ただひとすじの









「おう、生きてたか」
 そのひどく明るい声に、刹那は握りかけた拳を一度ひろげて、そしてもう一度握り直す。
 そしてその間抜けな顔がひょっこりと角を曲がってこちらを覗き込む前に思い切りそれを振りかぶる。
「心配し、っておうわ!」
「──」
「露骨に舌打ちすんな?!」
 ひきつった表情で喚く顔の横で大きなてのひらが刹那の拳を受け止めている。いつも通りのロックオンに、刹那は一瞥を向けるだけで表情を空に戻した。
 制空権はとうに此方のものの筈だ。支援が遅い。何をしている、と思って苛々とする。
 心配しているのは、どっちだ。
「お前さあ、そんなにぴりぴりしてんなよ」
 そう言って手を離したロックオンは、ひらひらとグローブをしたままのてのひらを振ってみせた。弾かれたように手を引いた刹那に困ったような笑みを向けたあと、角を曲がりきって刹那の足下にどっかと座る。無造作に握っていたライフルの銃身を放ると、斜に背負ったサブマシンガンを胸の前に回して、空になったらしいマガジンを外した。
「そんなんじゃもしもって時に動けないぜ」
「……そんなことを言われる筋合いは無い」
「だろうけどさあー」
 慣れた手つきで銃弾を装填するのを、刹那は赤茶けた煉瓦の壁に背中を押し付けたままで見下ろす。砲撃の音は遠い。この辺りはまだ大丈夫だろう。
 ガンダムと戦わない戦闘は久しぶりだった。ゲリラ戦を展開するこの街は、あの頃自分が駆けていた狭い世界に似ていて、肩から提げたマシンガンの重みが余計に眩暈がするほどの既知感を喚ぶ。
 あのころ。
 と、いま、と。そうやって線引きをすることに何の意味もないように思えた。子供だったころ、と、いま。ではいまは子供ではないと、そうやって距離を置くことはできるほど自分は大人ではない。自分が子供で、自分は大人だと、そうやって刹那を遠くへ押しやる人間が、刹那の周りには居すぎるから。
「──な、刹那」
 そんなことを考えたのはきっとこの街があの路地と似ていたせいで、同じ乾いた臭い、砂と鉄と火薬と、決して上等ではないものばかりをかきあつめて錆でコーティングして、そんな空気を吸っていたせいで。
「どうしたよ、刹那」
「うるさい」
 訝しげにこちらを見上げる男の柔らかな印象を与える髪は、乾いた空気と砂を含んで常のひかりに欠いていた。それを見ていると何となく惜しいような気になって、刹那は手を伸ばしてその髪に触れる。一筋掬い上げたそれは、思った通りざらりとした感触がした。
「──あー、髪?」
 掬っては放し、触れては指を滑らせて、指先の感覚を確かめるようにしつこく触れる刹那の手を、ロックオンは振り払わなかった。最初のうちは酷く不思議そうな顔をして刹那を見上げていたけれど、擽ったいだろ、と小さく文句を言ったきりで文句らしいことは何も言わなかった。
「あーシャワー浴びたいよな、シャワー。お前はいいよなあ、荒れたりしないんだろあんま」
「勿体ない」
「何が?」
「髪」
 そう言って刹那はそっと屈むと摘み上げた髪をそっと口に含む。
 ロックオンの匂い、彼の体臭であるとか、普段身に纏っている匂い、そういったものはとうに乾いた風に吹き散らかされて消え去ってしまっているものだと思ったのに、そうやって顔を近づければ確かにそこにあって、それを飲み込むように刹那はくんと小さく息を吸う。
 舌に載せた髪も、とうに慣れてしまった砂と鉄と汗の味よりも、何となく甘いように思って、それが刹那を郷愁にも似た既知感から現実へと立ち戻らせた。彼という存在の確固とした味。それを舐めて削ぐようにして舌を滑らせて、そっと放した髪は唾液を含んで艶やかに光った。いつものように。
「なーにを、」
 呆れかえったようにロックオンは刹那を見上げて顔を顰める。
「やってんの、お前」
「勿体なかった」
「何がだ何が。つかだからって舐めるかァいきなり。犬だの猫だのじゃあるまいし」
「奇麗だ」
「時々俺はお前と本当に同じ言語を喋ってんのか不安になるぜ」
 はー、と息を吐いて肩を落とす男を見下ろして、刹那は軽く首を傾げる。言うべきだと思ったことは全部言っている筈だ。それ以上に何を必要とする?
 そう反論しようとして、しかしそれをせずに刹那はくるりと視線を巡らせる。銃声。
「近いな」
 鋭い声はさっきよりも高い位置からで、振り返ればロックオンは放ったままだったライフルを拾い上げているところだった。
「また別れるか──いけるか、刹那?」
「……あんたこそ」
「お前に心配されるとは思わなかった」
 揶揄するように言う男にちらりと視線だけ向けて、しかし刹那は何も言わないで黙る。それをどうとったのか、わしゃ、とロックオンは刹那の髪をかきみだして笑って、そして言った。
「俺はお前の髪が好きだよ」
「嬉しくない」
「お返しだ」
 そう言って、さあ、とロックオンは笑う。
 それを刹那は見上げる。埃と砂にまみれてぐしゃぐしゃになった髪。纏った衣服も酷い有様だし、汗やら何やらでお互いに臭いも酷いだろう。強い日差しに灼けた肌には疲弊の色が濃く、それでもロックオンは笑う。
「俺はお前のことが好きだよ」
「そんなものまで返される筋合いはない」
「かもしれない。──頃合いだな。キュリオスが来るまであと少しだ、ふんばれよ、刹那」
「言われなくても」
 浅く頷いて刹那は駆け出す。ロックオンが続いて駆け出す。不意に飛び出した人影を発見したのか、遠く知らない言語の叫び声が上がる。それに躊躇わず銃口を向ける。銃声。
 銃声は二つ重なる。
 別れる、などと言ったのに、後ろばかりを気にして。そう苦く思いながら刹那は振り返ることはしない。俺はお前のことが好きなのかもしれない。そう返すことはまだできない。




走り出したら、のアンサーにするつもりだったのですが、まだ書きたいことが足りなすぎたので
とりあえずこんな未消化なかんじに落ち着きました。よくわからない。