ロックンロール









 気密性の高い部屋のドアを開けると、それまでは囁くほどの大きさで漏れ聞こえていた音が数倍、数十倍したような質量で響いてきて、刹那は思わず眉を寄せる。
 音波という、見えない波ではない。物質的な存在感を伴って壁を、大気を、殴りつける勢いで揺らす、ギャリギャリと耳障りな音のかたまり。一定のパターンで和音らしきものを形作っていたが一瞬おさまって、次いで同じ音源ではあるだろうが出し方を変えたらしい単調な上下動が割り込んでくる。
 それにひとの声が重なる。呟くような、罵るような、低く繰り返される汚い言葉の連なりはおそろしく陰鬱で、言葉を追う刹那の表情を余計に顰めさせる。
「──うるさい」
 小さく呟いた刹那の声は、唐突に高まった声と音にかき消された。言葉の連なりだけはこんなにも絶望的なのに、何故こんなにも高らかに叫ぶことができるのか?
「うるさい」
 もう一度言って刹那は部屋の中へ足を踏み入れる。音が槍のように皮膚を刺し貫こうとする。不満を顕わにする輩を糾弾するように。しかし刹那は足を止めない。部屋の奥へ。その音の中心へ。
 音は耳の奥へ飛び込んで、頭蓋の内側で不快な反響を繰り返す。刹那は足を止めない。地鳴りのような破裂音。響くノイズ。不協和音。声。憂鬱を訴える声。声。声。刹那は足を止める。一歩分、片足を引く。
「うるさい!」
 叫ぶと同時に振るった足で床に転がった球体を蹴飛ばした。
 音が止まる。
『ギャッ』
「だっ?!」
 短い叫びが音の消えた室内にふたつ響く。がんっ、と強かに壁にぶつかったハロは、ごんごんごろごろと数度弾みで跳ねてから床に転がる。刹那に背を向けて端末を弄っていたロックオンは、目を剥いて刹那に叫んだ。
「ってェだろが何すんだ!」
「あんたのことは蹴ってない」
「その勢いで蹴られたら死んでるっての俺が──ッて、ハロ! 無事か!」
 床に転がったハロはロックオンの声に反応してくるりと回転し、彼の方を向いて目をチカチカと光らせる。
『ハロ、ゲンキ! セツナ、オウボウ、オウボウ!』
「うるさい」
 小さく舌打ちして刹那はもう一度蹴ってやろうかと軽く足を引いてみせる。キャッ!、と合成音声は悲鳴らしき声を上げて、ころころと逃げてロックオンの背後に隠れた。
 それを睨み付ける勢いで見つめてやれば、ロックオンが足を開く幅を拡げて腰に手をあて、『怒っています』のポーズをつくった。
「お前なぁ、幾らなんでも蹴るこたないだろうが」
「うるさいのが悪い」
「え」
 いからせていた肩がすとんと落ちる。つくづくこの男は何をするにも大仰だ。
「マジで? 外まで聞こえてた?」
「ああ、迷惑だ」
「あちゃあ、ここんとこ一人だったからなあ……悪い悪い」
 小さく頭を掻く男にとりあえず満足をして、刹那はくるりと向きを転じる。立ち去りかけた刹那はしかし、耳の奥にまだわんわんと残っている残響に足を止めた。
「ロックオン」
「まだかけてませんよッ」
 反射的に跳び退る男に冷静な一瞥を向けてから、刹那はまだ彼から隠れるように動かないハロに視線を向ける。
「今のは何だ?」
「へ」
 ロックオンは間抜けな顔で刹那を見返してから、彼の視線を追うようにハロを見下ろす。それから、あー、と言葉を探して間延びした声を出して、それからもう一度、刹那を見た。
「三百年前に死んだ奴の声」
「そうか」
 刹那はその言葉に頷く。重なるように響いている音の名残に耳を澄ます。
「だから嫌いじゃないのか」
「へぇ、じゃあ俺の声は?」
 少し期待するように甘えた声を出す男を振り返ると、刹那は軽く首を傾げてみせた。
「嫌いだな」
「だろうね」




もうちょっと煮詰めれば何とかなった気がする感じ。