ガーデン
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垣根の切れ目を通り抜け、今日は玄関ポーチどころか家の中にも人の気配の無いことにほんの少し落胆をしたセルゲイは、正面ではなく背後に物音を聞いて振り返った。
そこにいたのは、短躯の少年だった。
痩せっぽちでシャツからひょろりと伸びた腕もどこか不安を誘うほどだったが、しかしそれはきっちりと鍛えられているようで引き締まっていた。赤茶のストールの裾と、そのうえに落ちる質の固そうな髪が、ようやくそれなりの平穏の訪れた庭を渡ってきた風に揺れている。超兵の青年たちの、黄味のつよい皮膚よりも濃い色の肌は、より赤道に近いルーツを持つことを示していた。
アレルヤ――乃至ハレルヤ――を咄嗟に連想したのは、その双眸のせいだ。
獣を思わせるそれは、金属ののように硬質な、金色を示していた。
「――君は」
そう、声をかけると、セルゲイでも庭でもなく、小さな家を真っ直ぐに見ていた少年の視線が揺れる。
躊躇いがちにさまよった瞳は、感情の揺れを映すものではなく、ただ言葉を探しているという風であった。
「この家の客かね」
セルゲイは言葉の切欠を与えようと声をかける。少年は、は、と改めてセルゲイに気付いたように顔を上げると、口を開き――
「帰れ」
それは鋭利な刃をそっと突き立てるように、静かに響いた。
声の主を探して見回せば、垣根の切れ目から少し離れた背の低い林檎の樹の、一番下の太い枝に腰かけている青年が居た。少年の、くるりと転じた視線とぶつかって、枝からひょいと飛び降りる。綺麗に刈り込まれた芝の上に、底の薄い靴がさくさくと踏みしめる音が小気味よく響いた。
同じ金色の目玉が、真っ直ぐに見つめあっている――ハレルヤは、ふ、と笑った。仕方ないとでも言うように。
「帰れよ、ガキが。手前は手前のロックオンと遊んでろ」
「――おまえは、」
少年はそこで初めて言葉を吐いた。
まるで老爺のような、嗄れた、錆を吐き出すような声だった。
青年は、け、と喉を震わせて笑う。
「いつまでも迷ってフラフラしてんじゃねーよ、アホどもが」
「アレルヤ、」
「行け!」
ハレルヤがそう言った瞬間、少年の表情はくしゃりと歪む。
そして、弾かれたようにふっとその体を揺らすと次の瞬間には少年の姿は掻き消えていた。
「――何を」
「死んでねーヤツだから追い返した」
「死んでいないのか」
「死んでたらもっとハッキリしてんだろーが」
当たり前のようにそう言うがそれも妙な話だとセルゲイは思う。生きていない、死んでいないのかもしれぬらしいが、そんな不安定なものばかり此処に居る。
「ロックオンなら買いモン」
ハレルヤはそう言ってさくさくと家の方へ歩いてゆく。
「オレは留守番」
「店があるのか」
「あるんじゃねーの。オレが知るかよ」
通貨単位や品目や、看板娘の質といったくだらないことを聞こうかと迷ったところであったのだが、ハレルヤはあっさりと流してしまって取り付く島もない。少し考えて継ぐ言葉を探していたセルゲイは、立ち止まった野生の獣のような双眸が此方をじいと見ているのに気が付いた。
「――アンタの部下をブッた切ったのはァ、オレだぜ」
「何」
「名前も知んねーけど、あのオンナ逃がすのに足止めしに来たヤツ」
「――ミン中尉か」
「知んねーッて、だから」
アタマ悪ィんじゃねーの、とハレルヤは言って、しゃがみこみぶちぶちと芝生を毟る。
「アレルヤは止めたけどアイツがあんまりギャーギャーうっせェから」
「……そうか」
「そんだけ?」
「私にこれ以上何を求める」
セルゲイはそう言って肩を竦めた。
「私は死んだ。亡者が、生きている者を恨んで何となる? それともこれは悪魔の試練が何かかね」
「少なくとも半分だけアンタらの仲間だッてのが、本格的に死人になれるかもしれねーぜ」
「だとしたとしても、興味は無い。私は君を傷つける意志は無い」
「じゃあソイツは何だ?」
セルゲイは自分の右手がしっかりと銃を握っているのを見た。見慣れたもの――人革連の軍隊で支給されるそれは当たり前のように手に馴染んでいて、まったく無意識のままに安全装置を外すことができた。
「使えば?」
ハレルヤは笑う。
小さく息を吐いたセルゲイは、片手を上げると引き金に触れた。
銃声。
「鳥でも食いたいんだったら今からでもロックオンに電話しな」
空へと伸びたエネルギー粒子をゆったりと見送って、ハレルヤは呆れたように言う。セルゲイは肩を竦めた。
「電話があるのか」
「なけりゃ不便だろが」
「それもそうか──電波は何処まで届くかな」
「アンテナがありゃあどこでも届くだろ。それでいいわけ?」
てのひらの中からはまるでそこに存在していたのを忘れてしまうくらいにきっぱりと、小銃は消えてしまっていた。ふむ、とセルゲイはひとつ頷いてみせる。
「コロニーを撃つには、私では技量が足りんからな」
「いつか後悔するぜ、オレの寝ている間にあのオンナが、この家の戸を叩くんだ」
「ソーマは君が知っているよりも強い娘なのだよ、アレルヤ・ハプティズム」
「……人違いだぜ」
「私は君の存在も含めて認めて、彼女を君に託したつもりだ」
セルゲイは苦笑して、いかにも拗ねたふうに顔をしかめる男に言った。
「ニールが言っていた――今を知ってどうにかなるものかとね。私はその気持ちを理解した」
「悟ってんじゃねーよ、亡霊どもが」
そう言ったハレルヤの表情はまさしく子供の拗ねたものと近く、セルゲイは声をあげて笑った。