だから多分これは間違い









「とりあえずケーキでいいかね」
 唐突にそんなことを言われたので、刹那は返事に困って暫くロックオンを見返した。ロックオンは妙に嬉しそうにしていて、刹那が何を言おうとそれで押し通すつもりらしく、自分を見る視線に首を傾げてもう一度、言った。
「ケーキで」
「──何が」
「誕生日」
 それは彼にとって、それ以上の説明の必要としないものであるらしかった。ケーキ。その単語の喚起させるイメージがあまりにも現実味に欠けるものだったので、まるで想像がつかないままに自然と顔を顰めてしまう。
「……食べれるものならば」
「あ、いまおまえもの凄く失礼なこと言ったぞ」
「あんたがつくるのか?」
 思わず出てしまった言葉は必要以上に心外そうな色を呈してしまっていて、しかしそれをこそ面白がるようにロックオンは笑い声を上げた。
「この無人島でどうしろってんだよ! ま、そういうのがよけりゃ街に出てもいいけどさ」
「……それは面倒だ」
「俺も面倒だ。プロ並みなんて期待はするなよ、所詮は素人のやることだしな」
 そんなことを言って肩を竦めたが、ロックオンは少なくとも刹那よりは料理をする。刹那が億劫がってまるでやらないということもあるが、台所に立っている頻度は刹那より多い。確かに料理人というほどの腕前ではないのだろうが、不味いとはっきりわかるような失敗作を出されたことはなかった気がする。あちこちを動き回っている分そのあたりのごまかしができるようになっているのだろうが。
 そうやってかつてこのテーブルの上に並んだことのある皿の色を思い出し、そこに並んでいたものを探る。記憶力は悪い方ではない。そうやってたぐってゆくうちに、ひとかけら、甘い記憶に辿り着いた。
「──アップルパイ」
「ん?」
「アップルパイ。あんたの、つくった」
「あー。よく覚えてたなそんなの」
 苦笑を浮かべて、ロックオンは言う。
 いつだったか、林檎ばかり囓っていたのを見られて笑われたことがあった。別に好きだし栄養になるし笑われたところで文句もなかったのだけれどもその次の週だったか──ああ、土曜日だ、そう反射的に思い出した──この男が作ったのだ。覚えている。アップルパイだ。
「ほんとにおまえ林檎好きだよなー」
 くつくつと笑ってロックオンは言う。
「こういうときはもっとケーキっぽいもん言うべきだと思うんだけど」
「悪いのか」
「いや、まあ助かる。正直そんな凝ったモンは作れんし、いっぺん作ったからなんとかなるだろ」
 そう言ってロックオンは椅子を引いて立ちあがる。座ったままで刹那は見上げて訊いた。
「今からつくるのか」
「だって誕生日じゃんおまえ」
「そうか」
「流石におまえの言葉の先読みしてもうできてますだなんて出せるほど、俺も有能じゃないの」
 肩を竦めて、ちょっと待ってろなんて言った男を見上げて、小さく呟く。
「誕生日」
「ん。──え、まさか今日じゃねえとか今更?」
「いや」
 首を振った刹那はロックオンから視線を落とし、答を探るように周囲を見回して──しかし当然其処に何かを返すようなものはなく──仕方なくもう一度ロックオンを見上げて、言った。
「誕生日を祝うつもりなんだろう、あんた」
「伝わってなかった?」
「じゃあ、何かくれるのか」
「──は?」
 ロックオンはきょとんとした顔で刹那を見返している。これが察しのつかないわけがないのだ──そんな意味の分からない苛立ちを覚えながら、刹那はもう一度言った。
「何かくれるのか。誕生日はそういうものだと、聞いた」
「え、誰に」
「知り合いに」
 正確には、そう主張していた隣人の客だ。ドアの横で声高に叫んでいたのを聞いた。そうやって見返りを求める声は喧しかったが、それを認める好意の声と、認めて貰ったあとの笑い声を聞いたあと、妙に腹の底に熱に似たものが残っていた。
 何かを求めても、良い日なのだと、思った。
「えーと、アップルパイ」
 ロックオンは首を傾げる。まだ言うのか。刹那は逆に、腹の冷えるような感覚を覚えた。首を横に振って、もう一度言う。
「そうじゃない」
「あー、おまえがそういう我が儘言うようになったのは、割と嬉しいモンではあるんだけども、突然言われたって何にも準備も無いし店も無いし」
「新しいものは要らない」
「じゃあ、」
「あんたのものを」
 そう言って、見上げる。
 ロックオンは暫く、何の表情も浮かべずに、ただ静かに刹那を見下ろしていた。嫌悪とか驚愕とか、そういう名前のつけられるようなものだったら何か刹那にも言えたかもしれない。何も知らない子供のように声を上げて喚くこともできたかもしれない。しかし刹那には何も見えなくて、だから何を言うこともできなかった。同じものを映すしかなかった。
 だってこの男は何もくれない。
 刹那に何も残さない。形に残る何もかも、刹那の傍に残そうとしない。
 彼が居るという確信すら。
 何も。
「──おまえはさ」
 何も映さないままでロックオンは言った。言ってから何も映っていなかったことに気がついて、そのことに少し驚いたような顔をした。
 それから、ちょっとだけ笑って、刹那の頭に手を伸ばす。
「おまえはさ、そういうことはもうちょっと、可愛いおんなのことかに言うといいぜ」
「変わりはない」
 刹那はゆっくりと首を振る。
「この先に何であろうと変わりはない。今はあんただ、ロックオン」
「なんか今若干傷ついたよ俺」
「知らない」
「うわひッで」
 そう言って天を仰いだロックオンは、刹那の頭の上に置いた手でくしゃりと髪の毛を掻き回すと、ぽんと宥めるように刹那の頭を叩いてから笑った。
「ごめんな」
 そう言って、目を細める。
「おまえには何もあげられないんだ。俺の持ってるもんは、みんな俺のもんじゃないし、俺の持ってたもんは、みんな他のやつのためにやっちゃったんだ。今俺が持ってるもんは他のやつの為のもんで、俺の為のもんじゃないんだ」
「ロックオン、」
「おまえは案外粘着質っぽいからさ」
 そう言って、ロックオンは笑った。
「何かやったら後生大事に抱え込みそうだから。そういうとこはおまえ、俺と結構似てると思うぜ。だから言うんだけどさ」
 そう言って、笑ったのだ。
「おまえには何も残さない。食べちゃったら忘れちまうくらいのほうが、本当はいいんだ」




ちったあ祝えと。





 ふたりだけの夕食が無言で過ぎるのはいつも通りで、何か変わっているものがあるかといえば、皿の数がいくらか多いのと、テーブルの真ん中にアップルパイの大皿がひとつ残されていたことくらいだろうか。もっと本格的なパーティは宇宙でやろうぜ、とロックオンは笑った。その方が大騒ぎできるし、多分楽しいだろう。
「あ、ちょっと」
 席を立った刹那にロックオンは小さな更にアップルパイのひときれを、載せて刹那に渡した。
「夜食用。あとは明日の朝飯かね──やっぱり2人分だと多かったか。アレルヤもティエリアも、呼べばよかったかね」
「構わない」
「そうかねぇ。今日は早く寝ろよ」
「ああ」
 こくりと頷いて部屋に戻る。ロックオンは使った食器や調理器具を片付けていて、それに手を出すことを刹那はしなかった。私室に戻って扉を後ろ手に閉め、皿はデスクに置いてベッドサイドに投げていた本を持って戻る。読みかけの論文はさほど興味深いものでもなかったけれど、読み切ってしまわないことには次にゆけない性分だった。
 栞をさぐってページを開き、そうして左手でアップルパイを取り上げて口に運び──違和感に気付く。
「──、」
 本をデスクに伏せ、暫く口の中で転がしたそれを掌に吐き出す。鳥のかたちを象った小さなメダイユが、読書灯のひかりを跳ね返して静かに光っていた。