TWO KEYS









「アレルヤ」
 不意にかけられた声に振り返ると、デュナメスのコックピットから弾けるように飛び出したロックオンが、ハッチを蹴りつけて内壁に近いアレルヤのほうへと移動してくるところだった。イアンに提出するレポートを手に移動していたアレルヤは、手元のパイプを掴んで移動を止めると、ロックオンが近付いてくるのを待った。
 アレルヤが進むのを計算してハッチを離れたのだろう、少しずれたところに到着しそうになったロックオンは、途中にいたカレルに声をかけてからその頭頂部を蹴って方向を修正し、アレルヤの掴んでいるパイプに取り付いて一息吐いた。殆ど宇宙空間と肉迫しているこのコンテナで、出撃のギリギリまでヘルメットを被らないのは相変わらずだ。
「探してたんだよ、お前、暫く宇宙だろう?」
「ええ、少し考えていることがあるので」
「そっか。巧くやれよ」
 そういって暢気に笑う男は、何を理解しているのだろうか。アレルヤは苦笑しながらそんなふうに思う。何を理解して、何を理解しないで、何を理解したふりをしているのだろうか。
 訊いても意味は無いだろうと思いながら苦笑して少し俯いたアレルヤは、突然目の前にあらわれたてのひらに少し驚く。パイロットスーツから一体になったつくりのそれが、ひらりと綻ぶように開いてその中からふわりとちいさなものが放たれた。
 鍵。
「やるよ」
 そういってロックオンはあっさりと手を引っ込める。アレルヤは少し慌てて、それが惰性で勝手に何処かにいってしまわぬうちにそれを手に受け止めた。てのひらの上のそれは、鍵だった。少し古い型の金属のものと、そろそろ型遅れになっているカードキー。そのふたつがオレンジ色の丸いキーホルダーでまとめられている。
「合い鍵」
 鍵の束から視線を上げれば、ロックオンはにやりと笑って言う。アレルヤは少し驚いて目を見開いた。
「──え、」
「だと、良いんだけど」
「え?」
 よっぽど自分は驚いた顔をしたのだろう。く、と小さく噴き出したロックオンは、手を伸ばしてその金属の鍵を指先でつついた。
「実はコレさ、もう使ってねぇ隠れ家のやつで」
「……はい?」
「何処のか忘れちまったんだよ」
 そう言って肩を竦めた男の隠れ家は確かにころころとよく変わる。彼の性分というものなのだろう。或いは単に引っ越しが好きなのかもしれないが。ソレスタル・ビーイングに加わる前からあちこちを転々として暮らしていたらしく、それが彼のそれまでの生業とどう関わりがあるのかはわからないが、とにかくひとつのところに留まるのは好まないらしかった。
 結果としてアレルヤたちすら把握していない彼だけの隠れ家もあるようだったし、前に彼が住み着いていたアパートから奇麗さっぱり気配が消えているということもあった。逃亡が必要だったというわけでもなさそうで、通りを2つ隔てただけの部屋に店子になっていたりする。一方で出てゆくのも殆ど夜逃げ同然ということもあるらしく、そんなことを繰り返していれば鍵も返しそびれたりするのだろう。
「だから実は全然特別でもなんでもなくてさ。むしろ何処のか覚えてたら返しといてくれると助かる」
「無茶を言わないでくださいよ」
 そう言いながら苦笑したアレルヤだったけれども、確かにこの鍵に見覚えはあった。何度か預けられたキーホルダーの色がキュリオスのオレンジと同じだったから、何となく覚えていたのかもしれない。北欧の奇麗な街。地上の建造物には大して興味を持たないハレルヤも、何処か楽しそうに自分のうちがわから見ていたのを覚えている。
 期待するように自分を見るロックオンに、アレルヤは仕方ないとばかりに肩を竦めてみせた。
「勘が当たっていたら、返しておきます」
「本当か? 助かる」
「じゃあ、こちらは?」
 そういって示したのは、古ぼけた感のあるカードキーで、トレミーのものとも地上の基地のものとも、それどころか今までロックオンが住み着いていた何処のものともわからなかった。少なくともアレルヤは見たことがないという確信がもてる。記憶力は悪い方ではない。
 アレルヤの視線にロックオンは両手をひろげてみせた。降参のポーズ。
「さっぱり」
「何でこんなものくれますか」
「だってお前暫く宇宙だろ?」
「それはそうですけど」
「だからさ」
 何の理由にもなっていない。少なくともこの鍵の片方は宇宙では絶対に必要のないものの筈だし、もう片方もそうだろう。しかも本人にすら用途がわからないときている。
 にやにや笑っているロックオンは、それ以上の説明をする気は無いらしく、アレルヤは諦めて溜息をついた。
「とりあえず、これは返しに行きます」
「そっか!」
「変なひとですね、やるなんて言っときながら、返すっていうのに何で笑います?」
「ついでに忘れモンあったら回収してきてくれよ」
「何様?」
 声を上げてロックオンは笑って、それから、じゃあ、と手を挙げた。
「俺は降りるからあとよろしく」
「未払いの家賃はないでしょうね? 求められたらツケにしますよ」
「ソレスタル・ビーイングで領収書切ってもらってくれ」
 そう言ってロックオンはパネルを蹴ってアレルヤから離れる。本当に用事はそれだけだったらしい。ひょいひょいと手を振るロックオンに手を振り返してみせてから、アレルヤはもう一度てのひらのうえの鍵をひょいと低重力の空間に泳がせた。鍵はふわりと頼りなく宙を泳いで、それをアレルヤはもう片方の手でキャッチすると、コンテナを出ようとするイアンを慌てて追いかけた。





 そう、その街をアレルヤは好きだった。多分ハレルヤも。





「まったく」
 アレルヤは部屋の壁一面に溢れる色彩に思わず悲鳴のような笑い声を上げた。
「何てタチが悪いんだ、あのひとは!」
 家財道具の一切が片付けられた部屋。借りていた主は引っ越しの準備をしておきながら、向こう1年の家賃をおいていったらしい。大家は呆れたように溜息をついていた。
 がらんとした部屋の、もとは白かったのだろう壁の一面は色とりどりに塗りたくられていた。赤。黄。青。そしてオレンジ。めまぐるしく重なっては混ざり、塗り潰されて色は濁り、まるで幼いこどもの落書きのように無秩序にぶつかりあう。そのすべてがひとりの名前を言祝いでいた。
 その名前は遠い他人を讃える言葉。
 ひとりの、しかしふたりの、名前。
 床には防水のシートと、半分ほど使って残ったペンキの缶が積まれていて、それが薄く埃を被っていた。
「こんなことならカードキーの部屋も探し出さなきゃいけないじゃないか」
 そういってアレルヤは鍵を放り投げた。重力に轢かれてあっけなく墜ちてきたそれを捕まえてハレルヤは笑った。あんまりにも笑いすぎて両方の眼から涙が滲んだ。