射程距離









「大丈夫だってのに、さー」
 不満の色を顕わにしながら、ロックオンは練習用の銃を掌の上で玩ぶ。伏せられた表情の半ばをゆるやかに波打つ髪の流れと黒い眼帯が覆ってしまって、ただ不満げに口を尖らせる唇だけが妙に子供じみてみえた。
「何をそんなに疑うかねえ、お前も」
「疑っているわけじゃない」
 刹那は端的に言って、標的とロックオンの両方が見える位置に立つ。室内には銃と標的とそこまでの適性距離を示す境界線だけがあって、その気軽さが何かオモチャじみた現実味の無さを感じさせた。狙撃のシミュレーション・ルームを刹那は好きではないので、居心地が悪い。くだらない文句をつけられ倒すからだ。
 案の定、視界に刹那が入るとロックオンは不機嫌の色をあっさりとひっこめて、刹那ににやりと笑ってみせる。
「どっちにしたってお前さんより成績が悪いってこた無いと思うぜ?」
「早くやれ」
「へいへい」
 どうせそう言われるのはわかっていたので、刹那はとっくに準備をしていた言葉をそのままに吐き、そのやりとりをも予測していたのだろう、ロックオンは軽く肩を竦めるとゆったりとした仕草で銃を構える。
 ジャケットを脱いでTシャツのみという、普段より軽装の姿になっているからだろうか。衣服の下の筋肉が、緊張を孕んでいるのがしっかりと見える。
 或いはそれは刹那がそうであって欲しいと思っているからかもしれなかったが。彼が普段と違うのは、服装だけではない、まっすぐに標的を見据える眼──刹那からはその顕わになっている方しか見えなかったが、彼は其方からしか、標的を見えていない。
 力のこもる眼差し。
 其処から熱が消える。
 冷えた視線が熱の無い標的に向けられる。
 発砲音。
「ほらァ」
 そう言ってロックオンは手を振った。標的へと視線を移す。その中心は過たず撃ち抜かれている。
「続けるか? 言っただろが、一緒だって」
「──そうだな」
「むしろ調子いいんだってば」
 ロックオンは口笛でも吹きそうな口調で手元のリモコンを操作する。標的が新しく現れて、それをまた狙う。まっすぐに伸びる腕。その引き金にかけられた手袋をした細い指。先程よりも力の抜けた視線。
 発砲する。
 当たる。
 当たり前だ。そう、それが『ロックオン・ストラトス』といういきものだ。それ以上でも、それ以下でもない。標的を前にして、銃を構えて、撃つ。撃てば、当たる──そういういきものだ。
 そういうふうにつくられた、いきものだ。
 そして、つくったのは。
 刹那は一歩を踏み出すと、そのまままっすぐにロックオンの脇を通りすぎた。足を止めることなく歩いていき、境界線を踏み越えて、その向こう側へ。
「──刹那?」
「当たるんだろう?」
 そう言って、刹那はロックオンの眼前に立った。
 ああ、とぼんやりと考える。この距離感はあのときに近い。
 彼に──ロックオンではない、その名前ではない、ニールという名前の衝動に銃を向けられた時の。
 ロックオンと標的と、その二つを結んだまっすぐの直線。それから半歩だけずれた位置に立って、刹那は言う。
「其処からならば、狙えるだろう。当ててみせろ。ロックオン・ストラトス」
「──お前ね」
「できないのか?」
 その揶揄めいた口調はロックオンが刹那をからかうときに発する響きに少しだけ似ていて、それにロックオンが少しだけ顔を顰めたのがわかる。なるほど言うとこういう気分になるのか。少しだけ愉快に思いながら、刹那は首を傾げる。
「できるだろう。ただ距離感を覚えて、撃っていたのでなければ?」
「んな、ことは」
「ならば」
 ロックオンは眉を寄せたままで銃を持った腕を掲げる。まっすぐ前へ。そこで止まらずに、天井へ向けて。
 引き金を引く。
 発砲音。
 その銃声は空虚に響く。当たり前だ。練習用の銃だ。その弾道が正しく標的に当たるか、その位置は何処か──それしか判定しない銃だ。この壁一枚隔てて死と隣接している宇宙空間で、簡単に実弾など使うわけもない。
 それだけのものに、過ぎないのに。
「ロックオン」
「間違ってもごめんだ、刹那」
「間違うのか?」
 ロックオンの腕ならば、できるはずだ。
 ロックオン・ストラトスという名前の男ならば。刹那には狙えない的を、距離を、その高みを、撃ち抜く名だと自らを定め、また刹那たちがそう見てきた男ならば。
「──間違うもんかよ」
 しかし、片目を喪ってそのままに手放した男はもう一度天井を撃ち抜いた。
「だからお前の方になんざもう銃を向けたかなかった。そのくらいなら、もっと違うモンを撃つ」
「撃てば良かった」
「もう一度同じこと言ってみろ」
 ロックオンは銃を下ろすと銃口を自分の側に向けて刹那に手渡した。
「同じことをしろと言ってやる」
「絶対にご免だ」
「俺だってご免だ」
 しかつめらしい顔をして、ロックオンは言った。
「俺ぁまだ死にたくねぇ」