土曜日にはランチの約束
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「ご予約の際にお代は頂いておりますよ」
そうにこやかに言われ、アレルヤは溜息をついた。やっぱりか、そう思ったのだ。
「……何か至らぬところがあったでしょうか」
「あ、いえ、そういうことではなくて──何か言っていましたか?」
「いえ、御伝言は特には──ああ」
首を傾げていた男は、顔を上げて少し面白そうに言った。
「傷つかないでくれ、と言われましたよ。仏頂面で食べるけれども味がわからないわけではない、と」
「……そうですか、ありがとう」
彼らしい、そう思いながらアレルヤは男にチップだけを渡して店を出た。午前中に降っていた雨は昼食を食べている間に止んで、舗装された道にはところどころに水たまりが残っていたけれども空は青く晴れていた。その透き通るようなさまを見上げて、アレルヤはもう一度溜息をつく。
デュナメスは、いま、宇宙に居る。
先に店を出てしまっていた年若い2人は、並んで同じロゴの入った紙コップを傾けていた。道の脇にあったコーヒースタンドのものらしい。
アレルヤもまた同じように道を逸れようかと一瞬考えて、そしてやめた。流石に男3人で同じカップを持って並ぶというのも、何か気恥ずかしいように思えたからである。だから何も言わないでまっすぐに彼らの傍へ戻る。
「どうだった」
訊いたのは刹那で、アレルヤは肩を竦めてみせる。
「払ってたってさ」
「まったく」
ティエリアは呆れたように息を吐く。いや、『ように』という表現は決して正しくはあるまい。事実彼は呆れているのだろう。アレルヤが、おそらく刹那もそうであるように。
「律儀なことだ。いっそ感心すらする」
「むしろしてやったりと思っているのではないかな」
アレルヤは空を見上げた。この青い天幕のむこう、大気を突き抜けたその先は宇宙。そこに漂うプトレマイオスの存在など見えるわけはなかった。無論そこにあるはずのデュナメスも。
「きっと僕らがここにいるのだと思ってにやにやしているのだろうな。リヒテンダールあたりに言って、笑っているかもしれない」
「戻りたくなくなるな」
「宇宙にかい? 珍しいことを言うじゃないか、ティエリア」
「……わかっていただろうか、あいつは」
刹那は宇宙などちらりとも見上げようとはしなかった。手に持ったコップの暗い水面ばかりを見ていた。
「俺たちが集まるだろうことを」
「期待はしていたかもしれないけど確信はしていなかったんじゃないかな。特に刹那とティエリアは」
アレルヤは肩を竦めてみせる。それをちらりと見て、名指しされた二人は同時に口を開く。
「「俺は、」」
そして厭そうに眼を合わせる。それを見てアレルヤは笑う。
「でも来てるじゃないか、現に」
デュナメスが宇宙に出るのを見送ったのは3日前だ。見送りに行ったのはアレルヤだけだったが、マイスターたちの所在は大抵他の者に知らされている。ロックオンが宇宙に居るのを、全員が知っていた。
それなのに、いつものようにメールは届く。
送信時間を設定されていたのか、それとも宇宙からの通信だったのか、それは本人に訊いてみなければわからないだろう。ともかくいつものように、場所と時間を暗号で隠したメールは届いた。そして3人が顔を合わせた。用意されていた席は3つだけで、其処に3人が座った。
いつもならば、何の約束もなく、誰かが宇宙に居るときですら、4つの席が準備されているというのに。
「──俺は馬鹿正直に応じたわけじゃない」
刹那に一瞥を向けてから、ティエリアは秀麗な顔を顰めて言う。
「ただ疑っていただけだ。もしそうだったとしたらそれ相応の反撃をするつもりだった。ロックオンに対しても」
このくだらない習慣が何処かに伝わって、それ故に仕組まれた罠だったのかもしれない。最初そう疑っていたティエリアも、予約に現れた男の容貌を聞き出せば納得せざるを得なかった。
「俺はあいつが居ると思った」
刹那は視線を宇宙から背けるように、地面を見据えて言う。
「そのくらいやりかねないと思った。それはミッションを放棄し、ガンダムを放棄することだ。だから確かめに来た」
しかし彼は宇宙から降りてはいなかったし、無論デュナメスも其処に居る筈だ。それは揺らぎのない事実として在って、そして此処に3人で揃っているのもまた事実だった。
「アレルヤ、」
「僕は来たかっただけだ」
ティエリアに視線を向けられてアレルヤは軽く肩を竦めてみせる。
「ロックオンが居ても居なくても──僕は結果的にこの習慣に慣れてしまったから。だから誰が居ても、居なくても、行ける場所なら行こうって決めてしまっていたんだ。それだけさ」
刹那は視線を動かさなかった。
ティエリアは不愉快げにアレルヤを見た。
アレルヤはそんな彼らに反省とばかりに両手を挙げてみせる。
「僕もコーヒーを買ってくるよ。少し待っていてもらえるかい」
2人からは返事は無かったが、アレルヤは構わずに硬貨を探りながら歩き出していた。多分ロックオンは、其処でコーヒーを飲んでしまうのも含めて、この場所を選んだ筈だと思った。ランチのコースには食後のコーヒーは含まれていなかったし、食事の終わった後のそういう時間を、ロックオンは何よりも楽しんでいるようだったから。
いかにも薄そうな匂いの立ち上る揃いのカップを受け取って、振り返ってアレルヤがまだ其処にいる仏頂面の2人を見たときに、その想像は殆ど確信になってしまった。
「早く諦めてしまえばいいのにね。そう思わない?」
それを自分の内側に居るものにしか向けなかったのは、賢明な判断と言えるだろう。彼らに向けてそれを言ってしまえば、きっと酷く憤慨した顔をして、もう二度と約束に背を向けたまま戻ってくるまいと思ったからだ。
「いまが幸せなんだって、そう納得してしまえばいいのに」
そうしていつかこの習慣が何かのきっかけで終わってしまったとしても、自分はきっとこの約束を忘れることはないだろうと思った。多分、彼らも。
食事中の空気の重さったらなかっただろうなと思うのである。