土曜日にはランチの約束
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集合場所に指定されたポイントは公園の噴水で、ロックオンはその縁に腰掛けて文庫本のページを捲っていた。
不意に正面から落ちた影に、すいと顔を上げる。その主を見いだすと、目を細めて笑った。
「……腹減ってる?」
「特には」
「そ」
短い刹那の返事にそれ以上の短さで応えて、ロックオンは左手でとんとんと自分の横あたりの縁を示す。座っていろ、ということらしい。
しばらく男と示された空間を見比べてから、刹那は諦めて堅く座り心地の悪い石の上に腰掛ける。小春日和の陽気にあたって、冷たくはないのだけが救いだった。
約束の土曜日は何回かあって、刹那は一度きりしか行かなかった。
特に行きたくなかったとか、馴れ合いに対する嫌悪感であるとか、理由は(それもあったけれども)そればかりではなくて、単に指定される場所まで行くのに手間が要りすぎるものであったり、ミッションの準備期間だったりしたせいで、どうしようにも無理なものが続いたからだったが、それでも行きたくないというばかりではなかったのだ。
気になっていたのは確かで、金曜日に入った連絡に目を走らせれば無理とも言えない場所で、行ってみるかと立ち上がりはしたものの到着してみれば一時間近く遅れており、ここまできたら好きでもない観光にでも来たことにして帰ればいいかと思っていたのにロックオンは居た。ひとりで。
静かにページを捲る音だけが響く。広い公園に人影は自分たちしか無く、鳩の地面をつつき回す仕草すらどこか物憂げに見えた。
風が吹いて髪を揺らす。正面の木立がさわさわと梢を鳴らす。
他の誰もがいないというのが少し不思議に思えた。アレルヤは居ると思ったのだ。ティエリアは確か宇宙だから、流石に無理だろうし彼が足繁くロックオンの元に通うというのもどうにも想像がつかない。
そう考えながら空を見上げれば雲は視界の隅にいくらか散っているだけで、プトレマイオスからでも見下ろせば見えるんじゃないだろうかなんてくだらないことを反射的に思う。見えるわけがないことくらい常識的に考えれば当たり前で、そんなことを考えたなんて恥ずかしいことに気がつかなかっただろうかと、また余計に無意味なことを考えて横を振り返れば相変わらず文字の連なりに没頭する男がいて、刹那はひどくつまらない気分に、
――つまらない、というのはなんだ?
ぽかりと浮かんだ感情の意味が判らず刹那は狼狽える。
構って欲しいということか。そんな子供のような感情。そして此方を見ない男。
正面に見える時計の長針はそろそろ半回転している。放り出された格好のままの刹那はそろそろ帰ろうかと思い始める。
「……?」
途方に暮れた顔をして、空を見ていた刹那は振り返る。つつかれた。
つついた犯人の視線は相変わらず文字を追っていて、しかし片手を拳にしてつきだしている。残りのページはずいぶん薄くなっているようだった。
「おつかい」
そう言って拳をちいさく振る。仕方なく手のひらを出してやれば、この国の通貨単位の硬貨が数枚、ぱらぱらと落とされた。
「……何」
「そこの、大通りに出たらバールがあるから」
硬貨を落としたあとの手がまっすぐにそれのあるのだろう方向を示す。彼の綺麗な指先と、手の上の硬貨を見比べる。ずいぶん長いこと握り込まれていたらしいそれは、外気に触れてゆっくりと熱を失ってゆく。
「俺はサーモンのパニーニな」
「ジャンクを食うなってことじゃあなかったのか?」
「旨いんだよ」
それだけ言って黙る。説明は以上、ということらしい。諦めて立ち上がり示された方向へ歩き出せば、いってらっしゃいー、と浮ついた挨拶に送られる。
文句のひとつも言ってやろうと振り返ってみれば、へらへらと笑う男がこちらを見て手を振っていて、それを三秒ほど凝視してから刹那はくるりと方向を転じた。ミッションだ、ミッション。
拳を強く握りこんだのは、その表面から熱が完全に失われるのを惜しいと思ったからだった。意味もなく。
パニーニをふたつとジンジャーエールの瓶を二本、抱えて戻ればどうやら読み終わったらしいロックオンは文庫本を脇において手持ち無沙汰な顔で同じところに座っていた。
あんな間抜け面をさっきの自分も晒していたのだろう。憤慨するような思いで戻れば、ロックオンは自分を見出した瞬間にいつものように笑う。
「いい天気だよな」
「……知らなかったのか?」
「ピクニック日和だ……そりゃあビールか?」
「ジンジャーエール」
「気が効かない」
ふんと鼻を鳴らした男は、まあいいやと手を伸ばし、刹那はサーモンとオリーブのパニーニと、透明な瓶と釣銭を手渡した。二人分には少し多いように思った額だったが、余計な飲み物まで買ってもやはりかなり余った。
「四人分、か」
どうやら腹が減っていたのは彼自身だったらしく、早速パニーニにかぶりついている男は、刹那の言葉にしばし目を丸くして、それから合点がいったのだろう、にやりと笑ってみせた。
「そりゃあ一応な」
「だがティエリアは宇宙だろう」
「いいんだよ、言ったろ? 自己満足だって」
「アレルヤは」
「先々週会ったかな」
つまり先週はかれはひとりだったということだ。こうやってひとりで、本を読みながら、誰もこないのを待って。
その様があまりにも想像に易く、刹那は呆れたように息を吐く。もしゃもしゃとはみ出たレタスを食んでいたロックオンは、それにある程度の感情を読みとったのだろう、愉快そうにくすくすと笑う。
「健気だろ?」
刹那は眉を寄せてロックオンを見て、言う。
「止めればいいだろ」
「いいのさ」
ロックオンは刹那の頬にやおら手をのばすと、拭うように指を押しつける。ソースか何かがついていたのだろう、彼がそんなふうに、自分を幼い子供のように扱うのを、普段は酷く嫌うのに、刹那は妙に落ち着くような、奇妙な感情を抱いた。ロックオンが普段そうやって刹那をからかうときとは違う、静かな笑みを浮かべていたからかもしれない。
「じゃあお前はさ、無駄だからと言われたらいまやっている何もかもをやめるか?」
答に詰まったのはその節ばった指先を舐める舌が、そんなくだらないことを言ってちろりと揺れたからで、それの主がロックオンではない、何か、蛇だとか虫の類であるとか、自分を惑わすちがう論理のものであるように思えたから。
勿論そんなわけもなく、そうしてそれは刹那にとっては甘言にすらなりえなかった。
「──何を言わせたい?」
「泣き言。他に誰も居ない状況だったら、言うかなと思ったんだが」
「心配するな、あんたが言ったら、その脳天を撃ち抜いてやる」
最後の一口を頬張ってしまえばランチは終わりだ。口の中に残ったトマトの酸味をジンジャーエールで流し込んで、くしゃりと包み紙を丸める。
「ありがとよ」
立ちあがる刹那を見上げて眩しそうに笑うロックオンを見下ろして、また来よう、そう思った。
「ついてるぜ」ちゅっ。きゃっ。
を何処かにつっこもうかと割と真剣に考えていたのですが流石にどうしようもなくて自重しました(ばーかばーかばーか)。