ガーデン









「寝ているのか」
「正確には『起きてる』だな」
 そう言ってニールはいつものように玄関ポーチに座っている彼の膝の上に頭を載せて眼を瞑っている青年を優しげに見下ろした。
「大抵は部屋に戻って寝るんだけど、今回のは急だったから」
 ニールの、手袋を外した白い指が、さらさらと鋼の色の髪を梳いている。それを愛でるというよりは、殆ど無意識の仕草なのだろう。苦笑する視線はセルゲイに向けられているが、手は止められてはいない。
 玄関ポーチに寝転がり、長身の三分の一くらいは外にはみ出してしまっている青年は、そうやって眼を閉じていると粗暴な雰囲気はすっかりと拭い去られていて、年相応というよりもずいぶん幼いものに思えた。
「彼は――彼らは向こう側にいるのか」
「そうらしい」
 ニールは頷いて眠るハレルヤを見下ろしている。
「ただ俺にはどういうことになってんのかわかんねぇし、ハレルヤには教えんなって言ってる」
「知りたくはないのか、彼らがどうなったのか」
「知りたくねぇワケねぇだろ」
 はは、とニールは苦笑する。
「だが知ったってどうなるわけでもねぇから」
「『ロックオン』、か」
「聞かれてたな。悪く思わないでくれよ、別に隠したかったわけじゃあないんだ。もうあの名を名乗るつもりは無かったし、あんたの名を聞くまではただの気のいい庭いじり好きのおっさんだと思ってたんだよ」
 ニールはそう言って右手を差し出す。
「改めて――ロックオン・ストラトス。あんたの同朋やら部下やらを殺した男さ」
「ロックオン・ストラトス」
 その派手な名前に思いあたる節があった。ハレルヤ――アレルヤという男と親しい様子であったから、実働部隊、彼もまたガンダムのパイロットであろうと察したが。
「狙撃型の――緑の機体か?」
「そこまでばれるか」
 ニールは苦笑して肩をすくめる。
「そのとーり。成層圏を狙い撃つのが俺の名前だ」
「ならば私は君にも感謝を述べねばならん」
 え、と間抜けに声をあげた青年の、引っ込めかけた手を取る。
「地上から大気圏を越えてのコロニー狙撃――あれを成功させたのは君だろう。君たちの理念の是非はどうあれ、私は彼の件については感謝をしている」
「――はは」
 ぽかんとセルゲイを見上げて言葉の無かったニールは、握った力のないてのひらに力をこめてやると、くしゃりと破顔して笑った。
「それこそこいつらに言ってくれよ――俺はこいつらがしたいって言ったから、手を貸しただけなんだ」
「……それは別の機会にさせてもらおう」
「あー。まだ怒ってますか」
「それとこれとは別の話だ。私は眠っている人間に語りかけて自己満足するほど夢想家ではない」
「そか」
 ニールは少しほっとしたようだった。セルゲイが手を放すと、その熱を移すように左手の指を組み合わせる。
 手袋に包まれた左手と、素肌を晒した右手と。
 それが重なって、祈るようなかたちをつくる。
「一応俺が最年長だったんだよ、連中の。保護者じゃねぇけど──つか、面倒見たけど面倒見てほしかったわけじゃあなかっただろうしな」
「君が、か」
「あんたが思ってるよりもずっと、俺たちはガキの集団だったんだぜ」
 にやりとからかうように笑ってみせてから、ニールは両の手を離す。
「俺はそん中でも多分人生経験豊富な方だから、こいつ、アレルヤとかハレルヤとか、他の連中に較べてみたら、割とマシな人生だったんだよ。一応、親の記憶とかもあるしな──だからいろんなことを教えてやりたかった」
「いろんな?」
「メシはたくさんで食べた方が旨いとか、花の名前は『花』以外にもあるとか、休みができたらキャンプをするとか」
 指を折りながらニールは言葉を連ねる。
 つまり彼らはそれを知らなかったのだ。とセルゲイは考える。
 それを奪ったのは間違いなく──アレルヤ、或いはハレルヤというものから、そしてソーマも含めてだ──自分だ。人革連という集合体のなかの一部。それを自分は、アンドレイに与えなかったかもしれない。その代理のように、ソーマに与えようと足掻いていたのかもしれない。多分、ニールがしようとしたことも、同じようなことなのだろう。
 自分が教えようとしたよりも、きっとその方法はもっと上手で、もっと優しかったのだろう。
「あいつらはそういうの知らなくて、ひとを上手に殺すやりかたくらいしか知らなかったから。俺はでもそんくらいしか教えてやれなくて、あとはもうちょっと要領よく殺すやりかたくらいでさ──あんたはもっといいことを教えてくれた」
「……そんな覚えはない」
「いいや──こいつは自分の手が誰かを生かすということを知らなかった」
 ニールはそう言って、ハレルヤの静かに上下する胸の上に置かれた手に、そっと自分の手を載せた。
「でも、あのときこいつは自分の武器で誰かを守れるってことを知ったんだ──それは多分、凄いことだったんだと思うぜ」
 優しく触れる指はそっと彼の──彼らの指を撫でる。ひそやかに、風の触れるように、揺れる指先とそれを見る視線は優しかった。
「まあ、甘えだけどな。そんなやり方じゃあ、世界は変えられなかった」
「いや──」
 或いは、とセルゲイは思う。
 それは成功したのかもしれない。そう思う。セルゲイが見たのはその場に居た全ての軍勢が天を狙い、守るべき世界を背にその高みから降ってくる数多の破片を撃ち落とす光景だった。
 あの一瞬だけは、世界は。
 しかしセルゲイはその先を見なかった。その明日は子供たちに託した。
 その記憶をニールに告げられないことも、その答をハレルヤに問えないことも、理由は同じだ。
 どうにもならない。
 セルゲイにはそれを不甲斐なく思うというよりは、どこか他人事のようにすとんと納得をしてしまえた。諦め、というのではない。そうするしかないのだという、そう納得してしまっていた。
 ニールは問うように此方を見上げている。重なった指は動きを止めている。
 セルゲイは苦笑をして軽く首を振った。
「世界は知らないが、君と私が彼らを変えたのだろう──ならば私は矢張り、君に感謝をしようと思う」
「俺に?」
「君が変えた彼らが、おそらくは彼女を変えた。多分世界というものは、そうやって少しずつ変わってゆくものだろう」
 ニールはきょとんとしばらくセルゲイを見上げていたが、くしゃ、と表情を崩すと照れたように下を向いて、褒められちゃったぜハレルヤ?、と小さく笑って言った。






ニールさんでれっでれ。