歯形









「右目がみえなくなりました」



「傷を、」
 半端に伸びた髪をかきあげて首筋に唇で触れて。
 そこから吹き込むようにアレルヤは言った。
「……ん」
「傷を付けてもいいですか」
「よくねえだろ」
 背中から抱き込まれるような姿勢のままでは相手の顔も探れなくて、ロックオンは苦笑を浮かべる。振り返ってみようとしても、アレルヤは首筋に顔を埋めたままそれを許そうとしない。アレルヤのそういう妙な場面で見せる頑固さは常々思い知っているところだったので、ロックオンはとりあえず彼の好きなようにさせておくことにした。無駄なことはしない方がよい。
 普段晒さない首筋の、何がそんなに気に入ったのやら、犬の子のように執拗に、アレルヤは口付けを繰り返す。擽ったい以上に実害はなかったが、そのはっきりとした意志を示す唇よりも、彼の硬い髪だとか意外に長い睫だとかの、ひそやかに肌の上を撫でてゆく方が「触れられている」という感覚をロックオンに感じさせた。
「だめですか」
 そう、アレルヤは繰り返す。ロックオンは少し笑う。
「駄目ですよ」
「なんで笑うんです」
「子供みたいだぜ、お前さん」
「子供じゃないです」
 腹が立ったのか、少しむくれた口調で言うと同時に歯を立てられた。反射的な定例句としてロックオンは小さく痛ぇと吐き、それにアレルヤはすいませんと笑った。本当に痛かったわけではない。甘噛みというにも足らない、殆どじゃれ合いのようなものだ。
「だってどうしてしたいのよ、」
「だから、傷を」
「それはわかったから、何で?」
 そう言ってやると、返事が途切れる。相手が身を引いたのがわかってロックオンは振り返った。アレルヤはじっとロックオンと見て、ロックオンがしたのに釣られるようにしてまばたきをして、それから言った。
「なんとなく」
「……頷きたくなくなったな」
「酷い!」
「酷いのそっちだろ?」
 言い返してやれば流石に反論ができなかったらしく黙り込む。やれやれと息を吐いて、ロックオンはその頭をぽんとはたくようにして撫でた。面食らったような顔をしたアレルヤは、それに押し出されるようにして口を開いた。
「本当はね、ロックオンが欲しいんだ」
「……俺?」
「そう」
 こくりと頷いた男は、生真面目な顔のままで生真面目に言った。
「でもロックオンはそういうのいやでしょう」
「そりゃあ、まあ」
「だから、ちょっとだけ」
「……かじるのか?」
「そこまでは!」
 慌てたように首を振って、それからひとつ、伺うように言った。
「かじってもいい?」
「却下」
「じゃあ傷」
「……妥協点にするにはなんか流されてる気がするがな」
 顔を顰めて言えば、そうかな?などとのたまった。この野郎。
 やれやれと息を吐いて、ロックオンは前を向く。何なんだろうなこの男は。そう考えたら溜息が自然と出てきてしまった。背後で此方を窺うように、息をつめているのがまた余計に気になる。
「……何がどうよくて、欲しい、とかになんのかね」
「だって僕のものにしてしまえば、あなたは其処を勝手にできないでしょう?」
 そう言ってアレルヤはもう一度、その鼻先をロックオンの首筋に埋める。くん、と切なげな息がかかって、ロックオンの毛先を揺らした。
「僕のだって覚えててくれたらいいんです。あなたが。それをちょっと思い出して、厭な気分になればいいんだ」
「うわ。性格悪いよお前」
「知ってます。でもロックオンの方が悪いんです」
「俺?」
「ええ──ねぇロックオン」
 アレルヤは軽く歯を立てて、強請る子供のように繰り返す。
「傷をつけてもいいですか?」
「いっそ囓って全部持ってけ」
──思い出すよすがになる傷跡など、残されてたまるものか。
 そう言って笑えばアレルヤは一瞬息を呑んで、それから酷く不満そうに声を上げた。
「あなたは最悪だ」
「かもね」





着衣か半裸か全裸かは、ご想像にお任せします。