土曜日にはランチの約束









「デュナメスの最終チェック終了。いつでも出れるぜ」
「あいよ、助かったぜ」
 声をかけてきたイアンにそう返して、ロックオンは空になったドリンクチューブをダストボックスに放り込む。
 ティエリアほどの強さで希うわけではないが、自分が逆のベクトルで重力を求めていることを、ロックオンはこうやって地球から離れるたびに自覚する。
 宇宙が嫌いというわけではない。ただ、間違っていると思うのだ。それは今となっては猿しか持ち合わせないような旧いこだわりかもしれないけれど。
 ヴェーダに選ばれたのがパイロットとしてでよかった、なんてつまらないことを考えながら、ロックオンはイアンに訊く。
「おやっさん、ハロかフェイト知らん?」
「あ? 見てないな、どっちかの居るとこに居るだろ」
「だから訊いてんじゃないか。あー、じゃあ探すわ、さんきゅ」
「おう、あ、ちょい待て」
「何、勝利のお祈りでもしてくれんのか?」
 反射的にそう笑って返せば、イアンは呆れたように肩をすくめる。
「して欲しけりゃあキスでも何でもしてやるがな。お前さん宛てに伝言」
「いらねぇよ! ……誰から?」
「秘密、だとよ」
「は?」
 口をかぱりと開けて、ロックオンはてのひらに乗るほどのカードを受け取った。プトレマイオスと通信ができる者は、しかも仲介したものから何の警戒も受けずに簡単に手渡されるならば、ソレスタルビーイングの関係者以外にはありえない。それを『秘密』とするなど、何の意味も無いではないか。
 小さなプラスティックのカードは裏返してみてもただ真っ白なだけで、小さな数字とアルファベットの羅列が印字してあるだけだった。カード自体も特に珍しいものではない、こうやって小さな伝言を記すのにプトレマイオスで使われるもの。
 並んだ文字の連なりは、見慣れたもので。
「──は?」
 もう一度、思わずロックオンは呟いた。



 デュナメスをコンテナに納め、ハロに機体チェックを頼む。機体制御や速度の調整が難しい大気圏突入は、ハロの助けがあるとはいえ何度やっても不安なもので、それを一人でやってのける他の連中は一体どんな神経を持っているのやらと半ば感心するように思っている。
 とはいえ自分の出来を語るよりも、気に掛かっているのは渡されたカードの意味で。
 ヘルメットを放り出し、パイロットスーツの前を寛げながらロックオンは足早に居住スペースへ急ぐ。
 とにかく他の連中と連絡を取るのが第一。それから、彼らの真意を訊いて、それに──。
「ロックオン」
 不意に投げかけられた声に足を止めて振り返ってみれば、年若い友人が笑いながらこちらへ歩いてくるところだった。
「アレルヤ、何だよあの、」
「お帰りなさい、お疲れ様」
「ああ、ただいま──ってだから、あの、」
「2人とも来てますよ。ハロはどうしました?」
 まるで此方の質問を受け付ける気が無いというのを、はっきりと示してアレルヤはロックオンの腕をとる。そのままぐいぐいと引っぱって、ロックオンの行こうとしていた方向とは逆に、居住スペースへ背を向けるように歩き出した。
「ハロには機体チェックをさせてて」
「そうですか。じゃあ終わったら外に出てくるように言ってください」
「え、何で外?」
 アレルヤは足を止める。そうしてつくづくと、殆ど呆れたようにロックオンを見返した。
「伝言見てないんですか」
「あ、あれお前?」
「僕じゃないですよ、どれだけ勘が悪いんですか」
 呆れまくって溜息まで吐かれた。確かにあのカードの文面の、嫌味ったらしいまでの端的さはアレルヤの示すものではなく、どちらかといえば他の2人、厳密に予想したところでは確実にそのうちの1人から出てきたものだろうことはロックオンにも想像がついていて、何がわけがわからなかったってそれが一番わけがわからない。
 地球へ戻ろうとする間、何度も見返したカードの文面に記されていたアルファベットはしっかり覚えていて、ロックオンはそれを正確に辿る。満足げにアレルヤが頷いた。
「正解。それ、何処ですか?」
「──此処だろ?」
「それは不正解」
 それはソレスタル・ビーイングが作戦行動を行う時、目標を示すのに用いる座標の指定と同じやりかたで、作戦開始時に出発地点を示すのと、その文字は殆ど同じだった。殆ど。
「──あれ?」
「漸く判りました?」
「や、わけがわからん。何処だよ、それ?」
 殆ど同じ高さにある灰色の眼とぶつかると愉快そうに笑った。
「言ったじゃないですか」
「何て」
「外!」
 そう言ってアレルヤはぐいぐいとロックオンの腕を引く。確かにその進行方向にあるドアから出れば、直接外に出られるのだ。つんのめって転びそうになりながら、ロックオンは大声で喚いた。
「だから何で!」
「今日は何曜日だかわかって言ってるんですか」
「わかってっけど! ちょっと、俺いま地球に戻ったばっかなのに! 何の準備もしてねぇのに何処行けってんだよ」
「何度言ったら理解できるんですかあなたは!」
 殆ど説教されているような強さで、アレルヤはロックオンを引っ張ってゆく。扉が近付く。薄暗いコンテナの中に、薄く開いた扉の隙間から光が漏れている。ロックオンは示された座標を頭の中で辿る。この基地を示すのと殆ど同一のポイント。それの下にさらに細かい場所を示す文字群が続く。デュナメスを格納するコンテナの、ほんの少しだけ西にずれた、
「──外?」
 そう呟くのを聞いてアレルヤは声を上げて笑う。
「その通り!」
 そう言って殆ど体当たりのようにして、アレルヤは外へ飛び出す。ひかりが眼を灼くのを殆ど本能的に恐れて、ロックオンは眼を細める。



 そこにあったのは、見慣れたテーブルセット。



 普段洗濯物を干したりしているスペースが、いや干しているのはロックオンくらいのものなのだが、そんな機能はいらないとばかりに全部片付けられて、空いたスペースにテーブルと椅子が4つ並んでいた。
 共有のスペースで食事をとるのに使われていたやつだ。見慣れていたのはその形と大きさだけ。それにかけられたテーブルクロスの色はロックオンの知らないものだった。生成の色に、縁取りの緑。シンプルなそれの上に、白いディッシュプレートが4つに、ワイングラスはひとつだけ。多分同じシリーズで揃えられたカップとソーサ。
 バゲットの盛られたかごは中央に。大ぶりの皿にはたっぷりのサラダ。ひかりを反射してトマトがきらきらとひかっている。
「メインディッシュは未到着」
 そう言ってアレルヤは立ち竦むロックオンの腕を軽く引く。
「とはいってもオーブンで鳥を焼いているだけだけどね。こんなところじゃ大して凝ったことはできない」
「いや、じゃなくて、何これ」
「お前のはじめたことだろう」
 そう呆れたように言ったのは、ドアの横に立っていたティエリアだった。その傍らに座りこんでいた刹那が、ゆったりと立ちあがって続ける。
「あんたばかりがいい気になってるのは気にくわない」
「いい気って、何だよそれ?!」
「つまりあなたを驚かせたかったんです、僕らは」
 そう言ってアレルヤはもう一度腕を引く。ロックオンは促されるようにして彼の後に続いた。
 テーブルの脇に立ってその上に並ぶものをつくづくと見回す。どうやら夢でも何でも無いようだった。そう再確認したくなるほどわけのわからない光景で。
 かたり、と音がしたのを振り返れば、ティエリアが丁寧に椅子を引いたところで、殆どその眼光に気圧されるようなかたちでロックオンは椅子に座る。刹那はその横の席におさまって、ティエリアとアレルヤは向かいの席にテーブルを回って座った。くすくすと、愉快そうに笑いながら。
「──あー、もう」
 ロックオンは低く唸って空を仰ぐ。これで今日晴れてなかったらどうするつもりだったんだろうか、此奴らは。いや、それならばそれで、自分よりもよっぽど完璧主義者の連中のすることだ、何かまた手段を講じていたに違いないのだろうが。
 真っ青な空。梢を抜けて通りすぎる柔らかな風。
「デザートはあるんだろうな?」
「ティラミスでいいなら」
 即答。
 笑いながらロックオンは大声でハロを呼んだ。こんな世界をかれ抜きで独占するなんて、勿体ないじゃないかと思ったのだ。



連作としてはこれでおしまいです。
読んでくださってありがとうございました!