テノール









 もうこの手のやりとりはいい加減見飽きてしまった。そう思いながらアレルヤは、自分の為に用意された食後のコーヒーに手を伸ばした。
 用意したのはロックオンで、用意されたのは自分だけではない。彼が今首根っこを掴んでテーブルへと戻らせようとしている少年に対してもであり、そうして隣の席で黙々と『皿の上にあるものを蹂躙する』という作業に勤しんでいる少年に対してもであった。ついでに言えばその皿の上にものを載せたのもロックオンであり、彼の為に用意されていたプチトマトはそれでひとつ減ってしまっていたけれど、それについてとりたてて何か言うでもなかったし、載せられた方のティエリアも軽く眉を顰めた以上何も言わなかった。
「せーつな、ってば。おまえ、もっとゆっくりしてけよ! ミルクあんのに」
「断る。エクシアの整備に当たる時間が迫っている」
「あと20分あるじゃん」
「あと20分しかない」
 その為に何の準備が必要なのだろう?、と、アレルヤは他人事のように考えながらコーヒーに口をつける。ティエリアがかたりと椅子を引いて立ちあがった。皿の上は、まるで最初から何も載っていませんでしたと言わんばかりの完璧さでもって真っ白に片付けられており、その破壊力にはロックオンの提供したプチトマトもささやかな抵抗にすらならなかったようであった。
「それでは、俺も失礼します」
「ティエリアあ」
「あなたがたもくだらない時間を浪費せず、次のミッションの準備に当たってください」
 それでは、とロックオンのことを一瞥だけしてからティエリアは踵を返し、そちらに意識を奪われた隙に難なく拘束を逃れた刹那がロックオンの伸ばした手を払う。4人分の食器と4人分の食事と、2.5人分程度の会話の載っていたテーブルの上には、結局2人分の食器とそれに見合う人数分の会話が残されたわけだ、とアレルヤは考えてコーヒーカップを置いた。
「っちぇ」
 その風景を見渡して、ロックオンはつまらないと言いたげに溜息をつき、自分では物足りないらしいと判断したアレルヤは少しだけ立ち上がろうかと思った。
 思ったがそれはしてやらないで、愉快そうに笑みを浮かべてロックオンを見返した。何しろあの完璧主義者のティエリアに『あなたがた』と言われてしまったのだ。ならば全力をもってくだらない時間を浪費せねばなるまい。
「また振られたね」
「まあ、仕方ねぇか」
 そう言ってロックオンは苦笑し、自分の分のコーヒーカップを引き寄せる。
「刹那に、エクシア相手に喧嘩できるなんざ思わんし、ティエリアにだってそうだ。お前さんもどうせ俺のこと置いてっちまうんだろ?」
「ひとりになりたい?」
「勘弁」
 そう泣き言を零すように言うものだから、アレルヤはくすくすと小さく笑う。それを馬鹿にされたとでも思ったのだろう、ちぇえ、と、ロックオンはまた大仰に声を漏らした。
「あいつらもうやだ、絶対俺のこと、指と眼だけありゃいいって思ってる」
「そんなことはないと思いますけど──そこまでは」
「や、そうだって。俺が口開かなくなったら諸手を挙げて大歓迎って感じだぜきっと」
 そう言って肩を竦める男をつくづくと見返して、アレルヤはその状態を想像した。何も喋らず淡々とミッションをこなす、ロックオン・ストラトス。
「逆に何かしら薬を探しに行くかもね」
「そこまでの殊勝さがあったら俺は泣く」
「感動で?」
「怖くて」
 そうあっさりと言ってロックオンは音を立ててコーヒーを啜った。そんなことを言うから余計に彼らを苛立たせるのではないだろうか、とアレルヤは考えながらコーヒーカップを撫でる。
「まぁ、お前さんは優しいから素直に感動するかもしれんけど」
 ロックオンがそう言うので、アレルヤはぱちりとひとつまばたきをした。
「そう思います?」
「え、違うの?」
 聞き返されて、アレルヤは少し考えた。
 ロックオンがそういうものに──例えば刹那だとかティエリアだとかと同じように、ある日突然生真面目に淡々と任務を遂行するようなものになってしまったら、薬を探しに行くと言ったのは多分それが自分だったらそうすると思ったからだ。その理由は優しさか?
「僕は、ロックオン、多分──」
 そう言ってアレルヤは小さく首を傾げる。
「貴方の声が好きなので」
「声」
「そう──声。あとその声をつくっている喉と、くちと、からだを」
 そう言って頷いて、アレルヤはその途方に暮れた男を見返した。ロックオンは少し困ったような表情でアレルヤの言葉を聞き、同じ表情のままで少しだけ考えて、それから、酷く生真面目な口調で言った。
「性的な意味で?」
「いえ、どちらかといえば観念的な意味で」
 アレルヤはロックオンの分の食器を自分のものに重ねながら、言葉を選びつつ続ける。
「だって、声は貴方のそのからだだから貴方の声で響くんですよ。そのかおだからそういう感じになる。だから僕は貴方の声が好きだし、声を作る貴方が好きだし──つまり貴方のことを傷つけたくないということです」
 ロックオンはその言葉を吟味するように何の茶々も入れず最後まで聞いていた。そうして、アレルヤが最後まで言うと、うう、と小さく唸り、立ち上がって、アレルヤの重ねた食器を流しまで運んでいって戻ってきて、それからアレルヤを見返して声を上げた。
「中身は!」
「勿論大好きですよ──即物的な意味で」
 アレルヤはそう応えてにっこりと笑った。




BGMは「幸福論」でした。とかよくもまあいけしゃあしゃあと言えたもんだなってな勢いだけの話。