ガーデン
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「形から入るタイプ?」
ニールという名の青年は、門であるらしい垣根の切れ目から入ってきたセルゲイを見て愉快そうに笑った。
「否定はできんな」
セルゲイは白いシャツと焦げ茶の厚手のズボンという、実に『休日のガーデニング』とでも題をつけて飾っておきたいような格好で居た。その様を自分で見下ろして、セルゲイも肩を竦め、笑う。
「だが君も同じようなものだろう」
「違いない」
最初に会った時と同じように玄関ポーチに腰かけているニールは、セルゲイと同じような格好でいた。ズボンの色が褪せた緑であるくらいで、幅広の裾を膝のあたりまで捲ってある。ひょいと投げ出された気持ちよさそうな裸足の、その延長線に蹴り飛ばしたらしいサンダルが転がっていた。
「せっかくだから芝生をちゃんと刈ろうと思ったんだけどね」
「けれど?」
「飽きた」
あっさりとそう言ってニールは読みかけらしい本を示した。擦り切れたペーパーバックだが、表紙にタイトルが無い。
「……私の名を知るくらいだから、人革連の軍人かもしれんと思ったのだが」
セルゲイは、少し土で汚れた白い爪先と、家を中心にして半径10フィートほどの歪つな円状だけ綺麗に刈り込まれている緑を見比べ、その最南端に放置された芝刈り機に視線を移して遂に溜め息を吐いた。
「どうやら推測は間違っていたようだな。少なくとも私の麾下に、仕事を途中で投げ出す者は居ない」
実際は、最初から人革連の人間であるなどとは思ってもいなかった。聞き慣れぬ訛りに、屈託の無い笑い方。広い領土と人種を抱えた国家連合ではあったが、彼の有り様は年の近いだろう息子と対極であるようにみえた。
「ご名答。出はアイルランドだ。こんな広々とした庭なんて持てる家でもなかったからさ、正直正解がわからねぇ」
「言い訳だな」
「そうとも」
何の躊躇いもなくそう言い切ってニールは笑う。庭の荒れた理由を何となく理解した気になって、セルゲイは彼に背を向けると荒廃した薔薇の花壇だったものと向き合うことにした。
改めて見れば最初唖然としたほどに猛威をふるっていたローズマリーは殆どが根刮ぎ撤去されていて、おそらくはその成れの果てだろう、特徴的なかたちの葉が並ぶ枝が束ねて玄関ポーチの桟に引っ掛けられていた。セルゲイは前言を撤回するべきかやめるべきかをしばし悩み、しかし何も言わないことにした。芝刈りを途中放棄したらしいことは事実であるし、計画性に欠けるという点は矢張り叱責を受けるべきだろう。
とはいえ今日片付けてしまうつもりだった事柄の八割が終了していては気合いも収束してしまう。セルゲイは家主に視線を移し、既に自分を見ていない男の見ているものを見た。
「それは何だ?」
「本」
そう言ってニールは顔を上げて笑った。
「大して愉しくもねぇよ、割と悪趣味だ」
「タイトルは?」
「『セルゲイ・スミルノフ』」
何、と眉を顰めたセルゲイに、ニールは本をどーぞと差し出した。何となく薄気味の悪いものを覚えながら受け取り、真ん中あたりを開く。
――その時セルゲイは背後で自分の姿を見ている息子の存在に気付いていた。しかしセルゲイは振り返ることはしなかった。彼が声をかけ、或いは真意を問うことを、愚かにも待ち続けていたのである――
「――ッ」
「な、悪趣味だろう?」
思わず本を取り落としたセルゲイに笑って、立ち上がったニールは足元に落ちた本を拾い上げた。
「ここじゃあ新しい本なんて存在しねぇ。結局自分と遭った人間だけで蓄積も追加も無い、通り過ぎて終わるだけだ。だったら本だって、新しいモンがあるわけもないだろ?」
「――それは、そうだが」
「あー、心配しなくていいぜ。俺の読めるのは俺のだけで、あんたが何も見たくなきゃ、ほら」
そう言って示されたページはまっさらの白紙で、アルファベットの1文字も刻まれてはいなかった。
「あとは覚えるほど読んだ教科書とか絵本とか。そういうのはあるがそれも結局自分の中にあるモンで面白くもなんともないのさ」
「ならば君は何故それを読む?」
「……言っただろ? 俺は悪趣味なんだよ」
にやりと笑ってニールは言った。
「自分がどんだけ考え無しの無謀なガキだったか、見せつけられんのが好きなのさ」
「……まったくだな」
セルゲイは呆れて肩を竦めると、花壇に向き直った。
「どうせ白紙ならばまだ詩でも作る方が建設的だ」
「うわあ……おっさん、乙女趣味とか言われたことはないか?」
「どういう意味だ」
「嫌味だよ」
ふん、と鼻を鳴らす音にページを捲る音が重なる。セルゲイは苦笑して花壇へと一歩を踏み出す。と、不意に背中に何かかたいもののぶつかる感触があった。
振り返れば、不揃いな芝生の上に落ちた本と、そのむこうに玄関ポーチから転げ落ちんばかりの勢いで突っ伏したニール。
「……どうした」
「自分がきもい……」
「どんな詩だったんだ?」
「さァて芝刈り続けましょうかね!」
ニールは上官に命令された新人兵士のように跳ね上がって立ち上がる。それを見てふむとうなずいたセルゲイは拾い上げてページを捲る。
「悪くないと思うが」
「読めたみたいに言うな悪趣味!」