地平の灯火









 エクシアからの暗号通信に気が付いたのは深夜をとうに過ぎた時間で、幾ら心が広いことで定評がある(と自負している)ロックオンだとしても、無視したって構わないだろうという頃合いだった。それでも反射的に端末に手を伸ばしてしまってから、表示されている送信者に惚けた目を向けて、それからがりがりと頭を掻いて身を起こす。
 とりあえず見苦しくはないように、とはいえ所詮は男だし、時間も時間だからと鬱陶しく落ちた髪だけぞんざいにかき上げるだけで済ませてしまう。こちらの動きに気が付いたのだろう、休眠状態で大人しくしていたハロがころりとシーツの上を転がってきて、何か物問いたげにロックオンを見上げる。
「何でも無ぇよ、寝てな?」
 そう言って撫でるように上から手を押し付けてやれば、ハロはその声に応じて眼のひかりの明滅をやめる。それに微笑んで二度ほどその硬質な外殻を撫でてやってから、ロックオンはまだしつこく通信を求めてくる端末を漸く開いた。
 映し出されたのは、生真面目な表情の少年。
「──あのな、今、夜なんだけど」
 せいぜい機嫌が悪く聞こえるように、そう声をつくって顰め面しく言ってやる。とはいえ半分ほどまだ夢の向こう側に意識を残してしまっているから、それは相当にぼやけて届いてしまったかもしれない。案の定刹那の方は対して怯んだような表情も見せず、まあこれが怯むなんていうことをするのならばそれを見てやりたいと思うものだったが、しかしロックオンの言葉には、少し驚いたような顔をした。
『そうなのか』
「お前、時差考えろ?」
『グリニッジ標準時ではもう昼を過ぎている』
「太平洋の真ん中なんですけどこっち?」
 まるで会話が通じている気がしない。地球は丸いんですって何度教え込んだらわかるんだろうねこの子はね。やれやれと溜息をついて、ロックオンはそれでもまるで悪びれない刹那に言い聞かせるように言った。
「明日のミッションに遅刻しそうですとかだったら聞いてやるが。お前、今どこにいんの」
『ミッションに支障はない。問題はなにも発生していない』
「だったら──」
『俺は今クルジスに──アザディスタンに居る』
 目が覚めた。
 ロックオンは飛び出そうとした言葉を舌の奥に押し戻して平面に映し出された少年を見る。それは彼の生国であると、そう言っていた国ではなかったか。
『陽が、落ちようとしている』
 刹那はそう言って、遠くを見るような眼をした、カメラから視線を逸らして、真っ直ぐに前を、世界の果てを見通す眼差し。
『地平に太陽が沈んでゆく。オレンジ色の光球が、地平近くでひしゃげたかたちになっている。空は紅蓮で、散った雲が朱色に、桃色に、名前を知らない赤の色に、凹凸で色合いを変えてみえる』
 ロックオンはそれを視たように思った。
 それはかつてのミッションで、刹那の期間を待っていた時の記憶に近い。乾いた金褐色の砂の中へと、赤がゆっくり埋没してゆく風景。まるで世界が燃え上がるように思った。だがその時と、いまとでは、季節が違う。場所も違うのだろう。刹那はきっといまエクシアで翔けている。見渡す視界の広さが違う。
『街が、一色に染まっている。いや、陽の落ちる方角に面している側面だけが。それがそれぞれに長く影を落として、その下を人が歩いている。その総てが、赤の陰影だけになってしまったように見える』
「──ああ」
 ロックオンは頷く。それが彼の国だ。彼の世界だ。
 彼が地べたから飛翔して漸く見つけた、彼の国だ。
『影が伸びた先を辿ったら反対側の地平線の夜に辿り着いた。夕刻は終わって其方から夜が来ていた。星が幾つか光っていて、星を見ていたらロックオン、』
 不意に名前を呼ばれて、ロックオンは乾いた砂の上から小さな島のベッドの上に意識を戻す。刹那は画面の中からまっすぐにロックオンを視ていた。
『ロックオン、あんたを思い出した』
 刹那は視線を揺るがせずにロックオンを視ていた。それでロックオンは、その星を見た気がした。夜の迫る空。未だ紅の炎が燃える中、夜の到来を告げる硬質な星。夜が来ても構わず其処にある星。
 星はロックオンを見て言った。
『だから、あんたに伝えなければならないと思った』
「──思ったはいいけど」
 ロックオンは、情けなく速度を増す鼓動が通信の向こうにまで伝わらなければいいと願いながら、漸く口を開く。
「それを見せろよ、お前。口だけじゃ伝わらんだろうが」
『通信でも伝わらない
 刹那はあっさりと言い切った。
『俺はそれを見たということをあんたに伝えたかった。太陽は沈んでしまったし、明日の夕刻を待てばミッションに遅れる』
「あー、そう」
『だが、いつかは見せる』
 刹那はそう言ってひとつ、頷いた。誓うように。
『それだけだ。報告を終了する』
「あ、お──おい!」
 ロックオンが叫んでももう遅い。あっさりと通信は切断されて、画面にはまっくらな夜の反射だけが残る。唐突に騒いだのに驚いたのだろう、ハロがまた不思議そうに此方を見上げていた。
「あー、ん、何でも無ぇから。明日のタイマー、頼んだぜ」
『リョウカイ リョウカイ』
 嬉しげに応えるハロに無意識に手を伸ばし、意味もなく撫でてやりながらロックオンは少しだけ笑った。地平の向こうに刹那は居る。自分がこれから迎える太陽を見送って、そうして此処へ来ようとしている。
 そしてその黎明をロックオンは迎えて、その終わりをいつか見にゆく。
「よかった」
 そう言ってロックオンは、ハロを撫でた。手の届かぬものに手を伸ばすように。
「あいつの街も美しいんじゃないか」





前に書いた違う話のアンサーみたいになってしまった。