ガーデン









 その日、庭に面した玄関ポーチに人影のないことを、最初セルゲイは珍しいと思った。
 初めて会った日から、そこにいつもニールがいたからで、しかしそういうこともあるのだろう、と特に気にはしなかった。そこは玄関ポーチであるわけで、つまりは家の入り口であり、日がなそこに居なくとも、中に入っていたとて構わないのだ。
 実際室内には人の気配があって、セルゲイは、しかし、そこにニールだけではない、もう一人の存在に気付いて少しだけ驚いた。
 だが客にしたところで自分よりほかにあっても構わないだろう。そう思いながらドアに近寄れば、開け放った窓から声が聞こえる。
『――から、おまえは――』
『――じゃねェか、別に――』
『――や、まずいだろ――』
 一方は間違いなくニールであるのだが、もう一方も聞き覚えのある声だった。そのことにセルゲイは少し戸惑う。
 自分と彼に、共通の友人でもいただろうか? しかしその声は、誰と明確なかたちをもって記憶から出てきたものではなかった。もっと曖昧な、だが知っている――。
 セルゲイは考えるのが面倒になって、ポーチに立つと軽くノックをした。ニスの塗られた板が軋んで音を立てる。
「邪魔をする、ニール」
『っ、待っ――、おまえ待て!』
 後半の制止は自分に向けられたものではなかった。おそらくは室内にいるもうひとりの。
 セルゲイの前でドアが開く。「お、マジで荒熊じゃん」
 くちびるを歪めて笑う、その顔。
 開けた男の顔は知っていた。そうとも、知っていた!
 彼に彼女を託せたからこそ、自分は最期、何も後悔することは無かったのに!
「何故貴様がここにいる、ガンダムパイロット!」
 思わず拳を固めて頬を殴り飛ばした男の向こうに、頭を抱えてあちゃーと呻くニールがいた。



 男の名前は、ハレルヤというらしかった。
 その響きに既知感を抱きながら、頬を腫らした男を見る。
 顔を合わせたのは一度きりだが、その印象は鮮やかに残っていた。ほっそりと鋭角的な印象の容貌、灰銀と金茶の対で色を異ならせる双眸。
 しかし、確かにあの時会った青年とは雰囲気が違っていた。柔らかく、物静かに落ち着いた印象の見受けられた彼のものとは明らかに違う。粗暴で幼稚ささえ窺える、攻撃的な印象の視線は、今はガーゼと消毒液でもって治療をするニールにおとなしく従っていた。
「だってよぉ、せっかくだから挨拶しときたいじゃねぇか」
「顔あわさないのがお互いの為になるってこともあるだろうが」
「でもどうせいつかは会うだろ?」
「せめて避けようと思えよ」
「オレが?」
 ふふん、と笑うハレルヤに、ニールはやれやれと肩を落とす。
「……死んだんだったら性格直せ」
「死んでねーし」
「だったら元気に草でも毟れ」
 たりぃー、と文句を垂らしながらハレルヤはひょいと立ち上がると、セルゲイの横を何の警戒心もなく通り過ぎて庭の隅の方へぶらぶら歩いて行った。一瞬硬直してしまった自分を情けなく思いながら、その背中を見やる。
「悪いやつじゃあねぇんだよ」
 そのセルゲイに並んだニールが、小さく息を吐く。
「ちょっと育ち方が特殊なのと、ひねくれてるのと――だが悪気があってじゃなくて、不器用な上に素直じゃないんだ」
「成る程」
 庭の一角に股をひろげてしゃがみこみ、ぶちぶちと雑草か芝生か判別もつけずに引きちぎっているのを見て、なるほどと頷いた。
「私も少し血が上りすぎだったようだ」
「そう言ってもらえるとうれしいな――ついでに何だがアレルヤのことも許して欲しい」
 何事でもないように不意にそう言うので、セルゲイは言葉を継ぐことができなかった。
 横を見ればニールは少し困ったように、眉をハの字にして笑っていた。
「あいつが何したか知らねぇし知りたくもねぇけど、俺は。でもアレルヤはいいやつだから、あんま、怒らないでやってくれるとうれしいんだ」
「君も、つまり」
「――俺のことは許さなくていいさ」
 ニールはくしゃりと笑って肩をすくめた。成る程、自分の名に動揺するわけだ。そう思いながら、おそらくはソレスタル・ビーイングの関係者なのだろう男をセルゲイは見る。
「そんなムシのいいこと最初から思っちゃねぇよ。ただ、おっさんは今ハレルヤが――多分アレルヤが、ここにいるってことに怒ったんだろ?」
「――ああ」
「だったらアレルヤを、あいつだけのことは信じてやってくれ。あいつは多分途中でやめちゃならねぇことを投げ出す奴じゃあないから」
「信頼しているのだな」
「まぁね」
 そう言ってニールは目を細める。
「アレルヤも、ハレルヤも。他の連中もみんな」
「そうか」
 セルゲイは大きく息を吐く。
「ならば私は正しかったのだろうな――彼にソーマを託した、私の選択は」
「……ハレルヤ」
 ニールはふと目を細めると、しゃがみこんでいる男に声をかける。
「んだよ、ロックオン」
「こっち来い」
 振り返ったハレルヤに笑顔で手招きをする。
 訝しげに立ち上がった青年は素直にこちらへぶらぶらとやってきて、ニール、それではなく記号めいた名で呼ばれた男の前に立ち止まる。次の瞬間。
「――アレルヤぁあ!」
「っ」
「っでぇえ!」
 綺麗なフォームでふりあげられた拳が、思い切りよく彼の脳天をぶんなぐる。
 ごおん、と地面まで響いた気がした。呆気にとられたセルゲイの横で、伸びた腕がハレルヤの襟首を掴む。穏和に見えた青年の横顔が、路地裏で煙草でも吸っていそうな悪ガキに見えた。決して年相応の評価ではなかろうが。
「女泣かすな親御さん困らすな、それだけは教えたよなお前にも?!」
「オレぁアレルヤじゃねェし教わってもねェよ!」
「ってアレルヤに伝えとけ」
「不条理だ」
「ああ人生は不条理だ。この場でそれを謳歌できんのはお前だけだ、堪能しろ」
「けっ」
 いてーと文句をこぼしながらハレルヤは辛そうに息を吐き、その頭を撫でてニールは鮮やかに笑った。祝福のように。





3本かいて結局何が書きたかったってハレルヤぶん殴るロックオンですよ。