答を待つ鳥
-
「疲れたか?」
不意にそう声をかけられて、席を立った刹那は動きを止めた。
席についたまま、ロックオンは視線だけで刹那を見上げていた。眼があうと、に、と口端が笑みを刻む。反射的に刹那はそれから眼を逸らした。
半日ぶりに、彼の声を聞いた。
半日。そう刹那は考える。半日!
そんなにもこの男の声を聴いていなかったのだと思う。この多弁な男が、いっそ鬱陶しいほどにちょっかいをかけてくる男が、朝の挨拶のあとろくに自分に声をかけなかった。吐き出す言葉を見つけられぬように、刹那のことを見もせずに。
視線を逃がした先でエクシアの整備は続いており、それを終えたところで自分たちは宇宙へ戻ることになっていた。軌道エレベータを用いての輸送も手慣れたもので、既にティエリアとヴァーチェは宇宙に上がっている。それに続いて、刹那とエクシアが、そして最後にロックオンとデュナメスが上がる手筈になっている。
それだけのことを決めるだけの時間ですら、ロックオンは刹那と眼を合わせることがなかった。
「俺に何か不足でも」
「いや?」
視線を戻して問えばロックオンはにやりと笑って肩を竦めてみせる。刹那は自分の目付きが勝手に険を増すのを自覚する。
「……ならば何故そんなことを言う」
「何でかな」
そういって、今度はロックオンが視線を彷徨わせる。先程刹那の見ていたように、エクシアの方に目を向けた。『向けた』といってもそれは、その方向に顔が向いたというだけのことで、其処に何かを見いだそうとしている様子ではなかった。
それが、ゆるりと宙を彷徨い、そうして再び、刹那を見る。苦笑。
「俺かも」
酷く困ったように笑って。
「俺がちょっと、疲れてんのかね。だからお前に、同意を求めてんのかもな」
「──俺が、」
「お前は関係無ぇよ」
そういって、ロックオンは目を細める。それで、刹那は自分に向けられたひとみの色を思い出す。
その温度を。その色を。
見たことがないわけではない。ロックオンが、人間を──標的を、それを撃ち抜くと決めて見据えるときの眸。揺らがず、躊躇わず、ただそれを視界の中央に焼き付け、その崩れ落ちるまでの総てを己の裡に写して残そうとするかのような。
刹那はそれを知っている。その色を知っている。誰よりも。
自分たちのうちで、それを向けられたのは自分だけだ。
「嘘を吐くな」
「嘘じゃないさ」
そんなものは嘘だったのだとでもいうように、ロックオンは如何にも愉快そうに笑った。
「お前には関係ないよ」
「だが、俺は」
「関係ない」
そういって、刹那を拒むように眼を伏せる。
ああ、まただ。
そうやって自分の視界から、追い出してロックオンは刹那の有り様を否定する。そうやって刹那を受け容れることを諦める。
「全部、俺の問題だろ。お前のことも、俺のことも」
眼を閉じたままで、ロックオンは唄うように言う。
「お前が誰で、何処にいて、何をしていたかとか、俺ん中でそーいうの無しにしようって決めたのは俺だ。お前はただの刹那・F・セイエイで、他のなんも俺は知らない。だからこいつは俺の問題だ。お前が決めることじゃない」
「受け容れてなどいないくせに?」
ロックオンは目蓋を開ける。深い、冷たい──強い。あのみどりいろが刹那を穿つ。
「──何だって」
「受け容れるつもりなどないくせに」
刹那はそういって、かつかつと座ったままのロックオンに歩み寄る。真横の位置に立って見下ろせば、ロックオンが訝しげに眼を細めた──それと同じ位置にまで視線を合わせるように、刹那は膝をついてロックオンに向かい合う。
「俺は、俺だ。刹那・F・セイエイだけじゃない。その前に在った名も、この名を得る前にやってきたこと総ても、含めて。それを抱えて、俺は生きている──お前もそうだろう、ロックオン・ストラトス」
向き合った眼はあの時の、その先を射抜くみどりいろの冷たい炎を抱いた眸で、しかしそれは動揺に揺れていた。強風に標的を定められずに戸惑うように。
「迷うな」
そう言えば、びくり、と肩が揺れる。
此方を見据えていたみどりが、驚いたように見開かれて、そうして。
笑った。
「──しゃあ無ェな」
「ロックオン、」
「悪かった、刹那。要らんこと言った」
そう言ってロックオンは立ちあがる。手を伸ばせば指で触れられるまで近くにあったみどりが呆気なく離れて、あっという間に手の届かぬ場所へと行ってしまう。
「疲れたのは俺だって。大あわてで出撃準備して要らんこと言われまくってさ。疲れもするってもんだよあーもー休暇欲しいな休暇」
「ロックオン、」
「ん?」
振り返ったロックオンは、相変わらずの『ロックオン・ストラトス』で、ああ、この男はいま、諦めたのだ、そんな風に刹那は思った。
刹那を。刹那・F・セイエイといういきものを、理解して、その総てを抱き込んで認めることを、諦めたのだ。
「……どうした?」
ロックオンは困ったように笑って問う。その眸に手を伸ばそうとして、刹那はしかし手を握りこんだ。
「ひとつ訊きたい」
「何だ」
「休暇、と言ったろう──お前は今、止めてしまいたいのか?」
「じゃあ、お前は?」
にやりと笑って、ロックオンは逆に訊き返してきた。刹那は眼をしばたたかせる。そんなことを考えたこともなかったからだ。
笑いながらロックオンは刹那の頭をとんと叩く。曲げた指の節で小突いたのだろう、その硬質な感触は、ただ子供のように撫でられるよりは好意的に受け止められると思った。
「止める気なんざ無ぇさ。そもそも何もやってねぇ。お前がやめちまいたいなら、留めはしないけどさ。どうよ?」
「──訊く必要が?」
「無いと思ったから言った」
今度は撫でられた。眉を顰めて見上げれば、柔らかく笑う表情は常のままで、それを向けられることに刹那は腹の底が和ぐような、冷えた底から熱をもつような、そんな妙な感覚に襲われる。そんな場所が存在していたことすら知らなかった──そう考えて、思う。これはロックオンがくれた場所だ。何の努力をすることもなく、ただ与えられていた熱。
そう、昨日までは。
これからはもう、与えられることがなかったのかもしれない熱。
「──ロックオン」
「今度は何だよ、そろそろ出る時間だぜ?」
「俺は止めない」
そう、強く言えばロックオンは少しだけ驚いたように眼を瞠り、そうしてからくしゃりと笑みを浮かべた。腹の底から、擽ったがりの猫のように。
「ああ、お前はそれが良いよ、『刹那』」
21話補完。どうしても刹那の見る夢が納得ゆかなかったので、その感情はひとに引っ張られてのことではなかったのかなと。
思ったのですけれどももうちょっと出しようがあるだろうよ自分。