窓辺のともしび









「そんなカッコで寒くねぇ?」
 不意に降ってきた言葉に顔を上げて、アレルヤは困ったように笑う。
「今のあなたにだけは言われたくありません」
「そう?」
 窓枠に腰掛けて手すりに凭れる男は軽く肩を竦めてみせる。室内とはいえ2階の窓は開け放たれており、ロックオンはコートなどを着ているわけでもなかった。まだ夜風に吹かれて歩いてきた自分の方が、見目だけでは温かそうだという自信がある。
「何してるんですか」
「煙草吸ってた」
 そう言って伸ばした腕を振れば、その先で赤がちらと揺れる。それは彼の指先を温める熱量に到底足りるとも思えず、むしろ炎を纏っている筈なのに寒々しいようにすら見えた。
「地面に降りると誰にも怒られないからいいよな」
「室内禁煙のくせに?」
 そう言ってやれば、目を逸らしてことさらに手を外へと伸ばしてみせる。ぽかり浮かんだ月を求める子供のように。
「外です、此処は」
「大家さんにばらしますよ」
「勘弁」
 そう戯けた口調で言ってから、ロックオンは煙草を手挟んでいないほうの腕でジーンズのポケットを探る。さほど間もおかずにその腕は外へ躊躇いなく振り出されて、その指先から投じられた銀色をアレルヤは2歩後ずさって胸の前で受け止める。
 今時珍しい金属のカギが2つ。オレンジ色の球体がついたキーホルダーでまとめてあるそれ。
「開けて入れよ」
「いつも思うんですけれども、自分で開けてくださいって」
「いいじゃん、そんくらい」
 にやりと笑って手を振ってみせる。赤の先端からちらちらと灰が散って、それは風に吹き散らかされて遠くへ飛んでいく。
 街灯の不安げなひかりをうけて風にのってとんでゆく、そのさきをぼんやりと見送ってから呆れたような視線を頭上の男に向けてみせる。
「……ばらしますよ」
「灰皿持ってますからご安心を!」
「ついでに禁煙すればいい」
「お前までそんなこと言うか?」
「聞かないのを判って言ってるんです。ティエリアに怒られてやめないのを僕が言ったってしょうがない」
 そう言ってカギを手の上でぽんと投げてみせる。
「今上がりますから、僕が上がるまでに吸い終わっててください」
「何で?」
「ヒータをつけといてほしいからです。今夜は寒いですよ、実を言えば」
「そりゃ知らなかった」
 そう言って指先を口元へ運ぶ。それの形作る笑みの形を見ていたくなくて、アレルヤはロックオンの窓の下を通りすぎてアパルトメントの共同入り口へ向かう。
 無人島の基地に詰めていることの多いロックオンは地球での生活拠点をそれ以外に必要としない場合が多いのだが、それでも離れた地域でのミッションのために借りている家がいくつかある。この裏通りの古くてすきま風の吹きこむ狭いアパルトメントもそんなもののひとつで、不真面目な三流大学生という名目で借りているらしいこの部屋の大家は、ロックオンを見かけるたびに不満げに鼻を鳴らし、友人という名目で彼の部屋を訪れるアレルヤに、ひととしての正しい道を得々と言い聞かせる。何でも28号室に住み着いているダニエル・デイヴィスたる人物は、友人と呼ぶのには最悪な選択であるらしい。アレルヤはそれを否定するための明確な根拠も持ち合わせてはいなかった。何しろ彼は今世界で最も憎まれている犯罪者のうちのひとりなのだから。
 今夜は大家に出くわさなくて済みそうであるのに安堵しながら、アレルヤはちかちかと電球の切れかけた階段を上がりきってつきあたりの部屋に、カギのひとつを差し込んだ。頑固な抵抗をみせる鍵穴を、騙すように少しだけ引っ張ってからぐいと力をこめて回せば鈍い音を立てて従う。その古めかしさをこそ、どうやらこの店子は好んでいるらしく、彼の住み着いている何処を尋ねても多かれ少なかれこういう不足が目に付いた。
 夜更かしはする、棄て猫は連れ込む、大家の言うところによれば家賃を払う以外取り柄の無い男は、相変わらず開け放ったままの窓から半身を乗り出して煙を吐いていた。
「約束を破りましたね?」
「約束はしなかったぜ。頼まれたことはしといたし」
 そう言う視線の先を辿れば、確かに部屋の隅でヒータは不満げな目を光らせていた。まるでこの部屋が寒いのはわたしのせいではございませんよと、主張するような慎ましやかさで。
「僕は約束をしたつもりだったんです」
 そう言って窓辺に歩いていったアレルヤは、その手元から酷くちびた煙草を取り上げると桟の上の灰皿に押し付ける。不満げな顔は放っておいて、その柔らかな髪に手をつっこんで掻き回せば、冷たく湿った感覚が指にまとわりついた。
「何のだよ」
 その手を拒むようにロックオンは手を伸ばしてアレルヤの手をとる。アレルヤは掴まれた手首をそのままに、逆の手をのばして立て付けの悪い窓を思い切り閉めた。ばん、と騒々しい音がして、歪んだ窓硝子が揺れる。また大家に怒られるネタを作ってしまった。
「もうそうやってあなたを待たせないと約束していたのに」
「してないって」
 冷え切った男は顔を背ける。その肩を抱き寄せてアレルヤはつめたい首筋に唇で触れた。それ以上嘘をつかれたら、そのまま此処を食いちぎってやろうと思った。




正直書きたかったのは冒頭の距離感だけなので残りは消化試合なんですが。