きみはよいこ









 紙袋を抱えたロックオンは、暗い室内を見回して小さくため息をついた。
 自分が朝に出かけたまま、ひとの熱の冷めるに任せた室内の空気はひんやりとしていて、光が無いぶん余計な彩色が無く、おそろしく冷え冷えとしている。
 いや、自分たちの稼業では熱、他人の気配が何かしら、残されていることの方が問題になるのだが。そう思って苦笑しながら、ロックオンは目を細めて相棒を呼ぶ。
「ハロ、ただいま」
『オカエリ、オカエリ、ロックオン』
 聞き慣れた電子音声とともに照明が点る。
 光に馴らしながら目を開けば出ていくときと変わらない無機質な部屋があった。硬質な反射校を放つ床をハロが小さく擦過音を立てながら転がってきてちょうど足元に止まった。
「よーう、ハロ、いい子にしてたか? 変なことは何も無かったかい?」
『ハロ、イイコ、エライ、エライ。シンニュウシャ、ナシ』
「お、偉いぞ」
 笑いながらロックオンはしゃがみこんで、ハロのつるりとした上部カバーを撫でてやる。無重力空間と違い、こうやって地面を転がったり跳ねたりして移動をする球形のロボットを、曇りなくキズひとつなくいられるようにするのを、ロックオンは彼の『相棒』としての義務であり矜持であると思っている。たとえ彼が機械でしかない、歯車とネジで構成される人工のものにすぎないとしてもだ。
 うん、今日も綺麗だ。女の子でも褒めるような浮かれたことを考えながら、ロックオンは紙袋を持っていない方の腕でハロを抱え上げる。流石に重い。見目の柔らかい印象の割に筋肉質なアレルヤならば易々とやってのけるだろうけれど、と少し彼を恋うように思い出す。彼が居たら荷物は持ってくれるのに。
 ミッションプランを見れば暫くは此処にひとりでいることになりそうだった。そうなるとどうしても、日持ちのしない生鮮食品よりは缶詰めやレトルトといった簡単に処理できるようなものばかりを大量に買うことになり、自然荷物も重くなる。楽しくないことこの上ない生活になってしまいそうだが、こればかりは文句を言えることでもない。ごつごつとした荷物を抱えて、とりあえず食料庫に、と向かいかけた、そのとき。
「無駄なことをするな」
「──っ!?」
 唐突に背後からかけられた声に、ロックオンは両手の荷物を放り出して振り返る。
 誰だ、などと無駄なことは訊かない。
 きゅ、と床を蹴って距離をとるように跳び、腰の後ろに手をまわしながら相手との距離を測る。後方に放った缶詰が落下して跳ねる音。
「……って」
 ジーンズの下に隠したホルスターから銃を抜き出す前に、ロックオンは声の主の正体を知る。
「おいおい、居るなら居るって言えよ、刹那……」
 ちょうどロックオンが入ってきたドアのある壁面、その隅で壁に凭れていた少年はひどく冷めた眼で此方を見返していた。ロックオンの表情は、緊張を帯びたものからするりと転じて安堵の溜息を落とす。
「大体電気くらい点けてたっていいだろうが」
「リモコンが見つからなかった」
「ハロが居るじゃないか──ってそうだハロ! ごめんな投げて!」
 部屋の隅まで投げ飛ばされていたハロは、ごろごろと自分で回転して戻ってくる。ロックオンの言葉に応えるように、ぴかぴかと短く眼のひかりを明滅させた。
 それを見ていた刹那が、呆れたように言い放つ。
「だから、無駄だと言った」
「何がだよ」
「いい子だとか、ごめんだとか、それにどれだけの意味がある?」
 くるりと振り返ったハロは、刹那の方を見て首を傾げるように少し傾いたかっこうで止まる。少し屈んで、もう一度謝るように小さく頭を撫でてから、ロックオンは自分の放り出したトマト缶を拾った。
「どれだけ、っていう意味ならいくらでもあるさ。お留守番できて良い子だし、投げた俺は悪かった」
「尋ねるなら侵入者の有無だけでいいだろう。しかも俺の存在を伝えなかった」
「だってお前は侵入者じゃないじゃないか、刹那」
 はは、と笑ってロックオンはパスタソースを拾い上げ、その少しへこんだ角を撫でてみる。
「ハロは間違ってない。俺が勘違いしただけだ。そうだろ?」
「その程度の情報しか提示できないなら役立たずだ」
 紙袋ごと放り投げたおかげで底の方のものはだいたいまとまって落ちていた。ぐしゃぐしゃになった紙袋にぞんざいに詰め直しながら、ロックオンは小さく声を上げて笑う。
「──何だ」
 訝しげに声をあげる刹那に、ロックオンは苦笑してみせた。
「確かに、間違っていないかもしれないよ、お前は」
「──」
「いや、間違ってはいない。だがそれが俺のやり方だ、俺と、ハロの」
 転がった幾つかを拾い集めに歩き回る後ろを、ハロは子猫のまとわりつくように付いてくる。足を止めれば此方を伺うようにその視線を上げる。
 それに彼の感情を読むのはロックオンの勝手でしかないのだ。
 だからこそ、それはハロにというよりも、自分に対する保証と言えるのかもしれない。そうロックオンは自覚している。彼のことをひとと同等に、いきものに接するのと同じ強さの敬意でもって接することで、ロックオンは『ハロ』というものの人格を、信じようとしている。
 記号でしかないいのちを、信じようとしている。
「俺はお前とエクシアがどうつきあおうが知ったことじゃないさ。だからお前に何を言われる筋合いもない。他人様の恋愛に、口を出すんじゃないよ」
「──恋人か?」
 吐き捨てるように言う刹那に、にやりと笑ってロックオンは答える。
「次元が違う」
「次元……、」
「お前、飯食ってく?」
 何か問おうとした刹那の言葉を遮るように、ロックオンは不意に明るい声を上げた。
「生ものがちょっと残ってたからそいつ片付けてから独身貴族よろしくレトルトパーティの予定だったんだけどな。ついでだから消費に貢献していけよ、腐りかけのほうが食いモンってのは案外美味い」
「いや、俺は──」
 首を振りかけた刹那は、ふとハロを見下ろす。ハロは相変わらずロックオンの足下でころころと転がりながら、その視線を刹那に向けていた。彼の可視領域は決して眼を向けた方向だけに存在するのではないし、そちらを向く、という行動には何の意味も無いものだけれども。
 視線を合わせていた刹那は、ひとつ頷いて、ロックオンに向き直る。
「貰う」
「いい子だ」
 にい、と笑ったロックオンはハロを撫でる。ハロはぴかぴかと眼を光らせる。そのひかりの意味なんて知らなかったけれど、ロックオンには酷くそれが擽ったいもののように思えた。




ハロを喋らすのがえらく苦手です。
どう書いてもうまくハロっぽい感じにならない。話す言葉の選び方が違うんだよなあ。