土曜日にはランチの約束









 連れが来るかも、でもたぶん来ない。そう言って笑った男はゆったりとマグカップで指先を暖めていた。
 テラス席には寒い季節なのにわざわざ指定した彼は、ひょろりと長い脚を組んで所在なさげに揺らしている。テーブルを挟んで語る相手はいない。コーヒーのおかわりは三杯目。
「ふられたかも」
 そう言っておかわりを頼むついでに硬貨を給仕に渡した。
「いちばん新しい新聞を買ってきてくれないかな」
 ちょうどランチタイムの終わって緩やかな時間の流れ始めたタイミングだった。女はこくりと頷いて、冷えた硬貨を受け取る。
「長期戦ですね」
「一途だろ?」
「妬けますよ」
 ははっと愉快そうに男は笑う。
「君みたいな素敵な女の子をそんな気持ちにさせちまうなんて!」
「待ちきれなくなったらお相手しますよ、あたし、3時までだから」
「リーサぁ!」
 店のドアを開けて出てきた恰幅の良い中年男がどなる。
「いつまで油売ってやがる、とっとと皿ァ洗いやがれ!」
「おつかい頼まれたんですよぅ!」
「だったらすぐ行ってこい! お客さん待たせてんじゃあねェ!」
「はいはーい!」
 給仕の女はべーっと雇い主に舌を出してから駆け出す。そのやり取りに、客の男はすくすと笑っていた。
 店長はやれやれとばかりに息を吐いた。ふわりと舞った息は白く渦巻いて空気に散る。
「すんませんねぇ、眼ェ離すとすぐサボりやがる」
「可愛いもんじゃあないか。娘さんかい?」
「わかるかい?」
「目のあたりがそっくりだ」
 客の男は穏やかに笑いながら頷く。店長は照れ笑いを浮かべながら、娘が下げる筈だったコーヒーカップを取り上げた。
「口の減らんとこはカミさんそっくりだけどなぁ」
「にやけてるぜ、やっぱり可愛いんだろ」
「うるせぇなあ」
 まだ笑いながら店長は、まあなあ、と小さく認めた。
「ほら、ここんとこ何かと物騒だろ?」
「ああ」
「世界中でバタバタしてるからよぅ、此処はそりゃ、そんなでかい街でもねぇからあのテロリストも用事はないだろうがよ」
「そうかもな」
 男は静かにカップを傾ける。その仕草を見下ろして店長は尋ねた。
「お客さん、旅行者かい?」
「まぁ、そんなとこだね」
「気をつけなよ」
「そうするさ」
「あーッ、父さんもサボってる!」
「うるせぇ、さっさと皿洗え!」
 曲がり角の向こうから新聞を振り回して叫ぶ娘に怒鳴り返して、男はチッと舌打ちをする。
「ったく、あんなうるさきゃテロリストも裸足で逃げ出すだろうよ……って何笑うんだい」
「いや、お嬢さんにまた会えて嬉しかったのさ」
「あらまあ!」
 くすくす笑う男に給仕の女は新聞を渡すと、またあとで!、と言って店に入る。呆れたようにそれを見送った彼女の父親は、椅子を引く音に驚いて振り返る。
 若い男は椅子にかけていたコートを抱えて、店長にいま買ってきた新聞を手渡す。
「お勘定。こいつは店にでもおいといてくれよ」
「時間潰しするつもりだと思ったがね、お連れはどうした?」
「振られたみたいだ。お嬢さんにはうまいこと言っといてくれ」
 そう言って4杯分ちょうどの金額をテーブルに置くと、男は思いついたように店長を見た。
「ああ、頼みがひとつ」
「何だい?」
「俺に好きだって言って」
「はァ?!」
「冗談だよ」
 はは、と笑った若い男は、ごちそうさま、と言って通りに出てゆく。
頭を掻いて店長は男に手渡された新聞を見下ろした。トップを飾るニュースは今日も知らない国の戦争ばかりで、店長は小さく祈った。そんなものがこの街まで来なければいいと。願わくばあの気味の悪い客の空にも。