The Least 60min









「さぁて」
 そう言ってロックオン・ストラトスは手を振ったらしかった。自分の足元に掛かった影が揺れるのを、刹那は視界の端で見た。
「世界が変わるまであと一時間だ」
 エクシアの足元で静かに蹲っていた刹那は、顔を上げて逆光を背にする男を見上げた。ハロを小脇に抱えたロックオンは、どうやら笑っているらしかった。この2年で見慣れてしまったから、今更再確認しようとも思わなかった。どうせ笑っている。
「変えるのは俺とお前と、アレルヤとティエリアだ──つったらトレミーの連中にどやされるかね」
 そう言ってくつくつと酷く愉快そうに笑う。何が楽しいのやら、と刹那は思い、また眼を伏せる。地面に置いた端末は、ここからいくらか離れたところで演習の準備をしているAEUのモビルスーツの配置を示していた。
 今更見なくてもその全て、それをどう動かし、どう切り抜け、どうやってその最中へと入り込むか。全て頭に入っているのだが、それでも視点をずらせずにいるのは、幾らか自分も不安なのだろうかと刹那は考える。
 不安だ、という認識は無かった。
 どうにも無愛想だ、無感情だ、機械的だ、散々な言われっぷりをしている自分の中に、今更不安だとか恐怖だとかそんなものがあるとも思えなかった。そもそもそんなものの名残があるとするならば、自分はソレスタル・ビーイングのマイスターとして選ばれはしなかっただろう。
 名前を付けるのならば焦燥だろうか。
 はじまってしまう。
 刹那は今それが世界を変えるのだという確信を持っていて、それに躊躇いなど持ちようはなかった。自分と、エクシアが。
 この男は、と、再び見上げて刹那は思う。
 どうなのだろうか。
「──ん?」
 逆光を背負う男は首を傾げた。それでちらりと自分の目線に光が入る。
 眩しい。そう思いながら立ち上がった。角度が変わって、男の表情が判った。表情に笑みを残したまま、少し不思議そうに刹那を見下ろしている。
「どした?」
「お前は何故笑う」
「笑っちゃ悪いか?」
 わはははは、とわざとらしい声を上げてロックオンは笑ってみせた。それを刹那は表情を変えぬまま見上げる。
 悪い、とは思わなかったが、笑える時間であるとも思えなかった。
 今、この地表で──或いはさらなる高みで、世界を変えようとしている人間たちは緊張に唇を引き結んでいるだろう。いくらか引きつった笑みを浮かべて、緊張を和らげるのにくだらない冗談を言い合っているものもあるだろうが、少なくとも今目の前に立つ男のような、愉快でたまらないという顔でいる者はいないだろう。
 そうしてこの男が、世界中の笑みを射抜くのだ。
「──まー、悪いだろうけどな、だがお前さんに言われるたぁ、思わなかった」
「煩い」
「はは、」
 ロックオンは息をはじき出すようにして笑い、そうしてから屈んで地面にハロをそっと置くとふたことみこと小さく呟いた。球体のロボットは承諾したというようにセンサを二度ほど明滅させてからころりと向きを変え、そのままころころと離れたところにたたずむロックオンの機体の方向へと転がってゆく。刹那から見ればこのロボットにロックオンの向けるあらゆる気遣いが不要と思える。しかし彼とそれの関係性において、それが最も重要なことであるらしかった。
 ハロがデュナメスの足元へと辿り着き、発進の準備だろうか、なにやら作業をしはじめるところまで、振り返って見送っていたロックオンは、そのまま顔を刹那に向けぬままに、ひとこと言った。
「怖ぇの」
「──何、」
「怖ぇのよ、ほんとはね」
 はは、と聞こえた笑い声は、先程とまるで同じ響きをしているのに、そこに乗っている表情はまるで笑っているものと思えなかった。
「世界が変わるまであと一時間だ」
 ロックオンはさっきと同じ言葉を繰り返す。
「あと一時間で変わっちまう。俺とお前と、他の連中で、世界の意識を叩き壊す──今まで俺たちが生きていた世界を、少なくとも俺たちが生きていていいって言われてた世界を、叩き壊してあとはみんなが俺らが蛙か虫かみてぇに踏みつぶされちまうのを望む世界になるんだ」
 淡々と、静かに、抑揚をつけて語られる言葉が何処から沸いて出たのだろうと刹那は思う。この年長者面した、何もかもを悟ったような顔をした、いつも笑うおとこの底に、そんな沼があるのだと思えなかった。
「世界を変えるんだ。それを疑うつもりも無ぇし、やめるつもりも無ぇけど、でもあと一時間で世界が変わる。それを望んでた筈なのに、怖ぇし、怖ぇ、って思いながらやめる気はしねぇんだよ」
「ロックオン」
 この感情に名前をつけるとすれば焦燥だろう。刹那は静かに喋る男の名を呼ぶ。名とされている記号を呼ぶ。
 いつも笑っていると思っていた男が本当に浮かべていた表情はどれだ?
「何だ?」
 振り返ったロックオンは、刹那ににやりと笑ってみせた。
「──ロックオン、お前は、」
「面白いだろ?」
 刹那の、問う形にまで至らなかった言葉を奪うようにして、ロックオンは言った。
「実はこういうこと考えてたっていうの知るのはさ」
「……興味がない」
「そいつは悪かった」
 そう言って、ロックオンは刹那の肩をとんと叩いた。
「何、お前さんの邪魔はしないさ。足を引っ張るつもりも無い。俺はお前のサポートをして、お前が望むようにやってやる。お前がどんな世界を望んでるかなんざ知らんが、それがソレスタル・ビーイングのゆく道に逆行しなければ俺はその道を邪魔する何もかもを撃ち抜くぜ」
「ロックオン、」
「何だ?」
「世界が変わる」
 そう、刹那は口に出してみた。
 それは酷く力のある、しかし出してみてしまえば足元からがらがらと地面の崩れ落ちてゆくような思いに襲われる言葉だった。ロックオンは眼を細めて、刹那を見下ろしていた。それを見上げて、刹那は繰り返す。
「世界が変わる」
「ああ」
「だが、本当は何も変わらない」
 ん、とロックオンは首を傾げる。
「大気の質が変わるわけじゃない。地球の自転の止まるわけでもない。ひとのかたちの変わるわけでもない。お前の認識する世界は、ひととの関わりだけか?」
「──刹那、」
「ならば、変わらない」
 そう言うと刹那は足元においたままだった端末を拾い上げる。相変わらず情報は予測の範囲内で推移しており、その変化の無さに少しだけ淋しいような、悲しいような、そんな名前をつけたくなるような感情を抱きながら、刹那は端末を閉じる。
「変わらない。少なくともロックオン・ストラトスとそれを取り巻く世界は変わらない。ソレスタル・ビーイングの一員として、ガンダム・マイスターとして、お前が生きていた世界はその外の世界が変わっても変わらず続く」
 途方に暮れたような表情のロックオンは、笑みの欠片も浮かべてはおらず、その呆けたような表情を見上げることを少しだけ愉快に思いながら刹那は続けた。
「世界は変わらない。世界を変えるために、俺たちの世界は変わりようもない」
「だが、」
「──時間だ」
 そう言って刹那は端末に表示された時間を示す。あと一時間。それを切って、自分たちはミッション開始時刻に合わせるための、待機ポイントへ移動しなければならない。
「だな」
 驚いたように眼をまるくしていたロックオンは、二度まばたきをしてから、ふ、と苦笑を浮かべた。それを静かに見上げた刹那は、くるりと身を転じてエクシアへと向かう。
 そうして、立ち止まり、振り返った。
「だが、何だ?」
「あ?」
 ロックオンは立ちすくむようにその場から移動せず、刹那のことを見つめていた。その表情は先程と変わらず、途方に暮れたようなものであったけれど、刹那が問えば軽く頭を振ってからいつもどおりの顔で間抜けに笑う。
「何でもないさ──ただ、変わらないのは惜しいと思った」
「何がだ」
「お前の世界が、変わればいいと思うよ」
 そう言う男の笑顔が、酷くしあわせそうにみえたものだから、刹那は小さく鼻を鳴らして、くだらない、と応えた。




二期の始まる1時間前に恐慌になりながら書きました。