レチクル









「お願いします」
「だめです」
 視線を外したスコープから離さずに、ロックオンは拒絶する。
 テーブルの上では夕食に作ったホワイトシチューがゆっくりと冷めてゆく。アレルヤは静かにため息をつく。湯気がゆらいで空気中に霧散する。
「ひどい」
「そうかな」
「シチューも冷めるし」
「それはあとでいいって言ったろ?」
 ロックオンは冷たい床にクッションもひかず、そのまま胡座をかいてアレルヤには名前もわからない工具とか部品とかと格闘していた。この部屋に入ってきたときからこの有様だったから、ずいぶんと長い間そのままの体勢だと思う。腰を痛くしないだろうか。夕食の準備が整ったテーブルの上で、アレルヤはぼんやりとそんなことを考えていた。
 部屋の隅でロックオンが銃の整備を始めたのはアレルヤがジャガイモを剥きはじめるよりも前だったし、逆に言えばこのくらいのタイミングで料理を始めるのが丁度良いだろうと判断したアレルヤのミスだったということだろう。それでもシチューは温めなおせばいいのだし、それはそれでその方が旨くなったりする場合もあるから、ひょっとしたらロックオンはそこまで狙っているのかもしれない。無いだろうけれど。
 スコープをとりあげて、す、とまっすぐに構えてむこうがわを見る。
 デュナメスのコクピットの中で、彼はこんなふうな貌をしているのだろうかと、アレルヤはぼんやりと考えながらその横顔を見る。構えた手と、ふわりと揺れる髪で、その表情は殆ど見えなかった。ただその片目が、酷く静かに、むこうがわを見ていることだけはわかった。
「ロックオン」
 アレルヤは静かに彼の名前を呼ぶ。
 彼は振り向かない。
「ロックオン。ロックオン・ストラトス。ねぇ、何が見える?」
「壁」
 シンプルな回答。そう言ってから、く、と喉の奥が笑う音がついてくる。
「……お前ねぇ、俺、仕事中なんですけれど?」
「僕のことを見てくれませんか?」
「見ません」
 そう言ってスコープを下ろす。こちらを困ったようにして笑う、男の眼差しは柔らかい。
「お前狙ってどうすんのよ」
「銃じゃないでしょう?」
「同じ、同じ」
 そう言って何の異常もなかったらしいスコープをケースにしまう。そうやって幾つもの部品を丁寧に分解し、掃除して、元の通りに戻すのが、ロックオンの日課である。デュナメスを相手にするときも、整備ロボットに任せきりではなく、それらに担わせない部分も幾らかあるようだった。精度。信頼。もしくは単にそういう性格だということなのだろうけれども。
 そういう意味ではキュリオスに対する自分の態度など哀れなものだと、思わないでもない。それで手を出したところで、ロボットたちの邪魔になるだけだったりするのだろうし、ロックオンは苦笑しながら言うだろう、お前はお前のやりかたでやりゃいいじゃないか?
「遊びでも銃をひとに向けちゃいけないよ」
 子供にでも言い聞かせるような口調で、ソレスタルビーイングのスナイパーは言う。
「油断を持ってしまうだろ、遊びで済むかもしれないっていう。そういうのに慣れて、簡単にひとに銃を向けるようになっちゃあ駄目だ。万が一のときに、間違って撃っちまうぜ」
「あなたは」
──あなたは、そんなことが。
 おそろしく身近な生活用品や文房具のように、銃を扱う男にアレルヤはそう問おうとして、そしてやめた。それは訊いてはいけないことだと思った。
 呼びかけたアレルヤを、道具を片付けたロックオンは首を傾げて見上げる。
「あなたを、」
 アレルヤは、そう言い換えた。
「信頼していますよ、僕は。僕らは」
「ありがたすぎて手が震えちまうよ」
 くるりと天井を仰いで身震いするふりをしてみせる。それを見てアレルヤは、はは、と声を上げて笑う。
 何があったとしても、何を撃ったとしても。彼は──今アレルヤ・ハプティズムの眼前にいるロックオン・ストラトスというおとこは、信じるに値する存在だと。そう心の底に沈めたもうひとつの意識に言い聞かせる。だいじょうぶ、かれはまちがえたりしないよ。
 どうかな、と皮肉めいた応える声に、断言してみせる。
「ロックオン」
 漸く立ちあがって、案の定、肩凝ったー、などとぼやく男を見上げて、アレルヤはまた彼の名前を呼んだ。
「何でしょ?」
「お願いします」
「しつこいね、お前さんも」
 苦笑を浮かべて、ロックオンはアレルヤの額にキスをした。



 悪戯でも間違いでもいい、その眼に射抜かれたいという自分は、じゃあ、間違いだろうか?




わたしは銃口を冗談で相手に向ける派です(怒られた)。