「だれもしらない」
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「ロックオンは?」
ダクトからラウンジを覗き込んだアレルヤは部屋の中をぐるりと見回したが、目立つ長身は其処に居なかったので、それで少し拍子抜けした気分になった。テーブルについているのは刹那だけで、他のクルーは居ない。
彼に訊いても無駄だろうな。そう思いながら手元の端末から視線を外し、此方を見た刹那にアレルヤは尋ねる。
「ハロに此処だって訊いたんだけれど」
「居る」
予想に反してそう端的に答えた刹那は、床のあたりに視線を投げる。それを追いかけて、テーブルを挟んだこちら側に視線を落とせば、机の間に突き出された長い足が見えた。
おやおや。そう呟いてテーブルをスツールの横を迂回してみれば、テーブルとテーブルの間に仰向けに転がったロックオンが居て、その顔の半ばを覆うように、妙にかわいらしい小花柄のタオルが乗っていた。
「熱でも出ました?」
それが湿っているふうであるのをみてとって、アレルヤは彼の横にしゃがみこむ。ロックオンはタオルの落ちない程度に、浅く首を横に振った。違うらしい。
「目、疲れた。駄目だな、寝不足で訓練は」
「同情しますよ」
苦笑を浮かべてアレルヤは頷く。それは殆ど本心からの言葉だった。
ロックオンの戦い方は他の三機がめいめいにそうであるように特殊で、だからそれぞれに訓練の種類や気構えが違う。アレルヤにはロックオンのそれは特に異種であると見えた。他のもののように圧倒的な力でもって畏怖させるわけではない。ただ見えぬ敵、自分を確実に見据え、撃ち抜く存在として、目に見えぬものとして戦うのだ。狙ったものを確実に総て仕留めなければ、自分の居場所を相手に知らせるだけの結果になる。
ただ唯一必要とされるのは、精度。
だからこそ、彼が指標となりうる。我々の。
多分彼の視線は自分たちの存在意義、存在目的からぶれることはないだろう。例え彼がそれから目をそらしたいと、彼こそが願っていたとしても。アレルヤは時々、その場所から目を逸らして爆撃を加えようとする自分を自覚する。それを正すのはロックオン。
「──で、何?」
ロックオンは少しだけ浮かせたタオルの下から、アレルヤを射抜く。その一瞬の鋭さがくだらない自分の思考を正しているように思えて、またその想像に苦笑しながらアレルヤは頷いた。
「整備士が呼んでました。デュナメスの標準を弄りたいらしい」
「……あと5分」
タオルを再び落としてロックオンは呻く。朝ならば似合うだろう泣き言にすこしだけ笑う。どうやら心底バテているらしい。普段から徹底してムードメーカーを自認し、必要以上に明るく振る舞う男だ。
アレルヤは戯れに、そのしろい肌に指をのばした。眦には濡らしたタオルから伝って落ちたのだろう、滴のあとが涙のようにすこし冷たくのこっていて、そこと普段より熱をもった頬のとの温度差がすこし愉快だった。
「アレルヤ」
ロックオンは幼子を窘めるような口調で言う。くすくす笑いながらアレルヤは手を引いて、タオルの上にそっと手を乗せた。冷たさを押し付けられる感覚が気持ち良いのだろう、ん、と小さく漏れた声に笑みを深めてこちらこそ言い聞かせるように言う。
「さあロックオン、早く起きて」
「あと7分」
「伸びてますよ」
減るならともかく。そう言いながら彼の口許に手を伸ばしたのは、その唇が酷く荒れていたからで、訓練で噛みしめたか血さえ滲んだそれが、普段の伊達者でとおる彼の有様と食い違っていたのがすこし可笑しかったからだったのだが。
「………っわ!」
「っ?!」
唇に指先が触れたか触れまいかという瞬間に、ロックオンはがばっと身を起こした。反射的に手を引いていなかったらぶつけて、引っかいてしまっていたかもしれない。
「ご、めん」
「や、こっちこそ、わり」
半身を起こしたロックオンは、しばらくそのまま固まっていたが、それからゆっくりと視線を巡らせてアレルヤを見、そして椅子に腰掛けたままでまるでこちらに加わってきてはいなかった刹那を振り仰ぐ。誘導されてアレルヤもまた彼を見上げた。
刹那はまるで表情を動かしては居なかった。手元の端末を変わらぬ調子で見下ろしており、そしてちらりと二人を――ロックオンを見下ろして、わらう。
がたっ、と響いた音は弾かれたように立ち上がったロックオンの、弾みで椅子の足を蹴った音で、やわらかな髪の流れに遮られたその表情はわからなかったが確実にその耳は赤かった。
「……整備士はコンテナですよ、ロックオン」
「助かる」
そう短く言って足早にラウンジをでるロックオンの背中を見送り、ちいさくひとつ息をはくと、アレルヤは立ち去る男に目もくれず端末に再度視線を落としてしまった少年を見上げた。
「あんまり虐めると手元がくるうよ、君の背後を守る男だろう?」
「それがどうした」
短く答える男の真意は見えず、アレルヤは改めて深々と溜め息を吐いた。いや、容易に見えたからこそ、だ。
色々仄めかしてみました。