しあわせなせかい









 その柔らかな輪郭を見るたび、何となく触りたいと思う。
 アレルヤはその感情を少し愉快に思いながら、俯く年長の男を見下ろす。足下にはハロが転がっていて、かれ/かのじょもスリープモードに入っているのか、近付いたアレルヤに対して反応もしなかった。その不用心さもどうだろうなと思う。確かにこの無人島に敵はいないし、何かしら自分たちに、というよりもガンダムに、敵意を抱いて接近することがあればその情報はすぐに自分たちに届く筈だ。
 ソレスタル・ビーイングの前線基地。その名前とはかけ離れて、しかしこの無人島は平和だ。
 テロリストがひとり、日だまりの中で午睡を決め込むことができるくらい。
 陽光を跳ねる髪は風に揺れてさらさらと音を立てる。その風はコンテナに当たって拡散し、枝の間にぴんと張られた紐とそこに下がった洗濯物を揺らしていた。洗濯、そのあとで昼寝というのだから随分と優雅な立場だ。それを見下ろすアレルヤだって、大して変わらないけれど。
 髪に半ば隠れた表情は、普段から周囲に示そうとしている年長者らしい雰囲気を取り去ってしまっていて、そもそもの造作の甘さも手伝って、幼い、と表現できるようなものになっていた。何もかもの重責をかき棄ててしまったような、柔らかな、そのかお。皮肉めいた表情を剥いでしまえばあとは彼の本質である優しさだけが残る。
「──ロックオン」
 彼の平穏を壊してしまうことを、少し残念に思いながらアレルヤはそっと声をかける。
 ささやかなその声は、結局その名前の主を覚醒させることはなかったけれど、傍らのハロはそれを聞いてぴかりと目を光らせた。
『アレルヤ、アレルヤ』
「やぁ、ハロ。君の相棒に通信が入ってるよ」
『ロックオン、サボリチュウ。オコス、オコス』
「その方がよさそうだね。あんまり待たせるとスメラギさんに怒られる」
 そう頷いて、アレルヤはロックオンの傍らに膝をついた。小さく名前を呼んで、そっとその肩に触れる。
「ロックオン」
「──」
「ねぇ、起きてください、ロック──」
 そっと揺り動かせば、もともと寝起きの悪い男は、うう、と小さくうめき声を上げて、アレルヤのかけた手を軽い仕草で退けようとする。
「……っさい、ひとちがい、」
 そう言って、とらえどころの無いぼんやりとした視線が上がり、アレルヤを認める。
 口が、『あ』の形になって、止まった。
「状況を思い出しました?」
「俺、何言った?」
「何か後ろ暗いことがあるのなら、そういったことは何も」
「……ならよかった」
 軽く自分の髪の毛をかきまわして、くわ、と欠伸をひとつ。それでいつもの『ロックオン・ストラトス』の貌になる。
「スメラギさんから通信が入っています。状況の報告を」
「へーい──あ、作業着溜まってたの見て勝手に洗濯しちまったんだが良かったか?」
「女じゃないんです、見られて困る下着もありません」
「そりゃそうだ。ついでにハロもぴっかぴか。スメラギさんに見てもらおうぜ」
 幼児でも褒めるようにそう言って転がるハロを拾い上げれば、確かにそのの表面にひかりをきらりと反射させて、それにアレルヤは少し苦笑した。まったく。国家に所属しないテロリストというやつは、もっと小汚くあるべきじゃあないのかな?
「お前は昼寝でもするといいよ。此処は結構居心地がいいから」
「それで、自分が誰かも忘れてしまうんですか?」
「……苛めるなって」
 溜息をついてロックオンは視線を空にやる。
 まっさおの空は、大きな白い雲がぽかりとひとつ浮かんでいるだけで、それ以外に遮るものはなかった。その果てに宇宙がある。そのむこうまで、何もなかった。
 太陽のひかりは燦々と降り注ぎ、緑に反射して揺れる。洗濯物は風を抱いて揺れ、柔らかな髪が静かに踊る。決意を抱いて。
「忘れたつもりは無いし、お前もきっと忘れはしない。ただちょっと」
 ロックオンは言葉を探すように少しだけ首を傾げて、そうして振り返るとアレルヤに笑った。
「夢を見てただけさ」
「ゆめ、」
「寝たら見るだろ、夢。──やばいかね、そろそろ。本気で怒られる」
「ロックオン」
 通信端末のあるコンテナ内へ歩いていこうとするロックオンを呼び止めれば、先に名前を呼んだときよりもずっと小さな声だったのに、彼は振り返ってアレルヤを見た。いつもどおり、やさしいやさしい、ロックオン・ストラトス。その名前をアレルヤは、もう一度呼ぶ。
「ロックオン」
「何よ」
「名前を呼んで欲しいですか?」
「ご免だ」
 きっぱりとそう、言い切って。
 それからごまかすように、ははっと軽く笑ったロックオンはドアのむこうに消える。アレルヤは溜息をついて彼の座りこんでいた壁に背を凭れて、そのまま地面に腰をついた。
 暖かなひかり。やわらかな風。
 この世界。
 アレルヤはそっと目を閉じる。ゆめというものの連れて行くさきが、未来なのか過去なのか、どちらともしれなかったがそれが同じ匂いがしていればいいと思った。彼のゆめと。それはきっとしあわせな世界だ。




これでこのくそ恥ずかしい名前が偽名じゃないとかいうオチだったらどうしようとか。
連中が本拠地にしてるっぽい島が(無人島とか言い切ったけどあれはどこなんだ)凄い平和なせかいにみえて、あそこがまだ、暫くのあいだ、あのままで、そっと、箱庭のように、彼らを癒せばいいのにと思うのですが。どうなんだ。ぜってぇむりだが。