ラブソング









 それは多分、この男が割と機嫌の良い時にだけ見れるような所作だった。
 足の長い男の、ぶらりと伸ばした爪先の、その先。
 それがふらふらと酷く落ち着きなく動くのだ。
 緩く一定のリズムを刻んでいたそれが、不意に止まり、爪先が呼吸をするほどの一拍を挟んで浅く空を蹴る。
 それが宙に弧を描くように彷徨って、強く手前に振られ、そうして最初にテンポに戻る。



 デュナメスのコックピットの端に引っかかるように座って、ロックオン・ストラトスは天井から下がるスコープの調整をしている様子だった。ばらばらと下がっている色とりどりの配線コード、それをばさばさと捌いては何か問題が無いかどうか確かめ、正しい配置に戻してゆく。少しでも損なわれているものはあっさりと放り出して、新しいものに取り替えてゆく。彼に尽くして捨てられたコードたちが、ばらばらとデュナメスの足元に切なげな表情で伸びていた。
 刹那が立ち止まったのは目の前にその青色の蛇のようなコードが降ってきたからではない。
 降ってくる直前に視界の端をちらちらと動く影の存在に気が付いたからである。それで足を止めたから、コードを頭で受け止めるという間抜けな事態を避けることができた。
 見上げれば、宙に伸ばされた足の刻むのはいつからか気が付いたあのテンポで、だらしなくぶら下がった無駄に長い影の、その動きが多少のパターンを違えながらも、同じ動きを繰り返しているだけであると気が付いたのは三回目になったときだった。短いパターンをあらゆる暗号解析術にあてはめてみて、結局諦めて声を上げたときには、その繰り返しが六回と半分を数えていた。
「それはなんだ」
 ひょいひょいと動いていた足がふと止まる。
 それでも何も言わず、黙って見上げていた刹那の前からひゅっと足が引っ込められて、そうして代わりに足の主の顔がひょいと出てきた。
「どうした、刹那。ぶつけたか?」
「それはなんだ、と、訊いた」
「コード? Cー52の配線コードなら新しいのが向こうのコンテナにまだ余ってるけど。もう無ェんだったらおやっさんに言って、あーついでに38番の」
「違う」
 赤いコードを振り回しながらついでに雑事まで押し付けようとしてきた男の言葉を遮って、刹那は苛々と言う。
「そうじゃない、足が、」
「あ、邪魔? 長くて悪いね」
「そうじゃない」
 苛立ちがそろそろ我慢できる上限に達しつつある。この男の察しの良さには普段救われるが、しかし言葉がまるで伝わらないのにはうんざりだ。刹那は舌打ちして、もういい、と立ち去りかける。
「あ、待った待った!」
 その気配は察したのだろう。慌てた口調でロックオンは叫ぶともう一度頭をコックピットの内へ引っ込めて、おそらく中に居たのだろうハロに一声二声、指示らしいものを告げてから、ひょいとケーブルを伝ってデュナメスから降りてきた。宥めるように笑いながら、既に半分背中を向けている刹那に近付いて、言う。
「っまー、悪かったな。で、何?」
「足だ」
「何の?」
「お前の。足が、動いていた」
「足くらい動──あー……、」
 そう言ったのは刹那が更に立ち去ろうとした気配を見せたからでは、多分、なかった。立ち止まって振り返った刹那を見もせず、ロックオンはべちりと自分の額を叩き、それから訝しげに見る刹那を見て、まあ、と頷いた。
「守秘義務で」
「何の暗号だ?」
「そういう意味じゃねぇよ、あー、まぁ、どういう意味もねぇけど」
 がしがしと髪をかきみだしていたロックオンは、それをぐいとかきあげて後ろに流すとその勢いで上を振り仰いで相棒の名前を呼んだ。
「ハロ!」
 開け放たれたコックピットの縁でオレンジ色の影が動いたような気がした。刹那には指示を飛ばすのにその距離を酷く遠いものと思ったが、彼らはどうにもそういうものでもなかったらしい。さほど大声とも思えぬほどの声量で、ロックオンは指示を出す。
「Mのデータバンクから、えー、っと、84番再生」
『リョウカイ、リョウカイ』
 やはり大きい音量ではないが、それでも言葉の意味の伝わる程度の音でハロは返し、それから何か音の連なりを放ちはじめる。ということは、ロックオンの指示は録音した何らかのデータを、再生するようにということだったのか。
 それが続くうちに、その音の意味を刹那は理解する。
「……音楽?」
「歌だな」
 笑いながらロックオンは両手を拡げて眼を細める。それは、その音をただ受け止めているように見えた。
 もっとも、刹那にはそれの意味がまるでわからなかった。続く音の連なりも、あまりにも知らぬ形で繋がりの予測もつかなかったし、綴られる言葉も聞き覚えの無いもので、何の意味も理解することはできなかった。音楽であるということはわかったけれども、発せられるのは酷く遠い場所からで、それは頭上に居る筈の姿の見えぬハロのうちがわというよりも、目の前のロックオンのもっと奥深いところ、或いはもっと遠い場所から、響いてくるものと思えた。
 掴むことのできるものとも、思えぬような。
「で、これが踊り」
 そう言ってロックオンはとん、とひとつステップを踏む。
 それはロックオンが宙に描いていた奇跡と同じ形で跳ねているのだと、気が付くのには1パターンを再生させるまでもなかった。しかし遠い音楽と目の前でぱたぱたと足音を立てて刻むかたちとは、あまりにも遠く離れていて、刹那にはそのふたつが繋がりのあるものとは、到底思えなかった。
「古い祭でやる踊りだな、古すぎて多分形も違っちまってるんだろうが。精霊とか先祖とか、そういうのを讃えて踊るんだ」
「祈りのようなものか、」
「まあ、ガキの遊びさ」
 くく、とロックオンは小さく笑って、足を止める。それからまた、ハロ、と呼ばわって停止を命じた。ぴたりとノイズの混じった音楽は止まり、モータ音と排気音の響くいつも通りの気配が戻ってくる。
 気配、と思ったことに刹那は少し驚いた。ただ小さな音楽が鳴って、ただロックオンが少しだけ、しかも足ばかりで例えば手や動きに正しい作法もあるだろうに、それを完璧に省略してやっただけの踊りがあって。
 それだけで、何か違うものが此処にあったような気がした。
 祈りだと、反射的に刹那が感じた、それが所以であったのかもしれない。
「──何故、それをお前は踊っていた?」
「今?」
「違う。さっき、コックピットで」
「踊ってねぇだろ、ただ足だけだぜ? ちょっと機嫌がいいときに、鼻歌交じりにさ、そういうもんだってあるだろう」
「無い」
「お前はそうだろね」
 苦笑してロックオンは手を伸ばし、刹那の頭をわしと撫でた。
 そうしてからロックオンは、とん、と爪先で地面を蹴る。ステップをはじめる、最初の一歩。
「まぁ、ガキのころの思い出さ。俺は割とこの曲が好きだったっし、この踊りが好きだった。意味なんざ無くってもな。機嫌がいいときゃそれこそこいつで一晩中でも踊ったもんさ。バカみたいだろ?」
「だがそれには、しかるべき場所と音と人がいたのだろう」
「その時に寄ってはね」
「ならばそれほど、愚かにも見えない」
 賢そうにも見えないが。そう言い足した刹那にロックオンは、ふ、ふ、と嬉しそうに短く声を上げて笑った。それをちらりと見て、溜息をつく。
「今はバカみたいだな」
「だろう!」
 刹那の呆れた口調に笑い声を上げて、ロックオンは軽く地面を蹴り少し高めに跳躍して、くるりとターンをする。照れゆえの足の縺れなどない、ただひたすらに愉快そうな、躊躇いのない踊り。
 そうしてもう一度、伴奏のないままに同じパターンをひとつ繰り返してから、くるりと回って会釈をする。
 拍手をするべきか刹那は少し迷ったがそれをせずに、ただひとつだけ、問うた。
「それで、死者には届いたのか」
「んなわけねぇだろ」
 軽く肩で息をしていたロックオンは、呆気なく言い放って、眉を蹙めた刹那をほうったらかしにしたまま天井を見上げる。
「届くかこんなもん。歌も無ぇしパートナーも無い。空は見えんし地面も遠い」
「そうか」
「だが刹那は見ただろ」
 そう言って、いぶかしげに見る刹那にロックオンは声を上げて笑った。
「お前が訊いた。俺が応えた。守秘義務なんざ知ったことか、俺はお前に答をやれる、その事実を何よりも得難く思うね」