朝の白に溶ける









「随分明るいんだな、もう]
 ベッドから立ちあがったロックオンは少し感心したふうに言って、ベランダに出る広い窓にかかる薄いカーテンを開けた。それを刹那はちらりと見るだけで何も言わない。返事をしない刹那に構わず、ロックオンは勝手に言う。
「こないだ来たときはこの時間、まだ真っ暗だったのに」
「──そうだったか?」
「ああ。殆ど夜みたいなもんだったぜ」
 彼の言うようにもう外は朝の光に溢れていて、昼の深い青とはまるで趣を異にするどこか白々しい空が天を覆っていた。面白がるようにロックオンは窓のロックに手を伸ばして、からからと窓を開け放つと躊躇いなく裸足のままでベランダに出ていってしまう。ジーンズだけ身につけた背中が寒そうに見えた。
 少し湿り気のある熱の篭もった室内に、するりと入り込んできた朝の風は、刹那の前髪をするりと揺らして額を冷やした。その前髪をかき上げて後ろに流すと、刹那はベッドの上に起きあがる。
 ロックオンはベランダの手すりに手をかけて、空の遠くを見ているようだった。刹那は床に足をつける。ひんやりとしたタイルはきっと窓が開くまでこんな温度じゃなかったに違いない。床に落ちていたジーンズを拾って穿き、横に投げ捨てられていたシャツを頭ら被って、ベッドの隅に丸め込まれたタオルケットをひっつかむとまっすぐにロックオンの開けっぱなしにした窓からベランダにおりた。
「ロックオン」
「ん」
「寒い」
 名前を呼んで振り返った顔に、投げつけるようにタオルケットのかたまりを押し付ければ、おわ、と蹌踉けた男はそれでも床に裾を落とさないように受け取った。少しだけ面食らったように刹那を見返していたが、刹那は構わずその横に並ぶ。
「干すんなら洗ってからのほうがいいぜ?」
 間抜けなことを言う男に鼻を鳴らして、刹那は外に目をやる。
「お前の背中が寒い」
「──お」
「被ってろ」
「さんきゅう」
 少し嬉しそうな声が返り、刹那は悪い気分ではないと少しだけ思う。
 本当は。
 本当はその白い背中が空の色に溶けてしまいそうだと思ったのだ。
 タオルケットをもそもそと肩にかけて、マントのようにたぐり寄せるロックオンを一瞥だけして、刹那はそんなくだらないことを考える。少し埃っぽいが色は白で、そういう意味では色彩を変えるのになんの効果も無かったけれど、部屋の熱を少し含んだやわらかな素材のそれは、そうやって消えてしまいそうな冷え冷えとした白に、幾らか重みという意味での熱を与えてくれると思った。
「あのへん、ちょっとぼやけてるやつ」
 ロックオンはかきよせたタオルケットの隙間から、やはり白い腕を伸ばして一点を示す。ビルの合間に少し窪んだようにして広い空間ができているのが見えた。そこにふんわりと紅を透かした白が滞っていて、境界線を曖昧にしていた。
「あれ、何かの花か?」
「ああ──桜だ」
「さくら、」
「あのあたりに広い公園があって、森のようになっている。其処の花だ」
「ふうん」
 身を乗り出すようにしてロックオンはそれに目を向ける。子供のようなやりように、刹那はくだらないと思いながらもその視線を追うようにして、見慣れた遠い森を見た。
「行ったことあんのか? 奇麗?」
「走るのに通ったことが何度か。満開になってからは未だだが、奇麗なんだそうだ。風情がある、ということらしい」
「へぇ、誰が?」
「──隣の」
「お。ご近所つきあいしてんじゃねぇか。えらいえらい」
 目を細めて自分を見る男に、一体何が偉いのかよくわからないまま肩を竦めてみせる。本来自分たちは、他者と関わりを持ってはいけないのではないだろうか。それを好意的に評価する男の意見は、自分と同じ場所と同じ価値観で存在しているもののはずなのに、時々まるで理解の範疇を越えていた。
 ロックオンは視線を転じて遠くけぶる白にその瞳を向ける。色を失い、熱を失い、ただまっすぐに獲物を見据える狙撃手の目でない。それを好ましいものとして、柔らかく見つめる目だ。自分に、或いは他のマイスターたちに、向けられるものと本質を同じくするもの。彼の目。
 ロックオン・ストラトスではなかった、誰かの眼差し。
 彼を見ていた誰かの。
「よし」
 そうしてひとつ頷くと、同じ熱と色の目で笑って刹那を見る。
「今日は俺もつきあうか」
「何に」
「ジョギング」
 得意げにそう言いながらロックオンはタオルケットをたなびかせて部屋に入ってゆき、ベランダに立ったままで刹那は小さく溜息をつく。
「──あんたがついてくるのか」
「うわなんだよそのあからさまに邪魔扱いっぽいの!」
「走るつもりは無いんだろう」
「花見?」
「──」
「だから何で溜息!」
 いちいち喚く男は宣言を覆すつもりはないらしく、刹那はタオルケットをたたんでベッドに放り投げた男に小さく言った。
「シャツは着てくれ」
 そうでないとまたあの白い背中が消えてしまうと思ってしまう。





せめて桜の下までたどり着け、というツッコミは自分で二百回くらいしました。