヤは重ねて問う。
「さっきから妙に、楽しそうだから」
「そうかね?」
「ええ、かなり」
今度は顔ごと振り返って、アレルヤをまじまじと見つめたロックオンは、あー、と少し困ったように声を延ばしてから、琥珀色の液体をひとくち含む。さっき少しだけ分けて貰った時には舐めるように味を確かめるだけで精一杯だったそれを、躊躇いなく嚥下する様子を少し羨ましく思いながら、アレルヤはロックオンの言葉を待った。
こちらが生真面目に黙っているのを、回答を待っているのだと正しく受け止めたのだろう。酷く困ったような顔をして、うーん、とロックオンは小さく呻き、それが言葉をどうにかして誤魔化そうとしているのだと判断して、もう一度、アレルヤは言った。
「だって、これは貴方の生国のでしょう?」
「アレルヤぁ」
ついにロックオンは声を上げて、アレルヤは軽く身を竦める。
「だって、」
「お前ね、それ禁句でしょ」
「わかってますけど、でも、」
「例えばさぁ」
そう言ってロックオンは、オリーブに添えられていたピックを指先で摘み上げると、ぶんぶんとそれをタクトのように宙に振って見せた。ひょっとしてこのひとは酔っているのだろうか。そう考えながらアレルヤはその軌跡を追う。
「お前、AEUのどっかにいってチャイニーズレストランに入ったら俺同じこと言ってやれる自信があるぞ」
「何で?」
「何しろあの文化圏はヌードルをスパゲッティでつくる」
「……正気ですか」
「俺は素面だ」
ホームドラマで酔っぱらって帰ってくる父親のようなことを真顔で言ってから、ロックオンはピックをオリーブに突き立てる。軽くその料理を想像して、それはたいへん味気なさそうだと素直な感想を抱いていたアレルヤは、ピックが弾いて跳んできたオリーブを、掌で受け止めた。
それを摘んで口に入れたアレルヤに、ロックオンは少し困ったように笑う。
「初めてなんだよ」
「……え?」
「別に、避けてたわけじゃねぇ──いや、避けてたのかな。臭いが同じなんだよ、やっぱり。酒の臭い、煙草の臭い、雰囲気、っていうのかね」
そう言ってロックオンは、殆どからになったグラスを目の高さに掲げてみせた。
「時々父親を迎えに行ってさ、ガキの頃の話だ。まだこのスツールに鼻もかかんねぇって感じだろうな。それでも臭いは覚えてる。色彩も、言葉も、時々浮かれた連中の唄うような、そういうのがさ、なんていうかな、」
のこった氷の向こう側に、歪んだ形に碧い眸が揺れる。
「もう見たくなかったんだ」
「ロックオン、」
「──ま、別に何処にでもあるもんだしな」
乾杯、とでも言うようにからりと氷を揺らして、ロックオンは笑う。そうして残りを飲み干してしまえば、そのグラスの向こう側に居る男の表情に酔いの気配など微塵もない。
それを口惜しく思いながら、アレルヤは小さく名前を呼んだ。
「ロックオン」
「うん、」
「僕はチャイニーズレストランに行ったことがないんです。AEUでも、人革連でもね」
ロックオンは少し目を丸くしてアレルヤを見返すと、声を上げて笑った。
「そいつは人生における大きな損失だな。今度贔屓の店に連れて行ってやるよ、ユニオンだけどな。米が不味い以外は安くて美味い」
「期待しています」
「なァアレルヤ」
そう言ってロックオンはピックを扱うことをついに放棄し、手袋をしたままの指でオリーブをひとつ摘み上げて口に放り込んだ。それを咀嚼して飲み込むと、どうにも安物のオイルの臭いしかしないそれが如何にも美味かったとでも言うように微笑んだ。
「お前が居なきゃ多分一生来なかったぜ、こんなとこ」
「ええ、──また来ましょうね」
返した言葉にロックオンは少しだけ困ったような顔をした。アレルヤは、困ったように店の中の子細を眺める男がきっと頷くだろうと思っていて、それに喜ぶ顔をつくるためにただじっと彼の顔を見ていた。
ヌードル、と書いてしまったんですがどう言ったらそれっぽくなるものか。
中華系麺料理の類が一切スパゲッティので出てきてびびったんですつまり。