無題









(或いは「世界を撃て」)


『可愛いこと言っていいか?』
 不意に聞こえてきた通信音声に、刹那は視線を巡らせた。
 横を飛翔する緑を基調としたカラーリングの機影がそこにあって、声の主はその操縦士だった。その向こう側には終わりのない闇があって、その向こう側に、割った硝子の屑を振りまいたようなひかりが無機的に散らばっていた。
 声の主を確認するのに、その機影を見る必要はない。
 そもそもその映像はモニタに映された虚像であって、実際に正しくその方向に、彼と彼の駆るガンダムがあるわけではない。それは電気的な幻影であって、実像では無い。
 無駄だな、と思いながら、刹那は手元のコンソールを操作してモニタに映像を出した。コックピットの中の男は、相変わらず笑みを含んだ表情で、刹那のことを見返してきた。
「それはミッションの達成率を左右するものか?」
『んー、どちらかと言えば阻害するかな』
「ならば、言うな」
『えー!』
 悲鳴のような声を上げて男は笑い、刹那は半ば呆れながら溜息を吐く。
 そう言われて頷けるわけがない。そろそろこの男の、子供じみた発言には慣れてきたけれども、そうしていちいちそれに対して言及することはなく、無視するのが一番の得策であると気が付いてはきたけれども、それにしてもこの言い草はないだろう。
 何より、提案方法が間違っている。
 アレルヤとティエリアでバディを組んで行われるミッションに比べて、自分たちのそれは目標の達成率が低い。それは極端に差があるわけではないし、ヴェーダの求める水準には充分に足るものだ。だから問題になるわけではない。自分たちが彼らに勝る時もあるし、急いているわけではないのだ。
 しかし、ヴェーダが何を求めるかを理解した上で行動する完璧主義者のティエリアと、彼の要求に真摯に応えるアレルヤ、という組み合わせの叩き出す数値には、ともすれば若さ──口さがない連中に言わせれば幼さと評される感情ゆえの勢いでプランを時に破綻させる刹那と、それのフォローに追われる格好になって自分の仕事を完璧に集中できないロックオン、という組み合わせで、太刀打ちができるわけがない。
 ゼロコンマ幾つという些細な数字の差ではあるが、自分が不適格であると言われているような気分になってあまり気持ちの良いものではない。
 今回のミッションも成功するだろう。
 決して難しいものではない──無論油断をしているわけでもない。宇宙空間でのミッションは地上のそれより不得手であるが不可能ではない。だからといって、阻害、などという言葉を使われて、頷けるわけもないのだ。
『厳しいなあ、刹那は』
 くく、と笑い声を上げる男の神経が信じられない。
「何故それで俺が認めると思った」
『了承得ねぇと怒られるかなと』
「得ようとして非難されていることに関しては?」
『案の定だなと』
「……うるさい」
 ついに男は噴き出して、声をあげて笑いだし、刹那はとりあえずモニタから男の顔を消した。ついでに通信も切ってやる。ぶつり、と遮断してしまえば、無音の空間の仲にはエクシアの動作音と刹那の呼吸音くらいしか空気を震わせるものは残らず、それを少し落ち着く、と思いながらもあの柔らかな声が聞こえないことを少しだけ淋しくも思う。
 彼の声は、嫌いではない。
 やさしい、やわらかな、彼の本質の気性を顕しているのだと思う──思っている。
 本当は、知らない。
 何を信じ、何に怒り、何に戦いの理由を得たのかを知らない。多分、この男の本質は、そういうところのもっと奥にあって、刹那のまわりにある硬質な空気をゆるやかに震わせる音は、この男の纏った虚像でしかない。
 知らない、ということを知っている。
 刹那は息を吐いて、コンソールをもう一度操作した。ピ、と電子音が鳴って、画面に男が映る。やわらかな笑みを浮かべて、刹那を見返す。
『どうした?』
「何だ」
『へ、──何が?』
「可愛いことを言ってみろ」
 苛立ちをこめて、そう吐き捨てる。
 そう言うと、男は一瞬、ぽかん、と酷く呆けたような表情になって、もう一度刹那が口を開こうとした瞬間に、そのままコックピットシートの上に突っ伏した。カメラの視界から像が失われて、細かく震える肩と背中だけが映る。ドウシタ、ドウシタ!と、電子音声が彼の名前を連呼して喚くのが聞こえた。
『せつなーッ』
「……何だ」
『お前それどういう了見で言うの!』
「言いたくないならば構わない」
『いや言う! 言います! 言わせて!!』
 笑い声のままで起きあがった男はモニタに覆い被さらんばかりにそう言って、また電子音声が迷惑そうに名前を呼んだ。それに、はは、と笑い返した男は、いそいそと座り直して刹那の前に姿勢を正す。


『──星を撃ち落としたいのよ』


 そう言って、笑う。
 刹那は10秒待った。それに対する説明が在るはずだと思って10秒待った。
 10秒待ったところでそれ以上の何の説明も冗談も謝罪も無かったので、言った。
「──どうやって?」
『んー、やっぱりライフル?』
「何処で」
『ジャストナウ。ここで』
「……何を、」
『だから、星』
「、じゃない。だから、何を言いたいのか、と」
『や』
 そう言うと、男はははっと声を上げて刹那を示した。
 モニタに映った、刹那の像を。
 その表示の背後には、刹那のモニタが男の像を見ている背後とおなじように、自分たちが向かおうとしているミッションの目標地点があるはずで、そうしてそこにはまだ何も無かった。
 何も無い、わけではない。
 宇宙と、星があった。
『こんだけあったらいくつか撃ち落として、流れ星になったらさ、いいだろ?』
「……巫山戯るな」
『だから、可愛いことだって』
 そう言って、男は目を細める。
『言いたかっただけでさ。多分俺、今ならちょっと大きめな星くらいは、狙って落とせると思うんだが、ちょっとそれ、やってみたいなあと、』
 足の下には何も知らない星が回る。自転し、公転し、宇宙の屑を巻き込み跳ね飛ばし、摩擦して炎に変えながら。
 流れ星というのは、そういうものだ。
 星を撃ち落として為るものではない。
 それだけのことを言おうとして、息を吸って、そうして刹那は吐いた。
「──訊かなければよかった」
 それしか言えなかった。
 男は、ははは、と声を上げて笑い、手元のコンソールを操作する。降りてくるスコープに表情が隠れる。それを手元に引き寄せながら、男は笑って問うた。
『狙っていいか、刹那? ティエリアの顔が目にうかぶぜ?』
「構わない、ロックオン・ストラトス」
 そう言って、刹那はすいとその射線から退いた。貴婦人の為に道をあけるように、恭しく。
「宣戦布告だ」
 ロックオンは返答をしない。モニタが揺らいで、画面から彼の姿が消えた。
 刹那は構わない。前だけを見る。虚像など要らない。その様が見れればいい。
『狙い撃つ』
 音声だけが静かに、刹那の周囲の停滞した硬質な空気を揺らす。
 次の瞬間、彼の機体の構えた長距離ライフルは、収束した光を放つとまっすぐにその視界の果てまでを貫いた。ミッションの目標地点、破壊すべき悪を、地球がこれから何もかもを跳ね飛ばして進むべき理想への道筋、その弊害を撃ち抜いて。
 そうして、その彼方の、星を、



 高らかに響いたのは笑い声。
『どうだよ、オイ、届いたか! なァ、見えたか!!!』
 そうして続く名前を刹那は聞かなかった。